忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

ベートーベンとスメタナ(厳選クラシックチャンネルより)

2023-11-08 | 生き方を学ぶ

私の大好きなスメタナの「モルダウ」you tyubeの厳選クラシックチャンネルでいろいろ見ているが、有名な作曲家たちが戦火を逃れて作曲した曲が多いことも解説で知った。

スメタナが心身の不調から両耳が完全に失聴した状態でこの有名な曲が作曲されたことを知り改めて聴きなおした。  一方

誰もが知っているベートーベンも40代で音が全く聞こえなくなりそれでも音の振動を直接感じ取れる特設ピアノをオーダーして作曲を続けたそうです。スメタナもいいですが勿論ベートーベンが一番です。

有名になったベートーベンの所に大勢の弟子たちがいた中、身分違いの女性の弟子に好意を持ったベートーベンがあの素敵な「月光」の曲を献呈したという話を聴き、

「あ~いいなぁ~私も誰かにこのような美しい曲を贈ってもらいたかったわ・・・」と思わず呟いた ( ムーーーリ )

 

 

 

 

 

 

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大峯 顕師「親鸞のコスモロジー」を読み

2023-11-05 | 生き方を学ぶ

毎日ニュースで心が痛むことが多い。人間は闘わなければ生きていけない生き物なのか?仲良く心安らかに生きていく術を考えないのだろうか?殺さなければ殺されるそのようなことがずっと昔から繰り返されてきた。お釈迦さまの時代もだった。・・・・

ご近所の方からお借りした本に今、沢山の事を教えられている。これまで自分が学んできた事が何だったのかと。

大峯 顕師の動画も見たがとても分かりやす話されていた。

 

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やっぱり病気と寿命は別なんやなぁ・・・と思った。

2023-09-19 | 生き方を学ぶ

先週、送迎車で行っている短期リハビリデイサービスで初めてお目にかかった方と話した。

海外や日本全国で活躍され数多くの手術をされてきたお医者さんだった。

歳を重ねられ、心臓の具合が悪くなりご自身も手術受けられたり、腎臓に癌が見つかり手術、抗がん剤治療をされたりしたそうだ。そして突然の意識不明で倒れられ1年半近くそのままの状態が続き、ご家族はもうだめだと思われていたとか。

リハビリできる体力があるかどうか現在試験中だということで来られていた。

リハビリの合間合間に聞く話だったが、お医者さんが病気になり、亡くなったというニュースは聞くことはこれまでもあったが、直にお医者さんから聞くことは初めてだった。

私の心の中では何故か親とお医者さんは死なないようなイメージがあった。

抗がん剤の辛さも話されたその方は意識が戻りどんな気持ちだったのだろうか?

「先生 まだまだするお仕事が残って居たのかもしれませんね?」

この時、私はやっぱり病気と寿命は別なんやなぁ・・・と思った。

 

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さわやかな笑顔

2023-09-11 | 生き方を学ぶ

ご近所の親しい方の家の前を通った時、その家のガレージの車から出てこられた方に「こんにちわ!」と挨拶した。多分、お連れ合いか?息子さんだろうと思ってのことだ。

すると「こんにちわ」という声と共に私に向けられた笑顔が何とも優しくさわやかでびっくりした。

人に出会った時に挨拶は日常的にするがこのような笑顔を返されたのはたぶん初めてだった。

ここに住む彼女は長年患い入院も何度もされている。良い整骨院見つけたよ~と教えてくれたのも彼女だ。確かに良く診てくださる先生でもうそこに行くようになり10年ちかくなるのでそこでも彼女と出会うことも度々。

そんな彼女はいつも優しく笑顔だ。病気で辛い時もあったろうにと思う。

そんな彼女にお連れ合いか?息子さんも似たのだろうと私は思った。

あんな風な笑顔を私は返しているだろうか?

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被爆者7団体が怒りの声明 G7広島サミット 「核廃絶への道筋の提示が全くなかった」  リメンバーヒロシマナガサキ

2023-06-28 | 生き方を学ぶ

 

「リメンバー ヒロシマナガサキ」CD発表 記者会見 2013.11.12

10年前の会見で、長い時間の会見ですが充実した内容です。今は亡き、なかにし礼さん、佐藤しのぶさんの平和に対する思いを実感できました。最後の方の佐藤しのぶさんの「リメンバー」の美しい歌声が聞くことが出来て改めてこの歌を広めていくことの大切さを思いました。。

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「笑いヨガの輪」の本を友人が持ってきてくれた。面白くてためになる!

2023-05-13 | 生き方を学ぶ

毎年5月の第一日曜日は「ワールドラフターデー(世界笑いヨガデー)」です。世界100ヵ国以上の人々がこの日一斉に笑うのです。笑いヨガの創始者、インドのドクターマダン・カタリアは世界中の人々が笑って、世界平和を願いながら笑顔になろう!というイベントを毎年しています。

友人が先日持ってきてくれた「笑いヨガの輪」という本の中に書かれていました。

笑いヨガのことは聞いていましたが、つくり笑いって何だか照れくさいなぁ・・・と思っていました。ところがこの本を読んで納得!こんな面白くて自分にも他人も幸せで元気にしてくれるとは思ってもいませんでした。確かに笑うと自分の体の中に持っているNk細胞が(ナチュラルキラー細胞)働いて癌細胞をやっつけるそうです。以前、病院で落語をやったりして患者さんに大いに笑ってもらっているとテレビで報じているのを観ました。NK細胞は世界でも科学的に認められた素晴らしい細胞なのだそうです。

単純な私です。朝起きた時 両手をパチパチパチと合わせながら「ワッワッハー」とやってみました。

          

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「痛くない死に方」の映画の一部が紹介されていた。

2023-04-28 | 生き方を学ぶ

毎朝新聞を見るときいつも欠かさず見る欄がある。訃報欄であり、その年齢である。

この方83歳で亡くなられたんやなぁ・・・私と比べたら後4年か

この方76歳や・・・私より3歳早い・・・

死は間近に迫っている・・・心の準備は出来てるか?と問うてみる。

友人とは死ぬときは痛くないように逝きたいなぁと言い合っているが果たしてそんなに上手くいくかはわからない。

長尾先生のブログで紹介されていた尊厳死協会に「痛くない死に方」の映画の一部が出ていたが是非見てみたいし著名人の死生観・人生観なども見てみたい。 

    TBSラジオ 日本尊厳死協会プレゼンツ【My LIFE! My CHOICE!!】 | 公益財団法人 日本尊厳死協会

 

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今は亡き義父からのハガキ

2023-04-25 | 生き方を学ぶ

数日前、納戸の整理をしていて引き出しの中から亡くなった義父が私に宛てたハガキが出てきた。細かい文字で一杯にに書かれていて、読むと83歳になったがこの頃はしんどくて仕方がない。しかし毎日近くのあちこちにある神社やお寺を歩いてお参りに行っている。子供や孫11人が元気で過ごせるようにと祈っている。と言うようなことが書かれていた。

若いころはテニスをしたり、保護者会の会長をするなど活発に活動されていた義父だがやっぱり体力の衰えには勝てなかったのやなぁと思った。それを読み私はなぜかほっとした。人はみな老いその辛さを実感するものだということを今更ながら感じることが出来たからだろうか。

又、それと同時に自分の知らない間に人から祈られていたということだった。

毎日毎日,老いた体で歩きながら寺社に詣り、子や孫の為に祈る。その行為は自分の為ばかりではない。祈られていたものは気づかなくてもちゃんと守られていたのかもしれない。

思わず涙がこぼれそうになった。

長年の知人でお山で修行されているWさんが来られた時「毎日朝の読経を唱えた後に、自分がお世話になった方々のことを祈っているのですよ。もちろんあなたの事もね」と聞いたときはどんなにか元気をもらったことか!感謝の気持ちを今も感じている。

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「70歳から楽になる」の本から「あ、今死ぬのね。OKよ」と思えたら最高です。 

2023-04-15 | 生き方を学ぶ

70歳も終わりに近いが久し振りにスマナサーラさんの本を買った。これに関連したような本は何冊か持っているので、同じようなことか?とも思ったがより具体的に書いてあって良かった。

スマナサーラさんも私と年齢も近く老いには勝てへんにゃなぁ・・・親近感と共に老いの学びがより深く出来たようだ。

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あの人の人生を知ろう~葛飾 北斎

2022-10-25 | 生き方を学ぶ

7年前2015年に私的なブログに書いていたものですが、そのブログを削除してしまいました。USBに残っていたのを改めてアップしました。人生本当にいろいろな生き方をしてやがては散ってしまいますが、74歳で「『富嶽百景』を完成させたっていうのもすごい!

1ケ月ほど前だったろうか、テレビで葛飾北斎の絵についての番組を見た。北斎があの有名な波の絵(「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」)を描くのに何回も挑戦していることを知った。テレビで40代に描かれた波など数枚が映し出され70代になり、やっとあの今にも摑みかかりそうな波の先を表わすことが出来たそうだ。
その過程でお寺の欄間にかかる彫刻や中国の絵からヒントを得たと説明されていた。

北斎は、74歳で『富嶽百景』を完成させるが「70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。これから思い通りの絵が描けるだろう」と言ったそうだが、この言葉を聞き驚いた。

人生の終わりに近づいたような気分で過ごしていた自分に少し渇を入れられたような気もちになった。(北斎先生に「何 分別くさそうな気になっているんや アホやな・・・元気、やる気で生きていかなあかんでーーと言われているようで)

調べればこの北斎という天才の人生は本当に面白いことが判り、興味はつきないくらいだった。

号を変えること30回、引越し93回、絵を描くことのみに集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引越したとか。

死を目前にした北斎は大きく息をして『天があと10年の間、命長らえることを私に許されたなら』と言い、しばらくしてさらに、『天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』と言いどもって死んだとか。

金銭に無頓着で、行儀作法を好まず、ひたすら絵を書き続け、89年生きた北斎が残した浮世絵は、のちにモネ、ゴッホなどヨーロッパの印象派の画家にも影響を与え、ドビッシーはこの絵からインスピレーションを得て交響曲『海』を作曲したと書いてあった。

   

 葛飾北斎の生涯    ←クリック

 

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ドキドキしたこと、ときめいた事、感動したことをカレンダーに丸印つけてみる。

2022-09-19 | 生き方を学ぶ

1か月ほど前に読んだ「学びの本」にその日あったことでドキドキしたこと、ときめいた事、感動したことをカレンダーに丸印つけてみる。それが自分を生き生きさせ明日の活力にもなると言うようなことが書かれていた。(と思う)

その通りだ!昨日は実に丸印が沢山ついた一日だった。

この1ヶ月の間で入院したと連絡や情報で知った知人が6人、亡くなった知人が5人、認知症が出てきた方2人と悲しくなる知らせが相次ぎさすがに心が沈み落ち込んでいた。自分が長生きすれば周りの友人知人も高齢となり病や亡くなることも多くなるのは世の常だとわかっていてもやはりショックだった。

そんな中の嬉しい幸せ丸印は有難かった。

孫の引越し先の新しい家に連れてもらい可愛い曾孫に会えたのは無論のこと、若者が住む家の中にある多くのものが珍しく感動するものばかり。

流し台も最新式、お洒落な間接照明、インテリアで置いてある観葉植物「ポトス」は人工ではでなく本当の植木だったしオッケーグーグルではなく画面時計表示付きのアレクサ。

沢山あるおもちゃで、しばし曾孫と遊んだが中でもナイフで刺すと飛び出す黒ひげ親父のおもちゃはドキドキ感一杯。「これ、私も欲しいからリサイクルで探しておいて!」と思わず頼んだ。

なごりを惜しみながらの帰り道一番下の孫のワンルームマンションに寄った。

階段に難儀したが部屋は綺麗でここも流し台がいい。テレビで動画配信が見られるようにしてあったのにも驚いた。又.鼻に何かをはそんでいるので聞くと小鼻を小さくする器具という。

100均で買ったと言うので今度来るとき買って持ってきてと言うと、娘が傍で洗濯ばさみでいいやろ!と言ったが・・・まぁまぁこんな風にいろいろの発見驚きに出会い体は疲れたが気持ち良い一日だった。

夜には比叡山で修行中のWさんからの電話で話の終わりに自分の両親と共に私の健康についても毎日祈っているよ~と告げられ元気100倍だった。感謝!感謝!

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「人生が面白くなる学びのわざ」の本を読んでみた。

2022-08-23 | 生き方を学ぶ

買っても初めの数ページしか読まずそのままにしてしまっている本があるなかこれはぺージ数も少なく面白いのでさっと読めた。

「学びのわざ」の中では、読んで感動したり興味を持った事柄を人に伝えることも大切だと書かれていた。日頃、私は感動したことなどすぐに人に言いたくなるのでそれを口にすると娘に叱られることがある。「お母さんは良いからと言ってすぐにそうやって押し付けてくるなぁ・・・」と。

別に押し付けるつもりはなかっても、あまり熱心に話すので聞いた方は押し付けに聞こえるのかもしれない。

しかしこの本に書かれているように誰かに話すことが決して悪いことではなく替えって両者にとって良いことだと書かれていたので少しほっとした。

ソクラテス、デカルト?難しいことを考えはったんやなぁ・・・「我思う故に我あり」か!

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沢山頂いたいろいろなご縁から

2022-05-14 | 生き方を学ぶ

【私が生まれて養父母に育てられた出会い、それは縁というものではなかっただろうか。そしてたどってきた道程で出あった人々とその人たちと過ごし、行くことの出来た場所。 読むことの出来た本の数々との出会い。

そんな中で私はいつも縁と言うことを感じた。それを一番感じたのは私が20数年勤めた職場を退職し、家で親の介護そしてその親を見送っての後、 勤めに出ようとして職安に行った時のことだった。

テレビで「家政婦はみた」がその当時 市原悦子主演でやっていて私も今度はちょっと違った職種と思い、数軒面接に行った。そのうち2軒のご家庭が気にいってくださり、すぐに来てほしいと言われた。しかし2軒とも残念なことに元おられた家政婦さんがやはりもう一度そこで働きたいと申し出られたという理由で断られた。そのうち1軒は違う関連の所を紹介するからとも言ってくださったが、その時自分には縁がなかったのだなあ・・・と思った。

それから後 知人の紹介で知的障害者の方たちのグループホームに勤めることになった。障害を持つ人たちの夫々の過酷ともいえる人生を見聞きし、100円が大切な人達の生き方など驚くことばかりであったが、彼や彼女との生活は本当に楽しかった。そしてそこを辞めてからもその時の利用者の方や同僚で、師とも言える人たちとの付き合いが今も続いている。 私はあ~きっと仏様が私を家政婦さんじゃなくこの仕事へと導き、学ばさせてくださったのだなあ・・と思っている。

(「弟子の準備がととのうと師が現れる」というチベットの言葉がある。準備がととのう、とは弟子が師の心の深みに達すること、つまりご縁が熟することである。)と書かれた本に出会った時、「師の心・・・云々」は分からないが私なりに縁が熟するという部分だけが心の中にずっと残っている。】(2013年1月19日 旅の途中ブログ記事より)

 

      今も心に残る本との出会い 

今もこの思いは強く感じることがある。父の弟さんがずっと本家としてお墓を守ってきたのにも関わらず子供が5人もいるのに結局は誰もお墓のお守りが出来なくなり、私が自分たちのお墓と共に本家のお墓もお守りをするようになった。そういう縁でこの地に来るようになったのではとふと思ったことだ。

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やなせたかし「明日をひらく言葉」を読んで

2022-03-24 | 生き方を学ぶ

やなせたかし「明日をひらく言葉」という文庫本をたまたま本屋で目にして買った。(2013年6月に別のブログに書いていた文ですが削除してしまったので印刷していたのを再掲しました。)94歳になられたやなせさんの言葉には戦争を体験しそこから生まれた漫画「アンパンマン」に繋がる生きる意味が込められている。保育園勤務時代 子供たちがこのアンパンマンの絵本や紙芝居をとても喜んで見ていた。そしてよく歌った「手のひらを太陽に」のうたなど思い出した。

本の中に書かれている言葉の中で 「昨日は過去で、明日は未来。今だけ現実なんだけれど過ぎてしまえば夢だから、一秒きざみに夢になる。」

 「人間が一番うれしいことはなんだろう? 長い間、ぼくは考えてきた。そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。

実に単純な事です。 ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい。」

 悪夢のような大震災の後 ラジオから流れた「アンパンマンのマーチ」を聞いて子どもたちが笑顔の大コーラス。  そのニュースを聞いて、ぼくは本当にうれしかった。

「笑って楽しむ気持ちがあれば、いくつになっても心を若々しく保つことができる。これは、ぼくが人生経験から得た ひとつの答えです。」

子ども達に読み聞かせていた頃には、やなせたかしさんのアンパンマンに込められた想いなどについて深く考えることもしなかったが、今 この本の中にちりばめられた数々の言葉とその言葉に添えられたやなせさんの想いを知り、その奥深い人生観に接しすることができ本当によかった。

“アンパンマンの遺言”本当の正義は戦わない やなせたかしさん

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危難のなかで真理に目覚め、慈しみのこころで手をつなごう ( アルボムッレ・スマナサーラ)

2020-04-12 | 生き方を学ぶ

こころの感染を防ぐブッダの戒め
危難のなかで真理に目覚め、慈しみのこころで手をつなごう

アルボムッレ・スマナサーラ
日本テーラワーダ仏教協会 貫首

 人間は、「われこそ偉い」という気持ちで毎日生きています。しかし、今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって、それは誤りであると自然界から厳しく突きつけられました。

仏教徒として私たちがまず自覚すべきなのは、人間は自然の流れに従って、一日一日をやっと生きている存在に過ぎない、ということです。「人間こそ地球の主人」という傲慢な態度は捨てるべきなのです。目にも見えない、細胞の100分の1以下の大きさしか無いウイルスによって、人類社会がどれほどダメージを受けていることか。仏教的に言えば、地水火風が少しでも変調をきたしたら、もう命は成り立たないのです。

私たちは「生きていて当然」という自我を抑えて、「今日もおかげさまで、無事に死なずに済んだ」「今日も見事に死ななかった」という謙虚さを育てることです。冗談っぽく聴こえるかもしれませんが、これは真剣な言葉なのです。一日生きている、ということは奇跡です。身体の約40兆の細胞はいつ変調をきたすかわからないし、また外部からの攻撃も絶えないのですから。「やっと一日生きられた」という気持ちで過ごすことは、自我を抑える、とてもよい修行になります。それで心の安らぎに至るのです。真剣にそう考えて生きるならば、悟りに達することもできます。

 次に強調したいのは、COVID-19の流行に対して怒り憎しみを持っても何の意味もない、ということです。

自然界は偉いのです。自然の力の前には、全知全能の神様も引き下がらないといけない。世界中の教会もモスクもお寺も、皆ウイルス感染を恐れて活動中止しています。ですから、どうしても自然界には太刀打ちできないと理解すべきです。

私たちはただ、皆の命をできるだけ頑張って守らなくてはいけません。今回、COVID-19は私たち人類にそのことを教えているのです。分裂することなく、皆で手をつないで、協力しあって命を守りましょうと。そうしない限り、皆の命は守れないのだと。

そういうわけで、ウイルスに自分が感染しないように気をつけることも慈悲の行為です。自分から他人に感染を広めないように気をつけることも慈悲の行為です。この際、私たちはすべての生命に慈しみ(メッター)と抜苦の気持ち(カルナー)を抱いて、やさしく生きてみようではないか、と決意しましょう。「もし自然界が許してくれるならば、その範囲で生きてみよう」という無執着と安穏の心をもって頑張りましょう。

~すべての生命に苦しみを乗り越えることができますように~

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