大阪のおばちゃんの言葉で語られるこの動画 面白い!
カジノ映像2019 01
生活と健康を守る新聞の記事の中に
1946年にGHQが日本へ英文で{「生活保障法の提案を「保障」とすると権利意識が強すぎ困るので、「生活保護法」と訳してGHQに提出した}事実も歴史的”改ざん”だと書かれていた。
訳するときに自分達の都合の良いように訳していることはこれまででもあったと聞くが、まぁ!その歴史は本当に古いものなのですね。
随分 前の動画ですが、世界中の人々が願っていることを、歌っているこの曲は何年たっても心に残ります。
ジョン・レノン / イマジン (日本語訳付き)
we are the world (日本語 英語 歌手名付き)full ver USA for AFRICA
のれんに腕押し、馬の耳に念仏、ぬかに釘、もっとあったなぁ・・・何を言っても素知らぬ顔のこと。
今のアベ政権からこんな諺が浮かんできました。本来ならとっくに退陣している筈のこの政権、それでも居座っていられるのは何故でしょうか?
支持率が今もって下がっていないことが、大きな要因だとか。
どうして下がらないのか不思議でならないけれど、国民の半数近くが政治に無関心、選挙に行かないということが影響しているように思うのですが・・・
知人のブログに赤旗の記事が出ていた。
新聞やテレビもなかなか真実が書けない部分がある中、企業からの広告もとらず、購読料やカンパで真実を報道してきた しんぶん赤旗は保守と呼ばれる人た達のなかにも読んでいる人も多いときいた。
沢山の人に読んで欲しいと願っている。
いつも読ませていただく方のブログに懐かしい歌がアップされていました。
「手のひらのうた」という題だったのですね。「仕事の歌」だと思っていましたがこれは又違う歌詞でこちらの方が有名かもしれません。高校時代この「てのひらの歌」を教室でハモッテ歌っていた記憶があります。誰が歌いだしたかなぁ・・・
手のひらのうた 【あづみ野うたごえ喫茶】 」
AI(ロボット)に将来 少なからずの仕事が奪われてしまうのではないかという話も聞き、ある種の不安もあるがAIの研究進歩はすごい!。(いずれにしてもその時に私は存在しないのだけれどね)
人間はそんなロボットをうまく使いこなせるのだろうか?という疑念も持っていたが、先日観たテレビで東大の模試に挑戦するロボットの話をしていた。
5年ほど前からこの取組みをしていた方が、AIは数学や世界史などでは東大合格のラインを超えていたが、国語の分野では偏差値が合格には遠く及ばなかった。
このことからAIは計算や暗記が得意でも問題文の意味を理解することが困難だとわかった。
しかし 問題は3割にのぼる中高生も同じように問題文の意味が理解できていないということで、この方が今 一番重要課題だと研究してきた教授が語っていた。
そして学校の現場で子供たちの読解力を高める為の授業に取り組んでいる姿が映し出されていた。
スマホやパソコンの波及により、読書するよりスマホに向う時間が増え、外に出ればスマホに向き合う人たちが何と多いことか!家の中なら尚更のこと。スマホ症候群という言葉が生まれその弊害も現れてきている昨今、長い文章よりも短く手早く済まし共感をえるラインやツイッターを多くの人たちが使っている。
(という 私自身も 昨日のブログにスマホのラインのことを書いたばかり・・・)
長い文章を読むのはしんどくなってきている。、それでもせめて新聞などは脳の老化を少しでも遅らせるために毎日読むことにしているが、多くの若者は何をするにもスマホを使ウことの方が多く、読解力をつけるのは困難なように思える。
読解力がつくことは話し言葉も豊かになり 相手にわかりやすく話すという力も生まれてくるのだから、人と人の生のつながりにも影響するように思える。
昨日、孫の授業参観に行った友人は、小学1年生の孫の授業が買い物ごっこでその時の会話が全て英語でされていて驚いたと話していた。
英語教育も大事やけど・・・日本語の読解力しっかりつけてや~
数日前 大きな声を出して笑う自分の声でハッと目が覚めた。
自分の笑い声で目を覚ます? 夢の中でゲラゲラ笑う! なんて めったにないこと。
何故 笑ったのか それも声を出して・・・そんな面白いことがあったの?
つらつら考えてみると思い当たることがあった。
1月末に娘がスマホのラインで面白いスタンプをプレゼントしてくれた。
娘は自分の子供に服を買ってあげた時よりも、ラインのスタンプを買って送った時の方が喜んでいたと言って嘆いていたが。
確かに 動くスタンプは面白くて孫達も「どこで買ったんへ~」と言ってくる。
レオタード姿の私が踊りながら、いろいろの言葉が出てくる。
「ゲラゲラ笑ったわ~ 」「 もう止めて!」 「お腹いたい!」と言う言葉がライン上で飛び交う。
これはコミュニケーションになるし、話題提供になるかも・・・。
そこでお世話になった人たちにプレゼントして送った。
皆、大喜びで先々で話題になったらしい。 すっかりおばあちゃんの玩具だ。
そんなことで 夢の大笑いの元は 安倍さんのスタンプが画面上でひっくり返っているところを見てのことだった!
声の出るスタンプや自分の写真のスタンプもあるらしいが こんなのばかりで遊んでいられないねぇ!
「あっ!痛っ 痛っ 痛っ」 昼寝をしていて急に足の親指が反ったまま動かなくなった。元に戻そうとしても戻らない。ふくらはぎのこむら返りはしたことがあったが、足の指とは!
傍で孫がスマホを見ていたが見向きもしない。
暫らくたってやっと収まった。そこで孫に「Mちゃん おばあちゃんの痛い!っていう声聞こえへんかったんか?」と聞くと
「聞こえたよ、でも お婆ちゃんいつでも痛い、痛いって言ってるから・・・」という声が返ってきた。
なるほど、そう言われれば、よく言うなぁ・・ 「痛い!痛い!」って。 足が、膝が、腰が、肩が。
いつの間にか口癖のようになって痛いと言っていたこの言葉。今回以上に本当に痛くて痛みが続いたりした時に振り返ってもらえなかったら・・・と不安になった。
昔、子供に話してやったイソップ童話の「狼少年」の話を思い出した。
羊飼いの少年が退屈しのぎに村人達に「オオカミが来たー」と言って驚かせ、駆けつけた村人達にウソをついていたが、何回もオオカミが来たーと繰り返すうちに本当にオオカミが来たとき少年がいくら「オオカミが来たー」と叫んでも誰も来ずオオカミに食べられてしまったという話。
さて、安倍首相のウソももう聞き飽きたというくらいで又かと呆れ、この口先男!大風呂敷広げて!などと思っているが
「ウソも百篇つけば本当になる」という諺にもあるように、だんだんと慣らされないようくれぐれも用心!用心!。
それより何より 国民の半分以上が早く そのウソに気づき、オオカミに食べられなくてもいいけれど消えてくれれば一番いいのだが、そのウソも又、ウソで隠ぺい・・・一体どうなっているのやら?
ところで、私の痛い!痛い!はウソではありませんが 唯、日常的に使いすぎることを考えなくてはと思ったことです。
「人間を生きるということ いのち考」と題した内容の同朋新聞を読んだ。宗教学、生命倫理,死生学を専門に研究されている安藤 泰至さんから話をきかれたものだった。 (以下 抜粋)
2016年相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者の方の多くが死傷された事件。事件を起こしたこの施設の元職員の青年は
重い知的障害や重複障害をもつ人を「心失者」と表現し彼らは人間であることがすでに崩壊した存在なので周りのためにも国の財政のためにも、安楽死させるべきだと主張し、自らの行為についても「彼らは人ではないので殺人ではない」とまで発言。
インタビューに対して安藤さんは「心失者(人間の心を失っている者)という表現は、何か人間の基準があって、それに満たない人は人間ではないという発想です。実はこの考え方は、近代医学の根本的な考え方とすごく相性がいいんです。ー中略ー望ましい生とそうでない生とを峻別し、前者のみを求め後者を排除する「優生思想」という考え方に近づいていきます。」
続けて安藤さんは「私たちの死生観、価値観の前提になっている生や死のかたちが切り崩されてきているのです。そして安楽死させることに「それが正論」だと発言する人も一定数出てくるようになった。
さらには政治家や影響力のある人たちがそのような考え方を肯定するような発言を平気でする時代になっている。と話されている。
そして自己責任や人に迷惑をかけてはいけないと言った内容の話に続き、人間とは何か、いのちとは何かを問うことで、人間は人間になってきたともいえる。
自分がいのちというものをもっていて勝手に処分できるようなものでもないし。自分を標準にしていのちを考えて、他のいのちを排除できるようなものでもないのです。と結ばれていた。
多くの人を殺めたこの元施設職員の青年が「心失者」という言葉を使い、その様な気持ちで事件を起こしたということに衝撃を受けた。
そういえば政治家にも・・・
(終末期医療について)さっさと死ねるようにしてもらわないとか、考えないといけない。(麻生)
女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”(石原元知事)
「ああいう人ってのは、人格があるのかね」(障害者施設訪問時で石原元知事)
「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」 (杉田水脈議員)
又、ゲノム編集という技術を用いて牛や豚の筋肉を抑制する遺伝子を壊すと筋肉もりもりの牛や豚ができ、実際にもう行われているということや、人間についてもこうした遺伝子操作で子どもを望みに合わせてデザインすることも可能でしょうと話されている部分では改めて事実なのだと思うと何だか怖くなってきた。
経済効率優先の世のなかにあって如何に生きるかが問われる内容だった。
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