昨日ポストに入っていた訃報のハガキを見て驚いた。働く保育園は違っていたが同じ地域の保母として一緒に活動してきた先輩の洋子さんが今月19日に亡くなったと言う知らせだった。ここ数年施設に入られたかで連絡が取れなくなっていた。それまでは毎年一緒に出掛けたり、茶道の師範をされていて初釜などにも招待されていた。明るくてあっさりした彼女は誰からも愛されておられた。子供さんをおんぶして会議に出られた姿を思い出していた。
8年前に書いたブログを再掲。亡き洋子さんを偲びご冥福を祈った。
京都の友人から電話があり自宅に炉を切ったので皆と久し振りに会わないかと言って招待された。
それまでも何回か寄せて頂き初釜に初めて参加したときは、昔の人たちはこんなふうにゆったりとした時の流れにひと時の安らぎを感じておられたのかなあなどと思ったものだ。煙管盆まで用意され障子越しの日差しが目に浮かんだ。
さて、今回は袱紗入れもカビが生えていないかと思うくらいで作法も相変わらずわからないまま、その雰囲気だけが気に入って、気さくな友人のおもてなしにホイホイと出かけていった。
車に乗っておられたご主人が亡くなりガレージには手水鉢を配し、木戸を押して細い飛び石のある裏から障子を開けて入るところから始まった。
お床の軸に書かれた書も素敵で、脇に置かれた練り香は炭手前を省略しますという意味だとか。
生け花は牡丹の蕾で蕾を生けるのが最も良いと言うことだった。
かきつばたを表した京都のお饅頭 色がとてもきれい!
お濃茶から始まった。作法は全くわからなかったが前の人のを見て??何とか・・・
でも膝が痛く正座できない私は小さな椅子に座ってなのでちょっと不安定だった。
何時も着物姿の友人もこの日は2年ほど前の大腿骨骨折や鎖骨骨折のあとで立ち居すわりが思わしくなくスカートだった。
お抹茶茶碗もあでやかな色彩で季節に合わせたものだった。
初釜の時は錦で材料を整えお水屋でこしらえた心のこもった点心料理を出されていたが、今日は仕出しの京料理を頂きながらあれこれ昔のことなど思い出し談笑した。
「あの園長さんどうされてはるの?」「もう、亡くならはったえ、 あそこの園長さんは認知症・・」
現役の保母さん(保育士)とも話せた。30数年経つと保育園の様子もすっかり変わったようで驚くことばかりだった。
さて、私は20代の頃は茶道、華道など興味もなかったが30代後半から近所に素敵な美人の先生がおられ友人と習いに行った。
そのとき茶道の作法を習うことが日常生活にとても大事なことを教えてくれていることに気がついた。また花を生けるということも先生が一本の花をさっと抜かれるとちゃんとバランスよくなることに驚いた。いまだ何もかも作法は全く持ってわからずじまいだが、茶道も華道も相手に対する「心」なのだということがわかったような気がする。