忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

年金者組合定期大会へ

2011-08-31 | 日々の業

昨日は年金者組合南大津支部の第3回定期大会があり、昼前から瀬田の唐橋にある青年会館に行ってきました。

ロビーや会議室から瀬田川が臨めて気持ちのいい場所だったのですが、人数のこともあり借りた部屋が3階で下見に行ってエレベーターがないのに唖然としました。

年金者の中には私も含め足の悪い人が何人かいますので、これはえらいことやなあ・・・と思っていました。

当日 1階の会議室が空いていると聞き、少し狭くなるが3階まで上がることを思えばやはり下のほうがよいだろうということで急遽 変更になりました。

会計責任者があたっている私は決算報告や 予算案などを報告し終えてほっとしました。懇親会で自身の癌の話を少しして、いつどうなるかわからない状況なのでお役も何とか皆で考えていってほしい旨を話しました。

家では「お母さんのような人が会計なんて! 信じられへん もっときっちりした人になってもらわなあかんよ」などとずっと言われています。 

まあこうしてさせて頂くのもボケ防止の一つになっているかな等と思っているのですが・・・。


紫蘇ジュース

2011-08-30 | 日々の業

一ヶ月ほど前に娘がシソジュースを作ったからと言って持ってきてくれた。自身も検診で少し異常が見つかり体の事が心配になりだしシソジュースが体によいと聞き、作ったということだった。

自宅にはシソの葉がないしスーパーにもなく困っていたら、たまたま通りかかった家の畑にいっぱい出来ていたので、思い切って家の人にわけてほしいと頼んだら、丁度よかった明日にでも全部抜いて捨てようと思っていたから全部持って帰ってと言われ沢山頂いたとのこと。

葉を丁寧に洗ってから煮て、濾して砂糖と酢を加えるときれいなローズ色になる。水で好きな濃さにして飲み始めてから何だか体が軽くなったみたいと言っていた。

毎朝人参ジュースを飲み、間に紫蘇ジュースを飲み始めた。

 


ぎぼしの花と白ユリ

2011-08-27 | 写真

庭のギボシが一斉に咲きだしました。薄紫でなんとなくしとやかな感じ・・・

蕾が橋の欄干にある装飾品の擬宝珠(ぎぼし)に似ているところからギボシ(ギボウシ)という名前がついたとか。

 背の高い白いゆりがあちこちに咲きました。

風で倒れそうになったのでちょっと添え木のお世話になりながら、まるでひまわりのように太陽の光を浴びてすくっと立っています。


徳山村写真集の巻頭言から

2011-08-23 | 生き方を学ぶ

知人が長年探していた本が古本店で見つかったと知らせてきました。増山たづ子さんという方の写真集です。その写真集の巻頭言をメールで送ってきてくれました。

その写真集の巻頭言を読んで本当に考えさせられました。故郷、そして素朴な日本人の心と生き方が語られて、今一番大事にしなければならない事を伝えているように感じました。映画「ふるさと」の舞台となった岐阜県徳山村の写真集で、もう4年前に亡くなられたご本人もこの映画に出演されたとあります。

個人的にはダム建設に反対であった増山さんが「国がやろうと思うことは戦争も、ダムもやるから反対するのは大河に蟻がさからうもの」として受け止めておられたとのことです。

 

                            知人が30年ほど前 徳山村に行って写した写真

徳山村写真全記録

増山たづ子

この写真集を手にとってくださる皆様ヘ

 

私の故郷徳山村は、日本一のダムになるということで昭和六十二年(一九八七年)三月に地図から消されました。町の者から見れば、「あんな山の中のどこが良うて」と思うだろうが、私たちには犬事な故郷で、お互いに肋けあい、物がなければゆずりあい、嫌な仕事でも結をして、笑って唄って働きました。生活は貧しくても心は豊かでした。

 

冬は雪に埋もれて犬変だろうと思われるかも知れないが、冬が楽しみで、夏はさんかく一生懸命働きました。雪降りの時はそれぞれの家に集まり、お酒を呑んで笑って唄って、なかには踊り出す者もいて、またお酒の呑めない者は若き日の思い出話に花を咲かせ、イロリ端で餅を焼いたり漬物や芋の塩煮などを焼いて食べたりして日の暮れるまで遊んだものです。

 

 春は、まだ残雪があるのにブナの新緑、コブシ、桜、挑たちが一斉に咲きだします。あの時季のワクワクした気待ちは町の人には分からんだろうなー。谷辺の所に雪のトンネルが出来て、蕗の薹なんか出ていると、「やあ、お前たちよく寒い冬を頑張ったなー」と思わず話しかけたりしました。

 

夏になると川のせせらぎには河鹿蛙が美しい声で鳴き、ウグイスも唄い、夜はまた寝ながらブッポウソウやチン(ヌイドリ?)、フクロウの啼くのも聞いていました。フクロウは面白い鳥で、お天気の夜は「ノリツケ、ホーセ」、曇り空だと「ノリツケ、ドーシヨウ」と啼きました。

 

 秋は全山紅葉して、山に入るとキノコたちがいろいろ顔を出していたし、舞茸なんか見つけると犬喜びで採って負()んできて、隣近所に配ったりしました。秋の山に行くのに弁当なんか持って行く人はいません。山にはアケビやウンベの実、山ブドウ、山芋がいっぱいあったし、栗拾いで二斗や三斗拾うのは珍しくなかったから。

 

 私たちはお国のためとはいえ、仕方なく泣きながら村を出ました。お金とひきかえにした大事な大事な故郷なのだから、お金で持っていると使ってしまうからと家屋敷に皆金をかけました。徳山御殿などと揶揄されたけれど、御先祖様のご苦労を思って建てました。けれど固定資産税がドッサリきてまた皆が驚き、ここ四、五年のうちに六軒も売りに出され、いまも売りに出している人もありますが大きすぎて買い手がないという。町はお金お金お金で水までお金でなー。

 

 村にいる時は八十、九十歳になっても呆ける者はいませんでした。町に出てからは皆忙しくなり、笑いがなくなり、呆けたり寝たきりになったり白殺する者まで出だしました。いかに故郷や大自然が犬切なものであったか、失なってみて余計ありがたさがわかります。

 

 フィルムの入れ方もわからん者が、ビルマのインパール作戦で不明になった夫が帰ってきた時にダムになっていたら説明の仕様もないので六十一歳ではじめてピッカリコニカを手にして撮りだしました。この人とももうこれでお別れ、この風景ともこれでお終い、と思って涙で曇った眼でシャッターを押しました。それがいつのまにかたくさんになり、皆さま方のご好意で本にしてもらったり、方々で写真展をしてくれて白分のことよりも大事な故郷を見てもらってありがたく思っています。

 

 私はこうして村を出てきましたが、皆幸せになりますよう、毎日、朝陽、夕陽を拝んでいます。今後ともにどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。アン。

 

  

   知人撮影                       建設が始まった工事現場


トンネルの向こうには灯りが見える筈!

2011-08-22 | 世の中のこと

知人が大震災の写真集を何冊か持ってきてくださって初めの1冊は見て、後は辛くてなかなか見る気になれなかった。しばらくしてからざっと読んで返したがユーチューブで動画をみて「人間失格」という歌とともに映し出される画面を見て涙がとまらなかった。

こんなことが起こるなんて信じられないが現実その場にいて遭遇された方たちは私たちの想像を絶する気持ちだっただろう。

父が癌を宣告されてもう余命数カ月と聞かされ、看病に通う毎日、夫が亡くなった時よりも、こんな精神的にも肉体的にも辛いことはないなあと思ったが其のたびに、「明けない夜はない。トンネルの向こうには灯りが見える筈」と自分に言い聞かせて過ごした。

被災され、避難されている方たちは私の経験した辛さなどとは比較にならないくらいだろうが、どうか心を強く持って生きていってもらえるようにと念じている。

  http://www.youtube.com/watch?v=MVKWtxXtZ3E&feature=related

 


江州音頭のこと

2011-08-19 | 日々の業

昨日は大津の三大祭りの一つで近くの建部神社のお祭りでした。父が昔よく口ずさんでいた「そりゃーヨイト ヨヤマカ ドッコイサノセー  エーミーナエ サーマーターノミーナアヨ」という江州音頭の盆踊りもあるとかで知人は最初から最後まで参加して踊ってクタクタになったとブログに載せておられました。

さて「エーミーナエ サーマーターノー・・・」と幼いころ何の事だかわからないまま覚えていたのは「皆さま頼みます」ということだったのですね。ヤー是からはヨーイヤの是 掛け声をかけてくださいということを節回しよろしく歌っておられたということがやっとわかりました。

江州音頭の源は仏教のお経の節からと言われ「祭文」「歌祭文」「念仏踊り「歌念仏」そして「音頭」へと発展したそうです。明治初めに近江路一帯に広がり美濃や伊勢などにも広がって江州音頭として定着したとあります。

  

( 知人Nさん撮影 )                     豊郷の「江州音頭発祥の地」の碑

 


朝顔・アンスリューム・ベゴニア

2011-08-19 | 日々の業

昨日 朝顔がやっと咲きました。

夏は生け花の花はすぐに枯れてしまいます。玄関がさびしいので鉢物の花を買ってきて飾りました。

今まで名前も知らなかった花ですが、ピンクがきれいで年金も入ったことだし奮発して買いました。

  

アンスリュームという名前            レックスベゴニア

熱帯原産でサトイモ科の草木性の植物  室内の空気浄化と蒸散作用による保温(保冷)・保湿などの効果が得られる冷暖房の節減も期待できると書いてあったけれど、寒さに弱いとあったので頑張って育てたいなあ・・・。

 

 

 


核開発への道「ヒロシマの黒い太陽」ユーチューブ必見!

2011-08-17 | 世の中のこと

 

世界の科学者が一同に集まった。

フランステレビジョンとの国際共同制作されたもので原爆開発を巡る科学者、軍人、産業界の動きを当時の映像記録、証言をもとに追っています。

欧米の視点から原爆の開発、投下そして原子力産業への道のりを述べている。

科学者たちがナチスの被害を逃れるためにアメリカに集まり核開発をしていく様子などや、

1975年まで機密書類とされていた2万3000人の被爆者と7万7000人の被爆者の子供たちの放射線被爆のデーターが今、明らかにされていったことも語られている。

   http://www.dailymotion.com/video/xkeero_yyyyyyyyy1_tech


五山送り火

2011-08-16 | 日々の業

京都の伝統行事五山送り火を今夜はテレビでみた。大震災で亡くなられた大勢の方たちのことを想い心の中で祈った。

(今回 震災で亡くなられて方たちの鎮魂に護摩木を燃やすことで二転三転し、中止をしたことで東北の人達に大きな悲しみを二重に与えたことがとても残念に思えた。こういう時にこそ行政の指導力が発揮されなければならないのにと)

45年ほど前には京都の中立売通りから大文字をコップの水に写してその水を飲むとよいと言われてやったことがあったが・・・。コップを通してみた大文字  なつかしいが今は通りに大きな建物が立ち並び見るのも難しいようだ。

大文字の上に赤い月がでたのも珍しいことだ。

 

上賀茂に住んでいた時は家の近くから妙・法もよく見えたものだ。

 

右大文字や左大文字には登ったこともある。特に右大文字は勤めていたころ子供たちを連れて毎年登った。

京都市内が眼下に見えてとても好きだった場所で、秋には火床近くに陣取ってお弁当を食べた。山は大勢の人達で賑わっていた。

 

 

 


戦争の記憶

2011-08-16 | 昔語り

昨日は終戦記念日 戦争がこの国であったという記憶も人々の中から消えていくのではないかという、不安があります。戦争で多くの命が奪われたことをそしてその人たちの事を忘れないことが自分たちの生きる一番の意味に繋がっていくように思うのです。

結婚して数カ月で夫を戦地に送り、亡くされた沢山の婦人たち(今 テレビでもやっているそうですが)知り合いの88歳のご婦人も結婚してすぐに夫を戦地に見送られ、駅のホームで別れたのが最後だった。その時お腹の中に赤ちゃんが宿っていることもお互いに知らず、結局夫は子どもの存在すら知らないまま帰らぬ人になってしまわれたと話された。

「まるでドラマのようだね」と皆に言われるそうだけれど、戦争によってこうした悲しみのドラマが世界中に綴られたのだと思う。

婦人は「テレビでやっているとおりやけど、でも、あんなもんどころやなかったよ」と言われる。

私が小学生だった頃、近くに住む伯母さんが私を見るとよく言っておられたことを思い出した。

「あなたを見るとね、満州から引き揚げてくるとき、満州の地においてきた赤ん坊のことを思い出すんよ。生きていれば貴女と同じ年だから。」

 命からがらで逃げてくる途中で赤ん坊が亡くなりその地に埋めてきたと話されていた。

 


お仏壇とお墓のことから

2011-08-13 | 日々の業

昨日はご住職さんがお盆のお参りに来てくださった。久しぶりに家族がそろって詣ることができてよかったと思った。

お内仏(お仏壇)をきれいにして、蓮の花の入った仏花やお供えものなどの準備をして迎えるこのお盆の行事。

いつまで続くだろうか?とふと思った。私が生きて動ける間は出来るだろうが・・・次はどうだろう?などと考える。

誰がお内仏を守るということも少子化もあってだんだん難しい問題になってきているのだろうか。家に仏壇のないところも沢山ある世の中だ。

友人は墓地を買ったが一人娘が嫁いで、お墓も守ってくれないだろうから、建てるのを断念して売ったと言っておられた。 お墓やお仏壇のことを心配するようになる年齢になったのだねと先日も友人たちと話していた。

死んだあとはわからないけれど、お墓もお仏壇もなくても先祖を想い、生きていく基を仏の教えから学びとっていく気持ちを受け継いでもらえたらどんなにか嬉しいことだろうと思った。

             

 

 

 


大きな蝉

2011-08-13 | 写真

蝉もあまりの暑さにたまりかねたのだろうか、涼しいところはないかと探しているのだろうか?

台所の網戸に突然とまった。とても大きい蝉だ。

 アブラゼミでしょうか?


田の景色から

2011-08-13 | 写真

毎日暑い暑いと言いながら過ごしている。少し車で走ると田圃の稲が青々と広がり気持ちをゆったりさせてくれるようだ。原発で避難されている方々の田も何もなかったならこの様な風景が見られただろうにと思うと胸がつまる。

 


ゴーヤ大好き

2011-08-10 | 日々の業

2月の入院以来、癌の再発予防にと思って肉類を控え、人参とリンゴのジュースはかかさず、野菜中心の食事になっている。

友人や、娘が家でつくったゴーヤをもってきてくれ、ほとんど毎日のように、このところゴーヤチャンプルーやゴーヤをさっと茹でてカツオをふりかけポン酢でたべる料理が多い。ゴーヤのジュースも時には。

ゴーヤの苦味は後に残らずとてもあっさりし、ビタミンも豊富ということで気に入って食べている。

以前沖縄のお土産にゴーヤを頂いたがそのゴーヤは、やはりこちらで見るのとは違ってとても立派だった。

 


びわ湖花火大会へ

2011-08-09 | 日々の業

昨夜 久しぶりに大津びわ湖の花火を見に行った。といってもびわ湖畔はすごい人出で、車も大渋滞なので、始まった頃を見計らって車で行くと車の中から充分見られるということで連れて行ってもらった。

滋賀県に来て初めてこの大花火を見たときは本当にびっくりした。目の前で上がる花火にのみ込まれるようでその音と美の迫力に圧倒された。京都ではこれだけの花火は見たこともなかった。さすがにびわ湖の傍ならではと思った。

車上からでなかなかうまいタイミングで撮れなかったし、おまけに最後のクライマックスの大迫力パノラマの花火がカメラの充電切れとなり写せなかったのが悔やまれる。しかし目の前で見られたあの大花火は思わず手を叩きたくなるくらいの美しさと迫力だった。

 

(今朝の新聞からの写真、。来年はきっと自分のカメラで・・・)

復興への願いを込めて一万発の花火が打ち上げられ、被災者の方たちを

招待し約35万人の観客が夏の夜の湖上に咲く美しい花火を歓声とともに見入っていた。

28回目となるこの花火を父と一緒に初めて見た時の感動は忘れられないものとなっている。帰りの電車が満員で父は電車の中で財布を失くしたことも思い出した。又、ある年は父が入院している市民病院の屋上から見たこともあったし、京阪電車の中から勤務帰りに見たこと、JRに乗っているときにみたこと、図書館の辺の丘で遠くに見たこと、粟津のホームから見たことなど次々に思い出していた。

人の多い所へ行くのが苦手な私だが、この花火だけは来年も見に来ようと思った。(病気が治って元気になっていますように) 花火には派手な美しさというより、何かしら侘しいものを感じる。勢いよく上がった後の流れるような消え方や威勢よく消えていく様はまるで人間の生きざまの一つのようだ。

家庭でやる線香花火はいつまでもずーっとくっついてパチパチと光を放つ。そんなことを考えると花火も面白い。