知人が長年探していた本が古本店で見つかったと知らせてきました。増山たづ子さんという方の写真集です。その写真集の巻頭言をメールで送ってきてくれました。
その写真集の巻頭言を読んで本当に考えさせられました。故郷、そして素朴な日本人の心と生き方が語られて、今一番大事にしなければならない事を伝えているように感じました。映画「ふるさと」の舞台となった岐阜県徳山村の写真集で、もう4年前に亡くなられたご本人もこの映画に出演されたとあります。
個人的にはダム建設に反対であった増山さんが「国がやろうと思うことは戦争も、ダムもやるから反対するのは大河に蟻がさからうもの」として受け止めておられたとのことです。
知人が30年ほど前 徳山村に行って写した写真
徳山村写真全記録
増山たづ子
この写真集を手にとってくださる皆様ヘ
私の故郷徳山村は、日本一のダムになるということで昭和六十二年(一九八七年)三月に地図から消されました。町の者から見れば、「あんな山の中のどこが良うて」と思うだろうが、私たちには犬事な故郷で、お互いに肋けあい、物がなければゆずりあい、嫌な仕事でも結をして、笑って唄って働きました。生活は貧しくても心は豊かでした。
冬は雪に埋もれて犬変だろうと思われるかも知れないが、冬が楽しみで、夏はさんかく一生懸命働きました。雪降りの時はそれぞれの家に集まり、お酒を呑んで笑って唄って、なかには踊り出す者もいて、またお酒の呑めない者は若き日の思い出話に花を咲かせ、イロリ端で餅を焼いたり漬物や芋の塩煮などを焼いて食べたりして日の暮れるまで遊んだものです。
春は、まだ残雪があるのにブナの新緑、コブシ、桜、挑たちが一斉に咲きだします。あの時季のワクワクした気待ちは町の人には分からんだろうなー。谷辺の所に雪のトンネルが出来て、蕗の薹なんか出ていると、「やあ、お前たちよく寒い冬を頑張ったなー」と思わず話しかけたりしました。
夏になると川のせせらぎには河鹿蛙が美しい声で鳴き、ウグイスも唄い、夜はまた寝ながらブッポウソウやチン(ヌイドリ?)、フクロウの啼くのも聞いていました。フクロウは面白い鳥で、お天気の夜は「ノリツケ、ホーセ」、曇り空だと「ノリツケ、ドーシヨウ」と啼きました。
秋は全山紅葉して、山に入るとキノコたちがいろいろ顔を出していたし、舞茸なんか見つけると犬喜びで採って負(お)んできて、隣近所に配ったりしました。秋の山に行くのに弁当なんか持って行く人はいません。山にはアケビやウンベの実、山ブドウ、山芋がいっぱいあったし、栗拾いで二斗や三斗拾うのは珍しくなかったから。
私たちはお国のためとはいえ、仕方なく泣きながら村を出ました。お金とひきかえにした大事な大事な故郷なのだから、お金で持っていると使ってしまうからと家屋敷に皆金をかけました。徳山御殿などと揶揄されたけれど、御先祖様のご苦労を思って建てました。けれど固定資産税がドッサリきてまた皆が驚き、ここ四、五年のうちに六軒も売りに出され、いまも売りに出している人もありますが大きすぎて買い手がないという。町はお金お金お金で水までお金でなー。
村にいる時は八十、九十歳になっても呆ける者はいませんでした。町に出てからは皆忙しくなり、笑いがなくなり、呆けたり寝たきりになったり白殺する者まで出だしました。いかに故郷や大自然が犬切なものであったか、失なってみて余計ありがたさがわかります。
フィルムの入れ方もわからん者が、ビルマのインパール作戦で不明になった夫が帰ってきた時にダムになっていたら説明の仕様もないので六十一歳ではじめてピッカリコニカを手にして撮りだしました。この人とももうこれでお別れ、この風景ともこれでお終い、と思って涙で曇った眼でシャッターを押しました。それがいつのまにかたくさんになり、皆さま方のご好意で本にしてもらったり、方々で写真展をしてくれて白分のことよりも大事な故郷を見てもらってありがたく思っています。
私はこうして村を出てきましたが、皆幸せになりますよう、毎日、朝陽、夕陽を拝んでいます。今後ともにどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。アン。
知人撮影 建設が始まった工事現場