この歌 神宮外苑の再開発問題を取り上げた歌だと言われている、
いいね!こような形で人々に訴えていくサザンに
歌詞が出ないときは字幕をクリックするか、you tubeでみるとでるよ
この歌 神宮外苑の再開発問題を取り上げた歌だと言われている、
いいね!こような形で人々に訴えていくサザンに
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今年の12月から現在使っている健康保険証が発行されなくなる。「マイナ保険証」に切り替えるようにと盛んに政府は言っている。
この記事を見て、いつも行っている整形外科の先生が写っていた。先生 頑張ってはるんやなぁ!
久しぶりに松原さんに電話した。いつも元気な声でかかってくる彼女。そろそろたまにはこちらからかけなくてはと思った。2か月ほど前にお連れ合いを亡くされそれも気になっていた。
電話口の彼女はいつも通り明るい声で「丁度私も電話しようかなと思っていたところやの元気か」と言われた。
彼女とは保育園時代の同僚で一緒に仕事していた。ある日事務所に派手な格好の人が面接に来ていた。その派手な格好の人が彼女だったのだ。
一緒に仕事した期間は短かかったが、そんなに目立つこともなく皆とうまくやっていた。彼女が退職してからもずっと付き合いが続いていた。
そんな彼女が緑内障になりやがては目が見えなくなるとは夢にも思わなかった。今では白杖をつきヘルパーさんの支援で暮らしておられる。
ヘルパーさんの援助であちこち積極的に出かけ
「この間もうたごえサークルに参加して歌ってきたわ」
と話す彼女の明るい声にいつも私は元気をもらっている。
ここまでくるのに沢山の苦難を乗り越えてきた彼女に唯々頭が下がる思いでいる。
知人の二人からよく似た話を聞いた。一人は弟が離婚し一人暮らしをしていたが病気になったので姉が入院やその他の世話をしてきた。亡くなった時、お葬式もすべて姉が手続きした。その後、別れた元妻や子供が現れて弟が住んでいた家も何もかも自分たちのものにして家も売却してしまった。
姉の方はあっけにとられている間に結局自分の手元に残ったのは炊飯器だけだったという。その知人曰く、元妻に何も言わなかったのは揉めるのがいやっだったからだと話されていた。
もう一人の知人も兄が離婚して一人暮らしをしているが、高齢になり入院。妹である知人が何かと世話をしているが、兄に何かあった場合、兄は別れた妻や、子供に暮らしていたマンションなどを残すと言っているとか。
どちらもそんな理不尽なことが許されるのか、せめて言葉だけでもみてくれた身内の方に感謝の言葉などないのだろうか?と思ってしまう。
しかし同じ様な思いをされた別の友人は亡くなった母親が言った言葉が忘れられないと言われていた。
「こんな理不尽なことがと思っても、きっと前世でその人に借りがあったんやと思っておき」と。
韓国ドラマの「トンイ」はもう数十回見てきた。周りのものがあきれているが私は飽きもせず感動する場面を何度となく見る。考えればレンタルビデオショップで借りてきて見ていた昔は、返却の日のこともありそのようなことは面倒でしなかった。
しかし今は動画配信サービスで会員になっていればドラマの一話一話を選んでいつでも何度でも見られる。便利になったものだ。
最近は「奇皇后」を何度も見ている。朝鮮の国力が落ち、中国に貢女として連れていかれた女性が蔑視や嫌がらせ何度も殺されかけながらも生き抜き、やがては皇后になる話。
(日本でも朝鮮に対して先の戦争の時似たようなことをやってきた。)
演じている主人公は(女優 ハ・ジウォン)男性にも負けぬ武力の持ち主。
(これまでずっと闘いに強い女性に憧れてきたもので・・・)
中国の皇帝を演じているチ・チャンウクという若い男優もイケメンだがその演技がとても光っている。
あっ!はっ!はっ! 80のおばぁがと・・・笑わんといてや
数か月前の記事だがパソコン上に残してあった。
最近はどこの医者に診てもらっても画面上のデーターを見て話されるお医者さんが多いようだ。
私が通院している整形外科の先生は良く患者の話を聞かれる方だ。
以前診察室から出てこられた患者さんがニコニコ顔で「先生がとっても良く話を聞いてくださって嬉しかった、こんなに患者の話を聞いてくれる先生は初めてやったわ」と言っておられた。
看護婦さんや受付の事務の方は少し顔をしかめて「話が長くなると待合いの方々が大変なの」と話されていたが・・・
私も8年ほど前 厚かましくも看護婦さんにお願いし先生とツーショットの写真を、診察室で撮ってもらった、その時は今ほど混んでいなかったのか、先生も嫌な顔もされず横に並んでピースされていた、大事な写真である。
コンピューターの出現であらゆる物事が急速に世の中を変えていった。
昔を知っている人間にとっては驚きの連続である。
この記事を書かれた芝先生の言われるとおりだ。人間の心の機微にまでAIは入りきれないだろう。
言葉かけ一つで人間は希望を持ったり、落ち込んだりする。
A I に振り回されない人間が多く存在し生き残ってほしい。
昨日、娘から 5年前に亡くなった従弟の繁さんのお墓参りに行ってきたと電話があった。私も6月に入り繁さんの命日?かなと何となく思い出していたところだった。亡くなってもう5年になる。
娘が話すのには毎年家の前にやってくる蛍のことだった。
「おかしいと思わんといてな
6日の夜 外に出ると一匹の蛍が目の前に跳んできて、しばらく光を放って跳んだあとすーと2階のところまでいき消えていったんや・・・それが毎年6月の6日に。
そうや繁おっちゃんが来はったんや・・・お墓まいりに行っとこうと思ってお花もって行ってきた」
ようお参りに行ってくれたなぁ ありがとう!と私は嬉しくて心から礼を言った。
5年前に孤独死していた従弟の繁さんのことはこのブログにも書いていたが
娘の話を聞いてふと高倉 健さん主演の「蛍」という映画のことを思い出していた。
庭のアジサイが咲きだした。娘が植えてくれたマリーゴールドの花とともに賑やかで癒されている。
昨夜のテレビで紫陽花を逆さまにつるして飾っておくと病気にならないとい言っておられた。
次々に色が変わる紫陽花の花。花言葉は「移り気」と言われ病気に移らない、逆さまにつるして根がつかない「寝付かない」という諺があるそうです。
諺では他に金運アップなど多数ネットに出ていました。
2014-01-06 | 旅の途中ブログ
スマナサーラ長老の「怒らないこと」というが今まで読んできた仏教の本とは全く違う様に感じ心にストーンと落ちた。
そして「仏教は心の科学です」を読み、ますます確信した。これだったんだと。
そこに又 友人が日本仏教についての変遷を書いた本を見せてくれた。
そして義姉の葬儀で思った・・・・この生き方が仏陀が説く仏教そのものだったのではなかったのだろうかと。
テーラワーダとは、パーリ語(古代インドの言葉)で、長老の教え、という意味で、お釈迦様の時代から、二千五百年間の長きにわたって実践され受け継がれてきたお釈迦様の根本の教えなのだそうです。
先日も修行について書かれた部分を読んだ。
私も時々「修行が足らへんなあ・・」とよくいうが、そんな時、本当に「修行」の意味をわかって心底使っていたのだろうか?果たして疑問に思えてくる。
お釈迦様は『平安な心と忍耐は最高の修行です』と言われている。
「最高の修行というのは何日間も断食をしたり冬に滝に打たれる行などをして、わざと苦しんで忍耐の精神を育てなくてもふつうの生活の中で、いくらでも、平安な心を作らなくてはならない場面や忍耐をしなければならない場面が起こってきた時に、『どんなものにも波立たない落ち着いた心』と『つらいことに対する忍耐をつくること』だと話しています。
いつの時代でも、どこにおいてでも、人は修行といえばこの二つだけやればいいのです。もしも修行がしたければ、まあこの二つだけやってみてください、とお釈迦さまはおっしゃっているのです。これはやってみるとかなりたいへんで、難しいのです。」
確かにこれが一番難しい修行だろう。「できひんわ・・・」と諦めずやってみよう!そやけどこの修行、死ぬまで続くやろうなあ・・・。
1年ぶりになるだろうか?久し振りに修行僧のNさんが来られた。
話は懐かしい人たちのことから始まり、仏教の話、 生き方 、そして先の希望についてなど等 話はつきず楽しい時間があっという間に過ぎた。
学生時代親の言いつけを守り勉強一筋に励み、社会にでていろいろな人たちに出会い人間関係に悩み、苦しんできた彼が言った言葉は
「いくら勉強ができ賢くても人との関係がうまくいかなかったらだめだということがはっきりわかりました。」。
生きていくうえで一番大事なことは人との関係で自分と意見が違う人ともどのように付き合っていくかをよく考えていくことだと話されていた。
好き、嫌いで選別しがちな自身の中身をもう一度振りかえなければならない言葉だった。
お経もちゃんと呼吸法を考え健康にいい呼吸を考えて作られているという「釈尊の呼吸法」という本の話から、もう文字も小さいので彼に読んでもらうことにした。ついでに本箱にあった仏教辞典や教行信証、唯識の本など貰ってもらった。
こんな難しそうな本読まれたのですか?と聞かれ「さーっと読んだだけかもしれへんけれど 昔、 師が難しくても目を通しているとどこか心に残る部分に出会うはずと言われたから・・」と答えた。
会うたびにひとまわりずつ大きくなっていかれる修行僧のNさん。
「ええ お坊さんになって人々を導いてや~」
年末に知り合いの方が交通事故で突然亡くなられた。組合の代表の一人として大事な仕事をされ私のところにも何回かメールを送って頂いたりしていた。
年明けに同じ団地の方が病気の為亡くなった。この方とは昨年 体操のことで初めて顔見知りになり、言葉を交わしたりしていた。
続けての訃報に驚くとともになんとも言いようのない人間のはかなさを感じた。