忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

山のおもいで

2010-11-28 | 昔語り
昨夜は足を一生懸命もみほぐした甲斐があってか今朝はそんなに痛くならずほっとしていますが、腕と手が重く痛いです。杖を頼って持つ手や腕に力がはいったのですね。

小学生の子供たち3人は私を何度も振り返りながら先へ先へと登っていって途中でダンスまでしたり、かけっこしたりして、まあ羨ましいことでした。
私だって昔は・・・・と
子供の頃は父に連れられて山に入ると泣き出したと聞きました。少し大きくなっても山の中は何となく怖い感じて、いやでした。
青年の頃になると今のようにゲームとかいろいろ遊ぶ所もそんなになかったせいか皆で休みになるとハイキングで保津峡とか清滝でよく飯ごう炊爨をしました。

山には伊吹山、鞍馬山、比叡山、愛宕山、京見峠、百井峠、沢池、そして勤めていた保育園から子供たちを連れて毎年大文字山へ登りました。家からも子供と一緒に比良山の堂マン小屋に地域の皆と泊まって電気もガスもない生活を体験させたりしました。そうそう愛宕山には夜間登山もしました。

その頃は頂上からの景色を眺めると本当に何もかも忘れ、自分が小さく感じて、またガンバロウーなどと思ったりしたものです。


立木観音さんへ

2010-11-27 | 写真
先日ざっくばらん懇談会で山の話が出たのに触発されてか?膝や腰が心配でしたがまあなんとかなるやろうと呑気に決めて孫二人と近所の子供さんを連れて(最後は連れられて)登ってきました。
南郷の知人宅のガレージに車を置かせてもらい、そこから登ること約1時間 途中からは土嚢を並べた階段がずーっと続いて杖が何より頼りになりました。

だいぶ上まで登ってきました。もう引き返せないと覚悟を決めてヨーシがんばろう!


瀬田川が木の間から見えています。落ち葉を踏みしめ歩きました。


やっと頂上の立木観音さんへ 紅葉がまだきれいでした。




お茶処でおいしいゆず茶を頂きました。




平安時代前期に瀬田川の対岸に光り輝く霊木を見られた弘法大師が急流の為渡れないでいると突然白い鹿が現れて大師を乗せて渡ったとか。霊木の前まで来ると鹿は観音菩薩に姿を変えたといいます。大師が感激して立木に等身大の観音像を刻み建立したのがこの寺であるといわれています。像を刻んだのが大師42歳の厄年だったことから厄除け観音として沢山の人々が参られます。

絶縁社会

2010-11-23 | 世の中のこと

無縁社会という言葉が大きく取り上げられている。子供がいても親との断絶で何年も会わなかったりして、家族とバラバラになってしまい、1人孤立して暮らす高齢者達。

テレビでは田舎に暮らす両親の元を離れて都会に就職した時点でもうすでに親との縁が薄くなり離れていくのは当然だったと話されている人もいた。

亡くなっても遺骨の受け取りを断る家族や全く連絡がつかない家族が増えていると僧侶の方が話されていた。
知人はこれは無縁社会ではなく絶縁社会じゃないかと言っておられた。

人間が生きていくうえで一番大事にされるはずの人間同士の絆がどうしてこうも薄くなって社会現象として取り上げられなければならなくなったのか。人間の心の中の何が変化してしまったのか。そしてそれと繋がる社会は?

私の親戚でも、両親を亡くされ職につかず、自身も少し目が不自由と言うこともあるが自ら縁を断って家に閉じこもってすでに半年という人がおられる。
離れて住む姉が月1回 家に訪れるが顔を見せず部屋にいる50代のその男性の将来はと考える時、何とも心配でならない。電話も切っておられて、手紙を出しても返事も来ない。
その人の姉には連絡してどこか近所の方に相談するなり、行政に連絡するようにと言っているのだが・・・・

一方、知人は月に数回京都から愛知県までお母さんの介護に新幹線で通っておられる。お母さんは娘さんが来られるのを心待ちにしておられ、会われると昔話や今の社会についての話をされるとか。

また、あちこちで人々とのつながりを深め、新しい絆がつくられていることやシェアーハウスなどとよばれる共同生活に入っていかれる場もあると聞くが・・・。




庭の花たち

2010-11-22 | 写真


庭の隅に咲き出したつわぶき  どんどん増えてあちこちに咲いている。


紫のサフラン(別名クッロカス)は毎年 愛らしく咲いてくれる。


亡き父が大事に育てていたドウダンツツジも今年は紅葉が一段と美しい


小菊


都わすれ?


明けの明星

2010-11-22 | 写真

数日前の朝5時50分頃 まだ真っ暗闇だったが新聞をとりに出ると見上げた空にひときわ大きく輝く星が見えた。あまり大きくてあれは星なのか動く何かかもと目を凝らして見ていたらやっぱり星 「ああこれが明けの明星かしら・・・」と思った。
知人に話したら数日後写真を送ってきてくださった。
金星は美の女神とも別名呼ばれていてその明るさは太陽、月に次ぐものだった。



地球の内側を回る金星は太陽の正反対に当たる真夜中の空には現れないということで、きらきらと輝く星を見て一瞬 果てしない宇宙の偉大さを感じた・。


三朝温泉へ

2010-11-17 | 写真

知人の付き添いで三朝温泉に行ってきました。膝痛によく効く温泉ということで気分転換もかねての旅行となりました。温泉の湯はまったりとして透明でとてもよかったです。

足湯と飲泉場があり効能が沢山あるお湯でした。


 他の温泉では元湯と言われているがここでは株湯と呼ばれていてその謂れが書かれていました。


三徳山三佛寺 投入堂(みとくさんさんぶつじ なげいれどう)  天台宗修験堂の古刹
千年前頃に役の行者(えんのぎょうじゃ)が断崖絶壁の窪みにふもとで組立てたお堂を法力で投入れたと言われていて、今も謎に包まれているということです。


永源寺ほか

2010-11-11 | 写真

永源寺は少し早い時期に行きましたのでまだ紅葉が始まったばかりでした。




羅漢さんが見事でした。



紅葉とは全然関係ないですが、ちょっと気に入った大戸川の写真。

田上学区九条の会のつどい

2010-11-07 | 世の中のこと

昨日 田上学区九条の会に参加しました。
大江健三郎さん、井上ひさしさんなど日本を代表する文化・知識人の呼びかけで2004年に「9条の会」が発足し、会のアピールに賛同した人々が全国各地で「日本国憲法を守る」という一点で手をつなぎ「「九条の会」を結成し、その数は今7500を超えているということです。
田上学区の九条の会も今年で5年目を迎え、その間 地道ながらいろいろと学びの場をもって憲法九条の大切さを確認しあってきました。

昨日の会では「良き隣人としてのあり方『韓国併合』100年に思うこと」という内容で会の代表者のNさんによる話を聞きました。

日本が真綿で首を絞めるように徐々に韓国という国を脅かしていき、とうとう100年前に韓国廃滅に追い込んだという事実を聞き驚きと同時に自分の無知さを知らされたようで恥ずかしい思いがしました。そして「廃滅」という用語があまりに過激すぎるので外務省の官僚が「併合」という言葉を考案したとも話されました。

話の後で「いろいろな文化の違いを認め合いながら私達はアジア人として又地球人として隣人との付き合いをしていくことが大切だ」という声に納得し、犯した罪に対してはやはり誤り続けることでしか歩みよりはないという声にも深く心を動かされました。最後に「イムジン河」と「私を褒めてください」の歌をピアノ伴奏にのってみなで歌い会を終えました。


偉大な人たち

2010-11-02 | 生き方を学ぶ
知人が貸してくれた本を読み終えた。「必生  闘う仏教」インドで40年以上にわたり仏教復興運動に取り組みインド仏教徒の指導者として生きてこられた苦悩の人生が書かれている。

インドといえばお釈迦様の生誕地なのにどうして仏教復興なのか?と不思議に思っていたが、仏教の根本聖地となる大菩提寺が400年も前からヒンドゥー 教の寺院になっているということです。13世紀初頭からイスラム勢力の侵攻によって仏教がインド史の表舞台から姿を消したことなども勿論知りませんでした。

大菩提寺の管理権を仏教徒の手に取り戻すための運動を決意されて命がけで闘っておられる日本人の佐々井秀嶺という人の生き方に目をみはる思いがしました。

またインドといえばマハートマ・ガンディーが偉大なる人として知っていたが、アンベードカル博士こそがカースト制度を前面的に禁止した現行のインド憲法を作り上げ、インド仏教の復興を宣言された人だそうです。

偉大なる人は世界中に沢山おられるのですね。今回この本を読んでつくづくそう感じました。

以前もムハマド・ユヌスさんという人を知り、びっくりしましたけれど・・・・そんな偉大な人達からも学ばせてもらい、そして市井の中でこつこつと人たちの為にそれを当たり前のように為している人たちからも学ばせてもらいしながら生きて行きたいと思いました。