忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

「三方よし」の近江商人のふる里を訪ねて

2012-10-31 | 生き方を学ぶ

同窓会で能登川の(東近江市)五個荘へ行ってきた。

江戸時代から明治にかけて五個荘の地から革新的な商法と不屈の精神で天秤棒の重さに耐えつつ全国に行商しやがて豪商へと出世していった近江商人たちの屋敷が沢山保存されていた。

「三方よし」 の理念は五個荘石馬村の麻布商中村治兵衛の二代目宋岸だと言われている。

商いは売り手が利益を得て、買い手が欲しい商品を手に入れ、売り手も買い手も満足する取引でなければならない。

そしてその取引で得られた利益は世間の為、広く公共の為に活用されなければならない。

「売り手よし・買い手よし・世間によし」という近江商人の格言として有名な「三方よし」

五個荘小学校の門 

 

門を入ってすぐに藤井家 代々の胸像

近江商人の象徴 てんびん棒をかついでの像

スキー毛糸はここから全国へと

衝立に描かれた絵 円山 応挙の絵

英国製 オルゴール 他にもピアノやオルガンその他 当時としては珍しい物が沢山展示してあった。

紫檀の様式トイレ 

 

 

 

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「ことばの身づくろい」木津川 計さんの本から

2012-10-28 | 生き方を学ぶ

先日 木津川 計さんの話を聞いた折、とても話がよかったので先生のサインをもらい本を買った。

読んでみるとまたこれが面白い。先生の本は以前にも読んだことがあったが、今度のも面白くて考えさせられる所が沢山あった。たとえば

「体裁のいい新造語や目立ちたがり屋の流行語には容易に与せず、古めかしくても味のある正当で美しい日本語を守っていきたい。」とある。自分自身、はたしてどれだけちゃんと美しい言葉、正しい言葉を使っているかといえばとても恥ずかしいが、それでも日本語の大切さはわかるような気がする。

ひとり納得しつつ声をだして笑って読んでいた部分のひとつに

カタカナ語が氾濫し中高年がそれに追いつけず、I T革命も加わって情報格差がもたらす貧富の差。

I T 革命の圏外に置き去りにされて蒙る不利益だと述べておられる。

NHK放送文化研究所が平成11年に行った「外来語理解度全国調査」の結果「ホームページ」という言葉を聞いた人は95%にのぼるが正しい意味を知っている人は40% など他にも例があげられて最後にカタカナで使うことが手っ取り早い上、格好良く賢そうに見える。しかし国民多数派を意味不明の領域へ追いやっているのだ。そんな勝手が許されていいものかどうか。と書かれている。

10年以上前の調査なので現在は理解度が深まったかもしれないが、逆に老人も増え、カタカナ語が増えたりしてより一層 疎外感を感じるお年寄りが多くなったか どちらであろうか。

確かにそうです。私もいまだにズボンのことをパンツって呼ぶようになったことに違和感を感じるのです。

パンツはズボンと違うやろ!あれは下着や!ズロースとまでは言わへんけど・・・・?それでもけったいやなあ

移り変わることばとして書いてあります。とっくりタートルネック・ チャックファスナー 

襟巻マフラー   首飾りネックレス   台所キッチン  乳母車ベビーカー

帳面ノート    白墨→チョーク   アベックカップル   月賦ローン  野外アウトドアー

まだまだありますが私が使っていた言葉が全部書かれていてそういえばカタカナになっています。

以前 百貨店って言ったら 何?って聞かれました。 私もほんとうに随分古い人間になったものです。

まだまだ一杯 面白いことが書いてあって飽きることなく読みすすみました。

         

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母のこと

2012-10-21 | 生き方を学ぶ

昭和19年戦時中に生後7ケ月か10ケ月?の私を引き取り育ててくれた母は苦労人だった。

明治37年生まれの母の話はまるでドラマになりそうで時々思い出しては今の自分がいかに軟弱かとつくづく思う。

母だけでなく明治、大正を生きてこられた人達の話を聞くと、どの人達もすごい人生を歩んでこられたのだなあと思う。

母は京都 祇園の料理屋の娘として生まれたと聞いた。何かの本で祇園に松村家・竹村家」・梅村家と名のる料理屋があったということを読んだ。竹村の家には兄3人と姉1人がいて母は一番末だった。3歳くらいの時 父親がお相撲さんに肩入れし過ぎた為 店が傾き一家離散になったらしい。(真偽のほどはわからないが?)

母の母親はその当時としては高い教育を受けていたらしく子供たちをおいて家を出てその後 検事さん?と再婚されたという。

母は養女に出され、そこでお婆さんに相当いじめられたと言っていた。祇園街の中で琴や、三味線、長唄、鼓、舞などあらゆる芸事を習わされ芸の厳しさに死のうかと思ったこともあると話していた。

養女に出された先から又奉公に行きそこでもいろいろ苦労し学校にも行けなかったようだ。

  母と私

母は結婚したが、相手の人は新聞記者で何かが原因で左遷されそのうちに酒に溺れるようになり別れた。子供を産んだがその子供が小学生に上がる時、別れた夫の元に返したと言っていた。それ以後その子供にも会う事もなかった。(東京にいると言っていたが、もうその方も生きてはおられないだろう)

関東大震災の時は東京にも住んでいて震災にあった時の事も話してくれた。先の戦争も体験し食糧難にも遭いながらも私を育ててくれた。愚痴一つ言わず生きてきた母はすごい人だったと思う。

何事もこだわらず私が幼い時は厳しかったが大きくなると何も言わず自由にさせてくれた。そしていつも私を信頼し応援してくれていた。そんな母にもっともっと優しくしておけばよかったといつも悔やまれる。

 

 

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枸杞(クコ)酒

2012-10-17 | 日々の業

数か月前にお店でクコの実の乾燥したものを見つけ買ってきた。

クコの実は目に良いと言われていたからだが、買ってきてヨーグルトに入れて食べたりしていたが、まだ沢山残っていた。

先日 スーパーで200mlのホワイトリカーを目にし、クコ酒にしようと思い付き早速漬けこんでみた。

1ℓの焼酎では飲めなくなった時 困るので丁度200mlがいいくらい。

この本1990年発行 30数年前の本だけれどよく開いて読んだ。

 

枸杞(クコ)酒は古くから不老強壮の薬として有名だそうで、肝臓、腎臓、肺臓を補い頭痛 視力障害、眼病 咳などによいと書かれている。

さて冬なら冷暗所におき3カ月で熟成と書かれているので飲めるのは1月末頃になりそう。

うまく熟成してくれるといいのになあ・・・楽しみ 楽しみ 

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蜘蛛の出現 多いです。

2012-10-15 | 日々の業

京都に住む知人が稲刈りがやっと終わったと送ってくれた沢山の写真の中に蜘蛛が写っていた。

今年はやたらに蜘蛛が多いと感じる。家では物干し竿や庭のあちこちに蜘蛛の巣がはって、玄関の戸を開けると蜘蛛の糸にひっかかり、新聞をとりにでるとポストの前に蜘蛛の糸がはっており、毎日払いのけて新聞を取り出す始末。

しまいには家の中にも天井からすーと小さい蜘蛛がぶらさがって降りてきて驚かす。

私の家だけかなと思ってご近所に聞くとやはりよく出るとのことだった。

知人が撮った写真の蜘蛛  ↑

以前にお風呂場の窓に大きい蜘蛛がきれいな蜘蛛の巣を貼っていたが、今年は本当にやたらに多く感じる。

でも最近は涼しくなってきたのでだいぶ少なくなってきたけれど、まだ庭に頑張って蜘蛛の巣をはっているのもいる。

蜘蛛の糸にひっかかっているのは?

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肥田舜太郎先生のお話を聞く

2012-10-09 | 生き方を学ぶ

昨日は広島で原爆にあわれた医師の肥田舜太郎さんの話を聞きに行った。

15年ほど前に私は原水爆禁止世界大会に行ったがその時でも被爆者が高齢になって原爆の事をじかに聞ける最後になってきたと言われていた。大会ではあまり記憶に残っていなかった原爆投下時のことを先生の口から実際に聞くことができたことは感動と同時に沢山の宿題を与えられた感じだった。

95歳とは思えないほどの口調で1時間30分ほど立ってのお話だった。私たちが経験したことのない沢山の事を通じてうちだされた言葉は机上の研究者の話を聞くのとは違い、真に心に強く響くものがあった。

お話の中で知ったこといろいろ(私流のメモ書きなのでちょっと間違いあるかも?)

アメリカは原爆投下の3年前にすでに広島に投下することを決めていて、戦争が始まってからも広島には実弾は落とさず飛行機から写真を撮り、人々が沢山出てくる時間帯を計っていて8時15分という時間も決めていた。

こうして準備周到の上日本人を使って原爆の威力を試そうとしていた。

日本は原爆を落とされたにもかかわらずその経験を学ばずアメリカの言い分を信じている

政府は今すぐにでも日本中の医師を集めて対策をとるくらいでないと間にあわない。

原爆投下の直接被害で殆んどの人たちが火傷で亡くなっていったが、医師はなすすべもなく唯死亡確認をするだけだった。

当日被爆しなかった人達に被爆者と同じ症状が出て、伝染病の疑いを確かめる為にロウソクの灯りの中で遺体を解剖し、伝染病でないことがわかったが、放射線の被害だということが当時はまだはっきりしなかった。後にぶらぶら病とわかる。

原爆はアメリカの機密事項で被害を受けた人間はその症状を親にも言ってはならず、医者や医学者は患者を診てもよいがその結果をカルテに残してもいけない。研究もしてはいけないという命令が出て被害の状態を医者にも言えない状況が7年間も続き日本は惨い状況におかれていた。

その後政府は安保条約を結び、67年間いまだにアメリカの言いなりになって、何兆円という金をアメリカに払い基地に住むアメリカ人の為にゴルフ場や一家族に3つもの風呂を作ったりと日本の税金を使ってやっている。

福島の原発事故で日本中の人がすでに放射線被害をうけ線量の多少にかかわらずヒバクシャとなってしまった。

日本の政府は国民を命のある人間としてあつかわず、原発、核を作って巨額な富を得てきた勢力は今も金の力で放射線の被害の事を隠そうとしている。

今、私たちは原発を推し進めようとしている力に負けない、より大きな力をもってすべての原発を止めなければならない。

アメリカの核兵器はすぐにでも持って帰ってもらう。

自分の命は自分で守る。

放射線の治療法は今でも見つからないが、やるとすれば、早寝早起き、食べ過ぎないことが免疫力を高めることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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運動会

2012-10-05 | 写真

30日に予定されていた小学校の運動会が台風で延期され、3日に行われた。暑いくらいのよい天気になった。

走りはちょっと苦手な様子の孫 私も運動会の日は何となく憂鬱だったなあ・・・

昨年同様 5・6年生の新ソーラン節は勇壮でよかった。

組体操、 倒立がやっとできてよかったね。皆 頑張ってよくやった!

今年は終わりがけに敬老席が空いていたので勇気を出して厚かましくも前に座らせてもらい写真を撮ろうとしたのだが、孫たち6年生は反対の方や横を向いて演技し、残念ながら横顔しか撮れなかった。

(うーん デジカメの望遠がきくのが欲しいなぁ~)

最終学年の子どもたちが最後に列ごとに前に出てお礼の言葉をいう所では胸に迫るものを感じた。

幼かった1年生がこんなに身体も大きくなりもうすぐ中学生として跳びだそうとしている。どうかこの子どもたちの未来が明るいものでありますようにと祈らずにはいられなかった。

 

 

 

 

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