昨日は広島で原爆にあわれた医師の肥田舜太郎さんの話を聞きに行った。
15年ほど前に私は原水爆禁止世界大会に行ったがその時でも被爆者が高齢になって原爆の事をじかに聞ける最後になってきたと言われていた。大会ではあまり記憶に残っていなかった原爆投下時のことを先生の口から実際に聞くことができたことは感動と同時に沢山の宿題を与えられた感じだった。
95歳とは思えないほどの口調で1時間30分ほど立ってのお話だった。私たちが経験したことのない沢山の事を通じてうちだされた言葉は机上の研究者の話を聞くのとは違い、真に心に強く響くものがあった。
お話の中で知ったこといろいろ(私流のメモ書きなのでちょっと間違いあるかも?)
アメリカは原爆投下の3年前にすでに広島に投下することを決めていて、戦争が始まってからも広島には実弾は落とさず飛行機から写真を撮り、人々が沢山出てくる時間帯を計っていて8時15分という時間も決めていた。
こうして準備周到の上日本人を使って原爆の威力を試そうとしていた。
日本は原爆を落とされたにもかかわらずその経験を学ばずアメリカの言い分を信じている
政府は今すぐにでも日本中の医師を集めて対策をとるくらいでないと間にあわない。
原爆投下の直接被害で殆んどの人たちが火傷で亡くなっていったが、医師はなすすべもなく唯死亡確認をするだけだった。
当日被爆しなかった人達に被爆者と同じ症状が出て、伝染病の疑いを確かめる為にロウソクの灯りの中で遺体を解剖し、伝染病でないことがわかったが、放射線の被害だということが当時はまだはっきりしなかった。後にぶらぶら病とわかる。
原爆はアメリカの機密事項で被害を受けた人間はその症状を親にも言ってはならず、医者や医学者は患者を診てもよいがその結果をカルテに残してもいけない。研究もしてはいけないという命令が出て被害の状態を医者にも言えない状況が7年間も続き日本は惨い状況におかれていた。
その後政府は安保条約を結び、67年間いまだにアメリカの言いなりになって、何兆円という金をアメリカに払い基地に住むアメリカ人の為にゴルフ場や一家族に3つもの風呂を作ったりと日本の税金を使ってやっている。
福島の原発事故で日本中の人がすでに放射線被害をうけ線量の多少にかかわらずヒバクシャとなってしまった。
日本の政府は国民を命のある人間としてあつかわず、原発、核を作って巨額な富を得てきた勢力は今も金の力で放射線の被害の事を隠そうとしている。
今、私たちは原発を推し進めようとしている力に負けない、より大きな力をもってすべての原発を止めなければならない。
アメリカの核兵器はすぐにでも持って帰ってもらう。
自分の命は自分で守る。
放射線の治療法は今でも見つからないが、やるとすれば、早寝早起き、食べ過ぎないことが免疫力を高めることになる。