忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

義姉のこと

2010-04-30 | 生き方を学ぶ
亡夫の姉は今日2回目の大手術をうける。朝からやはり心 落ち着かない。お内仏に手を合わせ夫や父、母にどうぞ手術がうまくいくようにと祈る。困った時の神頼みなど・・と言われてもやはりどうしょうもない時は祈るしかない。
義姉は私の大好きな人であり、尊敬できる人、太陽のような人 そして誰からも頼りにされ美人で 頭もよくおおらか。ホームレスになった人やいろいろ問題を持った沢山の人を助けてきた人なのにどうしてこんな病気(腹膜播種)になってしまったのかと思うと本当につらくなる。

それでも義姉は希望ををもって前に進んでいかれる。見舞いに行った人が逆に励まされて帰ってきたり、病院や温熱治療、そしてうたごえの練習にとバイクで走り回り、「癌の患者とは思えへん」と周りの人がいう。

手術後の生存率30%といわれ、「その中に入っている私は患者の希望の星やね」と笑って話される。抗がん剤の副作用も殆どなく体力、気力ともすごいと医者に言われている義姉
今度もきっときっと3週間で帰って来られることを心から祈っている。

グランドゴルフ

2010-04-28 | 写真

26日は年金者組合で久し振りのグランドゴルフがあり、参加しました。変形性股関節と膝関節症をもっているので、ちょっと考えたけれど、まあ 新緑の中で過すのもよいだろうと思い皆で行きました。

まだ八重桜が咲いて山々の緑も美しく、中高年の人達が沢山来て楽しんでおられました。


近江八幡で同窓会

2010-04-25 | 写真

保専時代の同窓会で近江八幡へ行ってきました。同級生が管理されている八幡のその店は障害のある人達の作品を売ったり、喫茶店をしておられます。しゃれた店構えで毎年 そこの奥座敷でお昼を頂きながらの同窓会はとても楽しいものです。

今年は船の予約がとれず近くの八幡山にみんなで登ってきました。ロープウェイで登って少し歩いた頂上では八幡市内や琵琶湖が見えて新緑の山々もとても美しかったです。

観光客も結構多く見るところも沢山あって近江八幡は何回も行きたい所の一つです。


リトリートセンターにて

2010-04-24 | 写真

義姉たちと北小松へ行ってきました。琵琶湖を背景につつじが美しく咲いていました。

同志社のリトリートセンターの中には新島 襄の書やイラスト入りの英語で書かれた日記、絵などが展示されていました。亡くなる3週間前の書には病を患っても志を持って進もうというような意味の言葉が書かれていました。

帰って新聞を見ると「本の大路小路」というコラムに『新島襄の手紙』という本の紹介文を偶然に目にした。国禁を犯して渡米した21歳の新島襄が京都に学校設立を決意したのは32歳の明治8年。京都四条の北座で3000人の聴衆集めてキリスト教演説会を開いていた。等など書かれていて一度この本を読んでみたいと思った。


心の真実

2010-04-21 | 生き方を学ぶ

「新訳仏教聖典」の中でちょっと面白くて考えさせられた部分があった。

ある所に親切で謙遜で静かであるという評判の女性がいた。その家の下女がある日「私の主人はまことに評判がよいが心の内に怒りを持っていて外に現さないだけではないだろうか、一つ試してみよう」と思った。

そこで朝 遅くまで寝ていると女主人が「今日は遅いではないか。何故 こんなに遅くおきるのか」と聞いた。「それはなにも あなたに関係ありません」と言うと主人は腹をたてて額に怒りの筋を表した。翌日も同じようにすると今度は怒りを抑えきれず棒で下女を叩いた。

 世尊は弟子達に「誰でも面白くない言葉が自分に聞こえぬ間は親切で謙遜で静かである。それが自分に聞こえた時に、真実にそうであるかが定められる。」と話された。

自分に振り当てて考えてみる時、常に平静であろうと思っていても自分に振りかかってきた言葉や行いに対してとても冷静ではいられずかっとなってしまうことがある。

又、体の調子や気分がよくなかったりするととたんに平静ではいられない。 平常心を保つなどということはとてもとても出来ないことだと思うけれど・・・・・。最低限 その時または直後にハッときずかせてもらえれば二割がたおまけ??してもらえませんか?こんなこといったら怒られますか?いいえ怒られる筈ありませんか?


毎日サンデー

2010-04-19 | 写真

少々 手入れの行き届かない庭にもチューリップが咲き始め、もみじの木にもやわらかい若葉が出はじめました。

「おばあちゃんはいいなあ・・・毎日 お休みで」と孫が月曜日の朝 言います。

そりゃ、いっぱい働いてきましたよ。私もーー。30数年間。それまでは朝にゆっくり出来るのをどんなに夢みたことか。今は 孫育てで、朝6時には起きて孫を学校に送り出すまでは、バタバタだけれど、それからは新聞をゆっくり読んで自分のペースで家のことをやっていく。誰にも縛られることなく動けることの嬉しさ!お金はなくても替えがたい幸せ感。

       

 


怒りに燃ゆる島

2010-04-17 | 世の中のこと

「私は島を愛する/・・・南太平洋の一点 北半球の一点/ああ そして世界史のこの一点/ 私はこの一点を愛する/毅然と己の力一ぱいで黒潮に挑んでいるこの島を」

今日の赤旗新聞の潮流に載っていた文です。この詩を読んで本当に胸いっぱいになりました。

この詩を書いた泉 芳朗さんという人は「奄美群島の日本復帰の道を開いた指導者」だったそうです。(以下 新聞からの部分抜粋です。)

アメリカ軍普天間基地のヘリコプター部隊の移設話がもちあがっている徳之島も奄美群島のひとつです。

戦後 米軍は奄美を沖縄とともに本土から切り離して軍政をしき住民を苦しめます。1951年、復帰協議会の旗揚げ。奄美共産党の代表が泉に頼みます。「奄美のガンジーになってください。」

泉は復帰協議会の議長になり復帰を求める署名運動を始めます。2ケ月足らずで14歳以上の住民の99・8%が署名し神社では5日間の断食に入った泉に米軍は驚きます。泉に続き断食は群島すべてに広がり、商店もいっせいに休みました。

52年、泉は名瀬市長に。翌年、復帰の悲願はかないました。そして泉が残した詩が冒頭です。

60年近く前に島の復帰にかけた人々のことが(沖縄の人々も) いまさらのように私の心に問いかけてきた。何も知らなかった、知ろうとしなかった自分を許してくださいと。そして、今度の基地問題こそは日本全土で自分たちの国のこととして考え、行動しなければ・・・・と。 (えらそうな事書いてしまった。シマッタ・シマッタ どうしよう・・

 


海津大崎の桜見物

2010-04-15 | 写真

桜も美しかったけれどこの3人の服の色も綺麗でしょ!

友人が誘ってくださって海津大崎の桜を見にいってきました。

こんな寒いお花見は初めてで、他の花見の人達も寒い寒いと言いながら鮮やかな桜の長いトンネルにみほれていました。これだけ長い沿道の桜はなんといっても見事で、それに琵琶湖を背景にしてというのも最高でした。天気がよければもっとくっきりと見えたでしょうが、花見客ももっと多く車も渋滞したかもしれません。帰りは奥琵琶湖ドライブウエイをとおってずっと桜を見ながら帰ってきました。

 


思案のしどころ

2010-04-13 | 日々の業

今日 免許の更新に行ってきました。もう更新もこれで最後となるでしょう。2年前に事故を起こして(赤信号で止まっていて後ろから追突された)もう二度と車に乗らないと決めたのもつかの間、やっぱりこんな不便なところに住んでいると車がないと行動できないと思ってしまう。なければないでそのような生活スタイルにすればよいと思うのだけれど、一度便利な車に乗ってしまうと駄目ね・・・・・。意思が弱くて
この間の新聞記事にも滋賀県の大型団地であちこち老齢化が進み、車を70歳代では50%の人が手放し、生活に不便さを感じていると報じられていた。本当に其のとおりで、ここでも近くにあったスーパーが姿を消してから随分不便になり、定期バスで毎日買い物にいく方や歩いて40分くらいの所に行く人など。足が悪いとそれも出来ずに食材の宅配を利用している方もおられる。
若い時は自然一杯で素晴らしいと思って来られた方も老齢になると、駅近のマンションに移られることもよく聞く。
さあ、蛍が舞い清流と山に囲まれた自然をとるか?ちょっとごみごみしていてもお店や病院の近い街をとるか?ここは思案のしどころ。


パソコンで買い物

2010-04-11 | 日々の業

ずっと以前 まだパソコンが普及していなかった頃、「きっと、先にはテレビで買い物したり出来るようになるよ」という話を聞いていましたが、本当に現在テレビやパソコンでの買い物が日常的になってきています。あの時 話してたことが本当になったなあとつくづく思います。 
店舗を持たずに売り買いできるパソコンでの売買は信用性とかいろいろなことで問題が派生することもありますが、ちゃんと使えればやっぱり便利で安いものも買えます。
唯、地域の小売業の方たちはそれでなくても大型店に客を取られて廃業を余儀なくされている所も多くあると聞くと、便利さ、安さだけではない大切なものも失っていくのかもしれません。人と人のつながり等など・・どんどん遠のいていくようですね。
とはいうものの私自身もパソコンでの買い物が随分増えました。遠赤外線ストーブは東京の秋葉原の電気店からとても安く買って喜んでいましたし、本はアマゾンで注文して驚くほど早く送られてきたし、薬、お茶、洗剤、古くなった洗面化粧台の取替えに買った化粧台等など 流れには勝てなかったわけで何か複雑な気持ちです。


安曇野ちひろ美術館へ

2010-04-09 | 写真

北アルプス連峰を臨む

美術館の中からの景色

誕生日に娘が旅行券をプレゼントしてくれ、一度行きたかった安曇野ちひろ美術館に行ってきました。

素晴らしい景色のなかに建つ美術館で、ちひろさんのあのやさしい子供たちの絵にぴったりの心をゆったりとさせてくれる場所でした。

展示品のひとつひとつがどれも感動で、今回、企画されていた「ちひろ・母のまなざし」はちひろのお母さんの歴史が写真とともに展示され教師をされていたお母さんが休憩時間に、用務員室で赤ん坊のちひろに授乳しながら勤務されていたということを知り、キャリアウーマンの先駆者やなあと思いました。

又、ちひろ自身も生活のために何ヶ月間か実家に子供を預けての体験の中、本当に苦労して幼い子供に会いに行く時の手記には心がふるえました。、そしてちひろが28歳ですでに日本共産党に入党されていたことを知りまたまたびっくりしました。

ちひろの絵をみる時すべての人達はきっと心がやさしくなるのだろうなあとつくづく思いました。


瀬田川の桜

2010-04-06 | 写真

瀬田川沿いの桜

孫たちの春休みもあと少し。南郷水産センターに遊びに連れて行ったらお休み。前のアクア琵琶も閉館、瀬田川クルーズも休みらしい。「最悪!!」仕方ないのでフォレオまでプリクラを撮りに付き合ってソフトを食べての半日でした。

あちこちが桜一色です。


飛行機の音

2010-04-06 | 世の中のこと

飛行機の音、それも夜間の音はなんとも私にとっては不思議なくらい不気味でいやな音なのです。どうしてだろうか?と考えると、きっと赤ん坊だった頃、飛行機の爆音を聞くたびに母が布団をかぶってじっと過ぎるのを待っていた。その時の体験が赤ん坊の私の脳に恐れとしてインプットされたのかなあなどと考えます。

沖縄の人達は米軍機の低空飛行に頭上からふりそそぐごう音は、まさに「音による拷問」だと表現されています。広島県の知事や群馬県の知事さんが政府に低空飛行の中止を要求しておられるとのことですが、政府は米側にちゃんと言えないままらしいです。
政府や米軍は、日本の航空法が規定する「最低高度基準」を米軍機が守っているというそうですがこの規定は取材や遊覧飛行のもので高速で大きな爆音をまきちらす軍用機の低空飛行訓練のものではないとのことです。
又、訓練ルートさえ明らかにせず、日本全土を自由勝手に米軍機が低空飛行訓練をしているということや、アメリカ国内では「野生動物」への影響まで事前に調査して訓練ルートを規制しているのに、日本では国民への影響さえ考えずに飛んでいるということを知ってびっくりしました。

アメリカに守ってもらっているなどと言っておられる状況ではないのでは?
戦後60年もたっているのに何時までアメリカの言いなりになっているの?
いい加減にしてよ!と言いたい気分でした。でも、その為にはもっと国民も政治のことを自分のことと関係ないなんていってないで勉強しなくはね。


お花見

2010-04-04 | 写真

今日は昨日とくらべ風もなく暖かい日で年金者組合のお花見に参加しました。組合員さんの1000坪もある庭の桜が美しいということでそこで20数名が集まってお弁当を食べ、賑やかに過しました。しだれ桜が本当に満開で素晴らしかったです。

一杯飲みながら談笑する組合員さん

会員さんの部屋から見える田上の景色

 

写真が表示されなくなっていたので本にしてあったのをスキャンして。