忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

母親大会に参加して

2011-10-31 | 世の中のこと

昨年は体調不良で参加できなかった母親大会に昨日は参加してきました。まる1日となると少ししんどいので午後から帰るつもりでいましたが結局最後まで参加しましたがさすがに疲れました。

6人 分乗の車はびわ湖沿いの湖周道路を走り、眺めがよく気持ちよい出発でした。

 

遠くに風車が見えます。               曇り空でしたがびわ湖の湖上には鴨の群れが

コスモス畑がずっと続いてきれいでした。車の中からなのでうまく写せませんが

近江八幡の小舟木エコ村という所ですが、初めて知りました。人と自然が育まれるまちづくりをということで建てられている家々だそうです。1区画あたり5本以上の樹木を植栽、菜園を10坪以上設ける、雨水タンクやコンポストの設置他いろいろの条件があるそうです。

昨年高齢者大会でお目にかかった清水ただしさんの分科会に出ました。

皆を笑わせながら社会の問題をわかりやすく話され会場は笑いの渦でした。

安斎育郎さんの原発の話し勉強になりました。1300名の参加者以外にももっと知ってほしいわ!と。

きたがわてつさんの美しい歌声にうっとり  エツ! 還暦を迎えはった人なの信じられへん若いねえ・・・

日本国憲法を美しい歌で歌われました。ジーンときて とても良かったです。

 

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親子リズム運動会へ

2011-10-28 | 写真

びわ湖の傍にある におの浜ふれあいスポーツセンターで新婦人の赤ちゃん・親子リズム運動会があり、写真を撮りに整骨院に行った帰りに寄りました。

何年か前は水中ウオーキングをやりに ここのプールに通っていました。

今日も親子連れの新婦人の若いお母さんたちが沢山集まってリズム運動を楽しくやっておられました。

 

撮った写真を見ると殆どボケていて、自分と一緒やわ・・・と思わずため息・・・

でも 久し振りに可愛い子供達の姿に出会え、保育園時代にやったリズム運動を思い出していました。

 

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日野原先生の100歳記念出版の本

2011-10-27 | 生き方を学ぶ

もう1ケ月以上前の敬老の日に親しくしている88歳のご婦人に日野原先生の100歳記念出版の「いのちを育む」という本を贈った。「よいことが一杯書いてあったわ」と言ってとても喜ばれた。「貴女も読んでみたら」と読み終えられた本を貸してくださった。

これまでにも日野原先生の本は何冊か読んだが100歳の方が書かれた生き方がやはり素晴らしく思えた。

おわりの  「これからの世界、これからの日本」という部分で、東日本大震災が起こった時、世界各国からすぐに支援の手が伸べられ、世界中が被災した人間の命を助けるために力を貸してくれたことは、これまでの世界の歴史にはなかったことではないだろうか。 

世界で唯一の被爆国である日本は本当に命を大切にする国として外国に見本を示す時だ。

武器を持たない「平和国家・日本」を示すことが求められている

私たちの国の宝は人間だからです。日本という国は領土に固執するのではなく、人間を教育してすぐれた人材を世界に送り出していけばいい、。と述べられています。

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秋の庭

2011-10-24 | 写真

薄紫の野菊 沢山咲いて庭をにぎやかにしてくれています。忘れ名草だとずっと思っていましたが違ったようです。

ホトトギスもがんばって咲いてくれました。

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図書館の景色

2011-10-20 | 写真

県立図書館へ久し振りに行ってきました。今日は本を借りるのではなく図書館にあるレストランへお昼を食べに行ったのです。気候もよく結構沢山の人達がきておられました。カメラでパチパチ一杯撮ってきました。

竹の小道はとても素敵です。

石橋をわたって

きれいな水が流れていてススキがそよぎ秋ですね~

 

茶室が見えます。お抹茶も頂けます。

鯉がたくさん寄ってきました。

紅葉はもうあと少しというところ

 

 

 

 

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「ブッダとそのダンマ」の本より

2011-10-18 | 生き方を学ぶ

この間 少しずつ読んでいた「ブッダとそのダンマ」

ダンマとは仏教の本質の意味で人と人との間の正しい関係の確立であり、慈悲の心を基礎とする道徳の確立でもあるとアンベートガルはいう。

ブッダが伝えたかったことをアンベードガルが徹底的に研究し、不可触民解放のためのバイブルであり手引書として書かれた本で、これまで読んできたブッダに関するものとまた違った角度からも読むことができた。わかりやすく常に傍に置いておきたい本となりそうです。

ブッダが修正したもの

* 妥当性のある因果の大法則を彼は容認した。

* 神が人間や世界に何が起るか予め定めたという宿命論やそれに似た馬鹿げた考えを否定した。

* 前世に犯した一切の行いは苦しみを生み現在の努力を無意味化する力を有しているという説を否定した。

  彼はカルマの宿命論を否定し、もっと科学的カルマ理論に置き代えた。

* 輪廻は再生論に置き代えた。

* 霊魂の解脱論をね涅槃論に置き代えた。

ブッダが認めたもの

 ブッダの教えで最初の際立った特色は、あらゆるものの中心に‘心‘をおいたことである。”心”は物事に先んじ、支配し造り出す。もし”心”を完全に把握すればすべての事も把握できる。

”心”は総ての働きを導くものであり、主人であり、”心”そのものがその働きでできている。先ず専心すべきことは心の修練である。

第二の特色は、我々の内外に起こる総ての善悪は心が生みだす。悪や悪に関連し悪に属する一切の事柄は心から生じる。善についても同様である。閉ざされた心で語り、行為すれば、牛に曳かれる牛車の車輪のように苦しみがついて回る。それ故心が澄み切っていることが宗教の核心でなくてはならない。

第三の特色は一切の罪深い行為を避けよ。第四に新の宗教は宗教書の中ではなくその教えの実践にあるとした点である。

            (B・Rアンベードガル  山際基男 訳 「ブッダとそのダンマより」)

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秋の野の花

2011-10-13 | 日々の業

ゴミ置き場の金網に紫色の実をつけたつる草が絡んでいるのを見つけました。横の金網には白い小さな花をつけたつる草が咲いていました。

ススキもついでに頂いて忘れ名草やホトトギスも仲間にして今日は野の花を飾ってみました。

生け方も自分流ですが案外いいものだなあ・・・と一人で喜んでいます。

 なんていう名前かしら?

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秋の味覚

2011-10-11 | 日々の業

先日の区民運動会に綱引きに出た娘がプログラムの端にある抽選券を出しておいたら松茸が当たった。

早速松茸ごはんを炊いて持ってきてくれた。うーん良い香りでこんなに早く食べられるなんて嬉しいこと!

続いて知人が自宅の栗が一杯なってと言って沢山の栗を持ってきてくださった。一緒に大根の間引き菜も。

おまけに夕方門扉に掘りたてのサツマイモが袋に入れて掛けてあった。年金者組合の畑で採れましたと書いたメモが入っていた。

大根の間引き菜はお揚げと共に炒め煮にしてその日頂いた。

栗は先日 生協で買った冷凍の栗で栗赤飯を炊いて少し失敗したので、もう一度挑戦した。やはりモチコメを入れて昆布も調味料として入れて炊くと炊飯器から栗の香りもして美味しいのが出来あがった。

栗もとれとれだものね。やっぱり冷凍とは違うし、何より甘かった。残りの大きい栗は甘露煮にしてみようかと思う。

 

  珍しくイチジクはスーパーで買って食べてみた。昔ご近所の庭にできていたなあ・・と思いだしていた。

こうして秋の味覚に触れ食べられるようになったことに感謝しつつ・・・。

 

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小出裕章先生の講演に感動

2011-10-10 | 生き方を学ぶ

昨日は京都大学・原子炉実験所の小出 裕章先生の「福島第一原発事故の真実という講演を聞きに行ってきた。

話の内容は具体的でたとえ話で表しながらとてもわかりやすかった。テレビで保安院の人が原子炉建屋内部の説明をされているのとは大違いだった。これなら誰でもわかる。

まず原子力発電所なるものの内部はどうなっているのかということから、先生が唯一恩師と呼べる先生が昔 「これは原子力発電所って呼ぶんではない。{海 温め装置}だよ」と言われたと話された。

へーそうやったんか・・・とまず驚いた。1秒間に70トンもの熱を海に放出されたら海に住む生き物はたまったものじゃない。生きていけへんや と。

それに電気100万kWを出すために海を温める熱を200万kWを作るなんて無駄なことして、それでまだ崩壊熱という放射性物質がずーと溜まっていくんだって。この放射性物質を消す力をまだ人間は持ってないから、100万年に亘って生命環境から隔離しなければならないという。

(当日配布された資料の中から抜粋)

事故で、大気中に放出されたセシウム137は広島原爆の170発分・セシウム134は300発分にあたり、チェルノブイリ事故の避難基準を適用し、日本の法令を適用すれば福島県全域に匹敵する地域を放棄しなければならない。

又福島県の東半分を中心に宮城、茨城、栃木などの特定の地域を放射線管理区域にしなければならないほどの汚染を受けたと話された。

土地も食べ物も、がれきも下水の汚泥もすべてが放射性物質になった。放射能で汚れた世界で生きるしかない。

この事態を許した大人として私たちはどう生きるべきか?と話され、一番罪を償うべきは東電や国だ。

しかし原子力に携わってきた自分もこの危険を言いながら広く国民に伝えきれなかった責任を感じると述べられ、騙された大人達にも一部の責任はあるだろうが、原子力を選んだことに何の責任もない子供たちはこれからどうすればいいのか?皆で守っていくしかないという所では先生の悲痛ともいえる訴えに心動かされる思いがした。

2時間ほどの講演があっという間に済んでしまい、先生の真摯な姿に触れることができ本当に良かった。

原子力に対する一連の不安のようなものが消え、すっきりとした気持ちで、これからも未来ある子供達のために「原発なくそう」の道を急ぎ皆で広めていかなければと思った。

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千葉の友人から

2011-10-06 | 世の中のこと

 毎年この季節になると千葉の松戸市に住む友人から大きくて甘い梨が送られてきていた。が、今日その友人からはがきが届いた。「福島の放射能の汚染が松戸まで広がっています。今年は梨を送れませんでした。本当に残念です。」

すぐに電話で連絡を取った。今までのお礼と原発の話になった。

これから日本はどうなるんだろうね。

福島の人達の悔しさ、苦しさを私たちはどう受け止めていけばいいのだろう。そして東日本全体のこと等など。

日本全土でもっともっと声をあげていかねばならないのだろうと思う。そうしないと原発推進の方に流されてしまうのではないだろうか?

 井上ひさしさんが【あてになる国のつくり方】の本の中で

「自分たちの意見をはっきり表していくことです。そうしないと結局はわれわれはその無関心、無責任によって滅んでいく。それは過去の歴史にたくさんあります。そういう恐ろしい状態がさしせまってくることは明らかです。」と述べておられる。

井上ひさしさんは勿論 今度の震災や原発のことを知らずに亡くなってしまわれたが、この言葉は憲法九条を守ることの大切さを言われたのでしょうが、同時に 今、ずんと胸に響き励ましの呼びかけ声のように聞こえます。

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運動会の思い出

2011-10-02 | 日々の業

運動会も昔と随分変わってびっくりするくらい。私の小学校の頃の運動会は校舎の上から運動場に万国旗が掲げられてその旗の下に競技が繰り広げられた。

親たちは早くからゴザをもって場所をとり所狭しと座って応援していた。(今はカラフルなシートで広く場所をとっているのに、座っている人が少なく空いている所もある)

大玉ころがしや障害物競争、平均台や網くぐりそしてリレーと、親の声援も随分熱がこもっていた。それに先生方の競技もあって子供も大人も必死で応援したものだ。

徒歩競争で、一着から三着に入ると目印の紐を肩から掛けてもらいその数が多いほど子供たちは鼻高々のようすだった。反面、私は走りは一番苦手で紐をもらえたことがなく、運動会の日は何となく憂鬱だった。

今のようにこんな楽しいリズムにのってのダンスが披露出来るのなら、きっと嫌な運動会も少しは嬉しく思っていたかもしれないなあ・・・と思ったりした。

 

爽やかな秋空の下、新ソーラン節を踊る児童たち

6年生の組体操

毎年練習中に怪我をする児童が出て先生方も随分気を使っておられる様子で、年々組み方がやさしくなっていると聞いた。児童数が減ってきていることもあるかもしれないが6、7年前はもっと大胆な組体操が見られたらしい。

音楽も今風の曲が流され雰囲気も違っている。

大人たちはビデオやカメラで子供を撮るのに忙しく声援の拍手も今少し弱い感じがした。

 

 

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