午後4時頃 雪は まだちらちら降っている。久し振りの大雪で子供たちは外で雪だるまを作り出した。作り方を忘れたーーというので、教える。雪だるまの作り方がわからないほどこのところ雪が降っていなかったということかしら。
でも北陸や北海道の人たちは雪だ!といって喜んでられないよね。富山の知人もきっとご主人を亡くされて雪下ろしに大変だろうなあ。息子たちが手伝っているだろうけれど・・・。
道路は10センチくらいの雪で「手がつめたあーい」といいながらも、やっとできた雪だるまの前でポーズした仲良し3人組。
午後4時頃 雪は まだちらちら降っている。久し振りの大雪で子供たちは外で雪だるまを作り出した。作り方を忘れたーーというので、教える。雪だるまの作り方がわからないほどこのところ雪が降っていなかったということかしら。
でも北陸や北海道の人たちは雪だ!といって喜んでられないよね。富山の知人もきっとご主人を亡くされて雪下ろしに大変だろうなあ。息子たちが手伝っているだろうけれど・・・。
道路は10センチくらいの雪で「手がつめたあーい」といいながらも、やっとできた雪だるまの前でポーズした仲良し3人組。
年末になると父が作ってくれたおせち料理を思い出す。
調理師(板前)だった父は年末になると卵をダンボール箱ごと1箱買ってきて美味しい出し巻きを何時間もかかって何本も作っていた。私は傍で卵を大きなボールに割る役だったが、ちゃんと白味を切って殻を捨てないとダメだとよく言われた。できた出し巻きは巻き簾にまき、ひもでくくり仕切った板に並べた。一本の出し巻きに10個の卵を使うのだから大きな卵焼き器で正月用のガスコンロに取り替えての作業だった。出来た卵は何軒もの知り合いに他のおせちと一緒に配って歩いた。
他にも堀川ごぼうや人参、えび芋の真ん中をくり貫いてミンチを詰めたものや、さわらの味噌ずけ、ぶりの焼き物、栗は形よくすじめをいれ、綺麗にむいて、くちなしの実をいれ黄色に色づけし甘く炊いた。、菊花かぶら、そして黒豆、一番のメーンの棒だらは大きな鍋に2日以上かかってやわらかく美味しく炊き上げてくれた。
年とともにその品数は減って(転居して配れなくなったのもあるが)それでも亡くなる年の前年の年末まで頑張って作ってくれた。
胃癌が再発しすっかりやせて体力がなくなってきた父はさすがに、大きくて重い出し巻きの焼き器は持てなくて、黒豆と棒だらは寝床から私に指示して作った。時に杖をついて台所にやってきて味を確認していた姿が忘れられない。
そんな父も殆ど作ったお節は食べられず、お正月に緊急入院し2月初めに帰らぬ人となってしまった。
私はその後、「ちゃんと覚えときや」といっていた父のおせち料理のレシピを見ながら、毎年ぼうだらと黒豆は作っているが、何回作っても父のその味には、遠く届かない。そしてお内仏にむかって出来たおせちを供えながら「おじいちゃん味みてや。今年もまた堅いぼだらになってしもうたわ・・」と話しかける。
孫達はおじいちゃんの出し巻きや栗きんとん、棒だら、黒豆の味が忘れられず、お正月がくると「おじいちゃんのは最高やったなあ」と話す。
元気で働いていた頃の父。
前に切り抜いていた新聞記事が出てきた。
年末 多くのホームレスの人たちはどうされているのだろうか。何もしないで暖かい部屋で「アーダコーダ」と言って過している自分がいる。
自分を支えるのでもう精一杯になりつつある自分。祈るしかできないのだろうか?やはり政治を良くして行かなければならないのだろうけれど、私達は本当のことをもっと知らねばならない。学ばなければならないと思う。
「純ちゃーん!」「晋ちゃーん」「徹ちゃーん!」なんて叫んで喜んでいてはこの国は良くならないような気がする。
4月から読み始めた「新訳仏教聖典」やっと今日で読了した。毎日少しずつ読んできたけれど途中 世尊の説かれる話は面白かったり、以前にもどこかで聞いたことがある話だったりで、2000年以上前のこの話が今でも自分にいろいろと問いかけてくる。
「あなたの生き方はそれでよいのか?」と。
700ページに及ぶこの本の中見をはたしてどれだけ理解したかと言われれば本当に恥ずかしく「読了」などと全く言えないが。
過ぎし日 私の尊敬する方が本を読むということに関して「難しくて読むのがしんどくなることがあっても目をとおしていたらどこかの部分ではっとする言葉に出会うものだ。それだけでも読む価値はあるのでは?」と言われた。
それ以降 本を読むときこの言葉を思い出してちょっと難しいかなと思っても挑戦してみようという気になっている。
煩悩ますます盛んな私にはこの道はあこがれてはいるものの三毒 (貪欲・瞋恚・愚癡) にまみれた日暮らしでその道は、はるか遠い遠いかなたにある。
しかし、何時かはきっとというおもいで読んでいると不思議と心が自然と落ち着いてくる。
終わりの涅槃に入られる世尊の言葉は身近でやさしく今 そこにおられるような感じて読むことが出来た。
ツイッターをやっています。なかなか面白いので知人にメールでお奨めしました。
大阪の元共産党市会議員の清水ただしさんをフォローしたらすぐ返事がかえってきました。(嬉しいですね)
この方は10月に高齢者大会でお目にかかってその演説が面白く内容もばっちりで参加者を魅了してしまいました。
こんな若くてしっかりした人達が沢山でられて共産党を支えていけばきっと党も伸びるのではと期待しています。希望の星です。
ツイッターでは140字の中でで気楽に文章のことなどあまり考えずに会話しているように書いていけるので面白いです。
それに自分の興味ある分野も紹介してくれるのでちょっと知らない人のこともわかって・・・
高校生の孫がこの間「赤点」をもらったとかで娘が学校にあわてて行った。いい物もらいに行くのだった良いのに・・・と思っていた。
私だって高校のとき赤点くらいはとったよ!(自慢じゃないって) だからそんなにびっくりもしなかったけれど。
孫は英語でだけど、私のときは化学で1回もらった。化学の方程式H2O+?? さっぱりわからず白紙で出したら赤だった。
その代わりといってはおかしいけれど世界史は暗記が得意だったせいか、先生が「5完璧」なんて赤で書いてくれて・・後にも先にもこれっきりだったけれどねえ。
あの時の暗記力が残っていたらなあ・・・とつくづく今思う。
今日はパソコンに詳しい博士に来ていただいて私の家で今話題のツイッターの講習をしてもらった。
ツイッターって他人の扱き下ろしのようであまりよい感じを持っていなかったのですが、どうも私の思い違いのようでした。。
以前 関係のある掲示板を見ていたらあることないこと個人の悪口に終始した文をみてすっかりいやになってしまって、もう二度とこういうのは見ないでおこうと思っていた。
これとは全く違うのですね。恥ずかしい!「年寄りの思い込み」って怖いと自分で思ってしまいました。
話は違いますが談笑していて4人のメンバーの中で3人が今だ飛行機に乗ったことがないということで、私くらいが飛行機に乗ってない人間だと思っていたら他に二人国内線も乗ってないということで、仲間がいるものだなあと変に安心しましたが・・・・。
歳の瀬もいよいよ押し詰まってきたけれど年ごとに「あーお正月がくるなあ・・・」というだけで、体はいっこうに動かない。11月の天気の良い日にベランダ?の上のポリの屋根にホースを引っ張ってきて水をかけ洗い、蜘蛛の巣をとったのと、障子の張替えをしたことで、私の役目は終ったことにしている。
「めでたさも中くらいなりおらが春」と詠んだ一茶の句や「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」」と詠んだといわれる一休さんの句が妙に心に浮かんでくる。
門松も昔は私の住んでいた小さな家でもそれなりの物を表戸に飾っていたし、お正月には学校に行き、「年の初めのめでたさを終わりなき代の・・・」となんだか難しい歌をうたわされて紅白のお饅頭をもらってかえった。
お正月はいつもと全く違った世界のようでシーンと静まりかえって、子供心にも不思議で少しゆったりとした気分と同時に新たまったような気になった。
今はそのような雰囲気など消えてしまって、お正月から殆どの店も開いて情報もどんどん入ってくるし、何かの不便さもないのでかえって新たまる気持ちにもなりにくいのもあるのだろうか。
近江八幡の長命寺から近江八幡国民休暇村への琵琶湖沿いの紅葉がまだ残っていてとても綺麗でした。
保育園時代の仲間6人とよく笑いおしゃべりし、そして歌声を響かせての楽しい旅でした。
4日に滋賀県生協大会で「反貧困ときずな」という内容で宇都宮健児弁護士の講演やパネルディスカッションがあり、聞きに行った。
宇都宮弁護士はサラ金、ヤミ金など多重債務者の救済にあたられ反貧困ネットワークの代表として湯浅 誠氏などと共に活動されている。
宇都宮氏の「広がる貧困その再生をめざして」と題しての話の中でサラ金の被害にあわれた方が昔は法的に解決できればその後はなんとか自立にむけ頑張って生きていかれたが、今は同じように被害にあわれて解決できても社会の不況などでその後の自立が難しくなってきている。
2007年調査で全国民の中での低所得者の割合を示す「相対的貧困率」が15・7%と発表された。日本の貧困率はOECD(経済協力開発機構)がまとめた加盟30ケ国中4位で貧困率の高さが際だったと報告され、政府が貧困の削減率を立て、早急に対応すべきなのに今だ手がつけられていない状況だと話された。
また、ホームレスの人を家や経済的に応援し自立の方向にもっていっても精神的な支えがないとなかなか自立できないことを話され、やはり家やお金があっても心のよりどころがないと人間は生きづらいんだなあと感じた。
人間同士が家族にむけてでさえも「助けて!」と言えない状況はどうして生れてきたのだろう?ここの部分はもっと掘り下げて考えていくことが必要な気がした。
知人が1人暮らしになって今年の初めにケアーハウスに入所された。年金者組合員の皆と訪問し、久し振りに会うことが出来た。比良山の麓で琵琶湖もすぐ傍に建つマンションのようなステキな所でびっくりした。
6階に食堂や温泉風呂がありいずれも琵琶湖が臨めて素敵な処だった。知人も以前より若々しい感じで友人も沢山出来たようで元気にされていた。
隣の部屋にはキッチンやトイレもついて広々していた。
部屋から琵琶湖が見える。
事前に予約してもらって食堂で昼食を一緒に頂いた。525円のお昼は和食で私には丁度よい分量で美味しかった。