数日前、友人と湖南三山の長寿寺と善水寺に行って来た。
湖東三山は何年か前に行ったが大勢の人たちであまり記憶に残っていない。湖南三山も最近は有名になったのか新聞にも紅葉情報が載るようになっていた。
車で30~40分で三山の一つ長寿寺に到着。駐車場には観光バスも止まっていた。入り口には地元の方たちが作られた珍しい品々がテントの中に並べられそれぞれ元気に声をかけ呼び込まれていた。地元の方たちの地域おこしの熱気が感じられた。
長寿寺の門を入るといきなり綺麗な紅葉や銀杏の絨毯に目を見張った。
長寿寺 ←クリック
銀杏のじゅうたんの写真が撮れなかったが杉木立の中を歩くのも癒された。
本堂の中に入り数々の仏像を拝観。藤原時代に作られた仏像の中、聖観音菩薩立像の柔和なお顔が心に残った。
善水寺 ←クリック
朝10時過ぎに出て家に帰ったのが3時過ぎ 昼には十二坊温泉のレストランで食事をしたが 約5時間の遠出で家に戻るとぐったり。自分でも体力落ちた~と感じた。
本堂拝観時は堂内が暗く、段差にも気をつけなくてはと気を張っていたから一層疲れたのかもしれない。
しかし外に出かけ季節を感じその美しさに感動したり、人との交流が今、一番大事なのだなぁと思った。
庭の木々も紅葉しはじめた。春の浮き立つような気持ちとは打って変わった雰囲気のなか自然の移り変わりをひしひし感じる。あ~年が行くとこんな風に感じるようになってきたのかとあらためて思う。
つわぶきも次々と。
毎年山茶花の木の根元にひっそりと咲いてくれるクロッカスと思っていたらサフランだった。秋に咲くクロッカスの一種をサフランというらしい。
ドウダンツツジも紅葉しだしたが、他のお宅のは真っ赤になってきている。
台所のテーブルの位置を変えてみた。外の紅葉が真正面に見える。
16日の土曜日地域の九条の会の集まりがあった。九条の会が出来てすぐに発足したこの会も約15年が経ち、世話人も引越ししたり病気を抱えながらの人が多くなり、会の集まりも年に1回になってしまった。
今回は「憲法改正は国民固有の権利」~ドイツ連邦共和国基本法に学ぶ~と題して会の代表者の方からお話を聞いた。
憲法改正に執着し何としても九条を改正しようとするアベ政権がドイツは60回も憲法を変えてきたなどと言っていることについて、詳しく話された。
最後に私の思い・・提案として会の代表者の方は以下の様に述べられた。
「恒久の平和」「永久に放棄する」と誓ったことは改正できないのではないか。わずか七十数年で心変わりするなど、「恒久」「永久」とはいえない。そもそも戦争放棄に関わる条文の改正を想定していなかったのではないか。
ところが、自民党憲法改正草案第9条には「永久」の文字が削除されている。
日本国憲法の、根幹に関わる事柄については改正できない旨を第96条に加筆する、改正を行ってはどうか
又、
ドイツは難民受け入れなどの政策で反発する勢力が伸びつつあり、他の国々でも不安定な情勢が見られる。
日本国内でも政治的なことではないが幼い子どもを虐待し、殺害にまで及んだりする事件や、教師のいじめ、他 人間の心そのものが不安定になってきているのではないかなどと話された。
「諸外国ではチェック機能が働いている。
首相官邸が人事権を背景に力を持ち、司法も、立法府の国会も押さえ込むような関係ができている。
行政府がこれだけ強いのは問題だ。」
2,3日前の新聞に投稿され入選していた句を読んだ。
「笑うより他なき顔にインタビューを受くる後ろに泥の山見ゆ」 大津市 坂口 子
評 には最近の水害のニュースだろう。「笑うより他なき顔」が痛々しく、どうしょうもないことに直面したときの人間の様子が伝わってくる。
「泥の山」の一語で、無残な情景が目に浮かぶ。と書かれていた。
本当にひしひしと伝わってきて思わず涙がこぼれそうになった。もし自分がこの方の立場であってもやっぱりもう笑うしか仕方がなかったであろう。
インタビューする方もつらいだろうなぁと思った。
ネットだったろうか,韓国の方が日本を訪れインタビューされる姿が映し出されていた。
若いインタビューアーは現場を目にして、きっとどう声をかけたらよいのか迷ったのだろうか、次の瞬間「ハグしてもいいですか」と被害者に問い、近寄ってハグをした。
この姿に思わず涙が・・・。
窓に結露がつくようになり朝、晩随分寒くなってきた。
2年ほど前から体重は変わらないのにお腹周りが一段と太ってきた。
Mサイズのズボンではお腹が苦しく先日、Lサイズのズボンを買った。ゆったりとして丁度よかったのだが、丈がずいぶん長く、家に帰ってから裾を短くした。
背の低い私はズボンを買っても、いつも裾をあげなければならない。
長さを見て、丁度よい長さにしてチクチクとまつりぐけをしていく。
これまでも何度このまつりぐけをしてきたことだろうか?針箱をだせば 大概、まつりぐけをすることが多かった。
ミシンも一時は使っていたが手で縫うほうが何故か気に入っていた。
針と糸をもったのは小学校高学年だった・・・
学校には作法室というのがあり、そこに集まり、初めて運針用の布を前にいろいろな縫い方を教わった。
そして次は白いキャラコの布でズロースの縫い方を教えてもらった。
キャラコ?ズロース! 今の若者たちが聞いたらそれ何?っていうかもしれない。
本来やわらかいキャラコの布だそうだが、糊ずけされたキャラコを袋縫いするのに苦労したことを思いだす。
昔、父が柱にもたれて何かつくろい縫いものをしていたこともあった。とても珍しい光景だった。
今、思えばきっと軍隊でしていたからではないかなどと思う。
針と糸からいろいろなことを思い出していた。
昨日は地域の文化祭があり10年ぶりに会場に足を運んだ。
地域で各個人が出された絵画、写真、編み物、書、その他の作品が沢山展示されていた。こんなに沢山の方々が個性豊かに作品に取り組んでおられるのかと驚いた。
何ごとも長続きせず、これと言った趣味のない私は感心するばかりだった。
11月3日はどこの地域も文化祭の行事があったようで今朝の新聞もそのことを伝えていた。が、知人のブログに3日は憲法公布の日でその事の記事が出ていて、あっ!そうだったと思った。文化際のことばかりに目が行っていたなぁ・・・
新聞もテレビも文化のことばかり取り上げ、一番大事な憲法のことを伝えていなかったように感じたが・・・(国会前に1万人も集まったというのに・・・)
カレンダーを見るとやはり3日は文化の日と書かれ4日は振替日と書かれていた。
憲法が何かを考えること。 これが崩されたら文化も何も楽しむことも出来なくなることを戦争を体験された方はよく知っておられることだろう。
年金者組合女性部の近畿ブロックの集会が京都で行われ久し振りに参加することができた。
午前は記念講演「女性の年金と2000万円問題」という話を女性の弁護士さんから聞いた。
午後からの分科会では「国は私たちの医療・介護をどうしようと考えているのか」というのに参加した。
医療・介護はどちらも「社会保障制度」です。とレジュメに書かれ、日本の社会保障制度は、日本の国に暮らす人々の「生存権」を国家の責任で守るためにあります。
国自身が1950年、厚生省の社会保障制度審議会の勧告で,はっきり謳い「国による人々の生命と健康の保障のための制度」であるという原則をあきらかにした。(社制審50年勧告)
ところが今日 、国は権利としての社会保障制度を次々に壊していっているという具体的な話に思わずひこまれた。
1995年の社会保障制度審議では「社会保障制度は、みんなのためにみんなでつくり、みんなで支えていくものとして、21世紀の社会連帯のあかしとしなければならない。これこそが今日における、そして21世紀における社会保障制度の基本理念である。」といって大きく変えられた。(95年勧告)
「社会連帯のあかし」という言葉を出発点として社会保障制度の解体が始まったと考えられると話された。
そういえばここ数年前から「地域共生社会」とか「地域包括ケアー」とかやたら地域と言う言葉を聞くなぁと思っていたが、地域での助け合いは良いことには違いないがその裏の国の考えは弱者への支援は住民が担うべきだといっている。
えっ! そんなことをして国が国としての責任を手放して自己責任、地域に丸投げの策を進めてきたのか!と驚くばかりだったが、
分科会で話された京都府保険医協会事務局次長の中村 暁さんは最後に「社会保障のために、どうやって財源を生み出すかそれを考えるのが国家の仕事だと考える政権を誕生させねばならない。それを実現させる為に皆さんと運動を進めていきましょう」と締めくくられた。
丸一日の参加で疲れたが、よい話を聞くことができた。ぼーと生きててはあきまへんえ~と言われたようだった。