忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

谷川俊太郎さんと言えば心に残る詩「こんなに急いでいいのだろうか...

2024-11-29 | 生き方を学ぶ

詩人の谷川俊太郎さんが亡くなったと報じていた。

谷川俊太郎さんと言えば心に残る詩が私の中にあった。

「こんなに急いでいいのだろうか
私には彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない」

この一部分が妙に心に残っていた。

全てを思い出すことは出来なかったが すごい!詩だと感じると共に不思議と心が和らいた。

全文を探すのに苦労したがやっと見つかった。

「こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々の上を
時速二百キロで通り過ぎ
私には彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない
この速度は早すぎて間が抜けている
苦しみも怒りも不公平も絶望も
すべてが流れてゆく風景
こんなに急いでいいのだろうか
私の体は速達小包
私の心は消印された切手
しかもなお間にあわない
急いでも急いでも間にあわない
          谷川俊太郎」

検索していくと意外なことが分かった

私の大好きな中島みゆきさんが大学の卒業論文のテーマに『現代詩-谷川俊太郎-』で、その作風の変化、詩に宿る生命観や、音やリズムの分析、その生き方までも研究したという。そして谷川俊太郎さんのことを、「言葉の師」ともいうべき重要な存在だったと語っていたことを知った。

みゆきさんの歌はお気に入りに入れ殆ど毎日きいているが谷川俊太郎さんと繋がっていたことを嬉しく感じた。


周りの人々の中で転倒や骨折した人々のことを多く聞くようになった。

2024-11-22 | 日々の業

周りの人々の中で転倒や骨折した人々のことを多く聞くようになった。

リハビリのディサービスでも所長さんがくれぐれも注意するようにと話された。これぐらいは大丈夫と思って黄黒のついた縁石をまたいで後ろ足がついていかず転倒。顔面うちつけて大変だったとのこと。他にもガレージの車止めにあたり顔面を打ち数針を縫うことになった人や顎を骨折した人。

一昨日も幼馴染が洗濯物を取り入れて足がからんだのか転倒、肋骨骨折したんや~と言ってきた。

若い時には話題にもならなかった事だが、これが高齢化するということかとつくづく思う。

一番に言うべきだったのは私の圧迫骨折でした。


紙の保険証12月廃止の撤回を!

2024-11-16 | 新聞記事より

マイナンバーカードを持たず 紙の保険証のみでこれまで病院で受診してきました。

いつも受診する整形外科の受付には紙の保険証は12月以降も使えますと張り出されています。

政府はどうしても国民の殆どが納得していないのにごり押しして進めようとしているのでしょうか?

 

 


全て「おまかせ」「おまかせ」と念じている私だった。

2024-11-09 | 日々の業

朝夕随分寒くなってきた。窓には結露がつく日もある。

圧迫骨折をしてから約4ケ月が過ぎた。先月から行き始めた鍼灸院の先生は圧迫骨折は結構長い期間完治するのにかかるよと言われた。

骨折以降 自分の体が本当に弱ってきてしまったなぁとつくづく思う。

目の方も片目が欠けて見えにくく、常に杖を持たないと不安な状態。そして

新聞の訃報欄を毎日のように見る自分。

先日も10日前に出会った方がお風呂で亡くなっていて2日間も誰にも気づかれなかったと聞いたときはショックだった。

こんな暗い事態が他でもあちこちで聞かれるなか

先日 常に忙しくバイクで走り回っている友人に「バイク危ないからくれぐれもきをつけてね 」と言うと「うん 大丈夫だよ 周りの人たちが正しく運転してくれるから僕もちゃんと運転できるし有難い。感謝だよ」いうようなことを言われた。このように感じられる友人にはっとさせられた。

それと同時に

親鸞聖人が言われた言葉を思い出していた。

親鸞聖人が最晩年に85歳の頃「目も見えず候。なにごともみな忘れ候」と言われるなか、仏にすべてまかせる、このことの大事だけはいよいよはっきりしてきたと言われていたそうだ。

皆一緒だと思っていた私だったが「親鸞コスモロジー」の著者の大峰先生は「私たちは余計なことは覚えていて一番大事なものを忘れている。親鸞さんは忘れるものが違いますね」と書かれていた。

全て「おまかせ」「おまかせ」と念じている私だった。


映画「マルモイ ことばあつめ」をみた

2024-11-03 | 生き方を学ぶ

 

一昨日この映画をプライムビデオでみました。日本統治下の朝鮮で母国語を使う事を禁止された人達が日本軍の監視下のもと必死で朝鮮語の辞書を作るため全国の言葉や方言を集めた史実をもとにしたドラマ。

集められた朝鮮語の膨大な資料は命を懸けて守られ、やがて大辞典となり元のものは朝鮮の博物館に展示されているそうです。

目の悪い私はくらい場面は殆ど見えなかったですが、とても良い映画でした。

日本も敗戦後か英語使用の話が出たそうですが、何とか食い止める事が出来たそうです。(戦後史の正体 孫崎 亨著)