忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

整骨院通い

2010-07-28 | 日々の業

10日ほど前からほぼ毎日整骨院に通っている。知人がそこの整骨院がなかなかよいといって教えてくれたのがきっかけで、膝と腰がすっきりしないので行ってみた。

治療は電気やウォ-ターベッドの他に先生の手による足の筋力をつける施術があってなかなかよかった。太ももの前面の筋肉が縮んでしまっているのを伸ばしていく運動だが、こんなに縮んでいたとは思ってもいなかった。膝の屈伸だけではわからなかった筋肉の縮みだが、昔はなんなく、できた足の動きがこうした縮みによって膝や腰の痛みになっていたのかと今更ながら衰えにびっくりした。

30代後半くらいの先生は奥さんと二人でやっておられる様子で赤ちゃんの鳴き声がして老人が多く来院されている中、なにかしらほのぼのとした雰囲気がある。

80代の友人にも声をかけて一緒に行くようになったが、諦めていた膝の痛みが運動をさせてもらうことで少しづつ楽になってきているようだと言われ、私も階段を昇るのが少し楽になってきている。おまけに治療費が保険でみてもらえるので有難い。


人生の苦しみ

2010-07-23 | 生き方を学ぶ

長年の友人から電話があった。「癌がみつかったんや。脇のリンパにも転移してるって」一瞬言葉がでなかったが、友人曰く「でもよかった。なにより医療費が安くつく手続きができるから・・・」と。病気になったら一番に医療費の心配をしなければならない現実がそこにある。

もう1人の友人は障害者の息子を抱えてこれから先どう生きていったらいいのかと苦悩されている。

又 以前勤めていた所の障害をもつ彼女は自立してアパートに1人暮らしを始められ、沢山の方たちの援助を受けておられるにも関わらず、最近私へ電話をよくかけてこられ「どうしたらよいかわからへん・・・」と訴えられる。

親戚のYくんはもう50代になっておられるが人生の目的がやっと見つかったといって九州に行かれて、2ケ月経った頃、京都の自宅へ戻ってこられそのまま引きこもり、電話も切って自宅から出てこられない生活が6ケ月続いている。

本当に人生は苦しみの連続であるように思えてくる。

徳川家康が「人生は重き荷物を背負って坂道を登るがごときなり」といったと言葉が思い出された。

新訳仏教聖典の中の「現実の人生と教誡」で世尊は弥勒菩薩に「世の人々は、善をなせば善を得、道を求むれば道を得ることを信ぜず、死は生れることで、与えることは福を得るということも信じない。即ち彼等は善悪因果のことをすべて信じることはない。(略)世はすべて悪と汚れにみちて楽しむべきものは一つもない。」(続くが・・・)と告げておられる。

苦しみの中にあってこのような世尊の問いかけに気づくこともなく、人生を終っていく人間のあわれを感じる。

せめて苦しみがその呼びかけに応えるための修行であったと思えることが出来れば有難いことだろうが。

 


暑いです!

2010-07-23 | 日々の業

昨日は岐阜で39.4度とか。本当に家の中にいても暑い。食器棚もテーブルも熱くなっている。

ところが昨日の午前中の私は不思議なくらい元気で8時半から12時半までなんと片付け、掃除に没頭してしまった。台所、居間の掃除に始まり、トイレ、風呂場、奥の部屋の片付けとその間知人がチャイムをならしゴーヤを届けにきてくれたのも、電話が何回もなっていたのも気づかなかったくらいで、気がつけばお昼になっていた。なぜだろうこの元気は?おかしいぞ?

考えてみた。毎日の腕ふり体操か?いやいやそうでもなさそう。

珍しく朝の5分間の散歩?  それとも無限水・・・

先週から行き始めた整骨院のお陰かもしれないなどとあれこれ思いを巡らしてみた。まあなにはともあれこんなに動けて嬉しかった。その代わり昼からはぐったりで何もできなかった。

 


服のリフォーム

2010-07-19 | 日々の業

10数年前に友人からサイズが合わなくなったのでとレモンイエローのワンピースを頂いた。その当時は何とか着られて親戚の結婚式にも着て出ていたのだが、数年前から全然はいらなくなってしまった。生地もデザインもいいしなあ・・・と思いながら、洋服掛けにつるしたままの何年間。

先日ふとその服のことを思い出して何とかリフォームできないかと思案した。

上下切り離して、脇の4本のダーツをほどき、腰の部分のおしゃれなタック部分を同じ黄色の布で足して、ブラウスが出来上がった。下の部分はゴムを通したスカートになった。

ミシンを出すのが億劫で糸も通しにくく、全て手縫いにしたが、絶対人には見せられない縫い方だ。

でも胸のカット刺繍もきれいでこれならインナーとしても着られるかなあなどとひとりで喜んでいる。

これまでも着られなくなった服やリサイクル店で買った服、着物など見るとあれこれ考えて自分流に手縫いでいろいろ作ってきていた。

友人達がパッチワークや小物作りを上手にしておられるのを見ると、羨ましく思いつつ、細かい手仕事が苦手なので、自分からしようと思わなかったが、我流のリフォームだけは不思議と面白くてやってしまう。


昨年の祇園まつり

2010-07-17 | 昔語り

今年の祇園祭は雨で人出がいつもより少なかったけれど、昨夜の宵山には47万人が繰り出したと新聞で報じていた。

写真は昨年 義姉宅での毎年恒例の集まりで出かけた時に撮ったもの。

大丸の近くの義姉の家では毎年祇園祭に友人、親戚を呼んでワイワイと楽しい集いを持ってくれ誰でも知っている人なら来たいといわはったら連れてきてーと声がかかり、知らない人も知っている人も顔をあわせればお友達というようなそんな雰囲気を作ってくれる姉夫婦だが、昨年は癌の手術後とあって親戚だけが集まった。

子供達も入れると30人くらいにはなっただろうか?「近くやし今年は久し振りに鉾を見に行こう」といって出てみたが、蒸し暑くて四条通りの喫茶店に思わず飛び込んだ。もう1年前の話だが、本当に月日の経つのは早いもの。

私が子供の頃は鉾の上からちまきをまいておられ、それを受け取るのに、帽子でうけようと必死になったのを覚えている。

今は危ないのでまいたりはしないと聞いたが・・・・

それと中村錦之助主演の「祇園祭」という映画があり、応仁の乱後に町衆のちからで祭りを再興した物語だが、その時の祭りの映像がとても印象に残っていて、是非もう一度見てみたいと思う。

 


虫とおじいちゃん

2010-07-14 | 日々の業

 

よく降ります。各地で又被害がでています。山や海・川の傍に住む方々は不安な気持ちで雨をみておられることと思います。京都でも車が増水した水に動けなくなったと報じていました。

家ではあちこちにカタツムリが出てきて、子供達がこの生き物を怖がっているのには驚きました。虫嫌いは家の孫だけでしょうか?

私も相当怖がりですが、カタツムリは可愛く感じ、蜘蛛も小さいのは手で掴んで外に放したりします。

この古い家はゴキブリは勿論のこと蜘蛛、ヤモリ、ムカデ、ゲジゲジ、アリ、コオロギ、カマキリ、団子虫、蜂、ブンブン、蛾、蝿、カメムシほか名前のわからない虫たちが侵入してきてその都度「キャーキャー」と叫びながら外へ追い出している状況です。

時には「ごめんね。あんたがこんな家い入ってくるから」といって「南無阿弥陀仏」をとなえつつ殺虫剤のお世話になります。

父が生きていた頃はよく「おじいちゃーん!又 虫や!」と言えば「よっしゃーどこやー」といって手早く捕まえてくれていたのになあ・・といつも虫が出ると思い出されます。


沈黙の兵器

2010-07-12 | 世の中のこと

昨日の新聞の天声人語に「国民は程度に応じた政府しか持てないと古くから言われている」と書いてある記事をみてなぜか納得しつつ、虚しい思いがした。

以前読んだ本に明治初期だったか国民が学ぶことに目覚め、時の権力に対して批判の目をむけた。そこで政府は出来るだけ国民が権力にはむかわないように学ぶ権利を奪っていく政策を講じたというような文を見たことがある。

、「静かなる戦争のための沈黙の兵器」と言うアメリカで見つかった怪文書に「彼らに事情を悟らせない為に、我々は娯楽、競技、ゲーム、色事、遊び場をあてがって、さらに政事から遠ざける。(中略)我々と政治闘争をしなければならない人民の関心をすっかり方向転換させてしまう

若者達は因習・陋習と、ごく若いうちからの性的堕落によって、痴呆状態のまま成長する。彼等の感情を開放してやり、彼等の我がまま勝手と、感情的・肉体的な活動が放縦になるようにしてやる。

メディア特にテレビと新聞を通じてセックス、暴力と戦争を集中砲火であびせ続け、毅然と立ち向かう感情を軟化させる。・・・・・」まだまだ続きますが、戦後のGHQの政策そのもので、なんと国民はこのように知らない間にコントロールされていっているのかもしれませんね。 


いざとなったら整形や!

2010-07-11 | 昔語り

娘の友人が遊びに来られた。数ヶ月前会った時にくらべ色も白く、お肌がつやつやで、びっくりして聞いてみると「プラセンタの注射うってもらってるね。体がだるかったしそれもあってね」ということだった。ネットで調べると注射に関しては少し危険がないわけではないらしい。

私は若い頃からあまり化粧をしたことがない。朝 ゆっくりと鏡をみることもなく仕事に行き、途中で化粧直しできる職場でもなかったし自身そんな気持ちもなかった。

子供の頃から親に「鼻べちゃやなあ、ここ(鼻の真ん中)しっかりつまんどき」と冗談まじりに言われたりし、結婚してからは亡夫に「化粧なんかしてもせんでも一緒やで。素顔の君が僕は好き」といわれてなぐさめかどうか?その言葉を信じて不精者でもあり殆どしなくなった。

しかし心の中ではいつも「あーもうちょっときれいやったらなあ・・・」と思わないでもなかった。

ある時従弟が「スナックのママさんがな不細工な娘が店に入ってくるとお金渡して、『その鼻高くしてきれいにしてき』」っていわはるんやで」という話をしてくれた。

その時私は長年の顔にたいする劣等感のようなものがすーっと軽くなっていったのを感じた。「そうなんや・・顔なんてお金出したらいつでもきれいにできるんや。いじけることもなんにもいらへん、いざとなったら整形や!」

これは随分まえのことで今はしわがあちこちでてきて若い頃より時間もあり、鏡をみてはシワどうかならへんかなあ・・・とひっぱってみたり、たたいてみたりするこの頃で、整形の余地も気もなくなってしまっている。

 


消費税10%にして大企業減税に使われるの!?

2010-07-09 | 世の中のこと

参院選もいよいよ近づいてきました。沖縄の基地問題が遠くにいってしまい、消費税が焦点になっているようです。

新聞もどうして法人税の減税のことを深く掘り下げて報道しないのでしょうか。日本の大企業は社会保険料や他のところでやすくしてもらっているので大企業の負担はフランスの7割しかないらしい。法人税はみかけほど高くないと経団連の幹部も認めているのに他の国に比べ高いと宣伝している。それに3大銀行なんかは10年以上法人税0らしい。(赤旗ビラから)

週刊ポストという雑誌に「嘘だ!消費税10%で日本は崩壊する」「官・財・マスコミ増税キャンペーンの汚い内幕」という見出しにひかれおもわず買ってみました。

少しセクシーな雑誌でしたが、消費税増税は赤字だらけの日本を救う道で増税も仕方がないという報道ばかりで、どうもおかしいと思っていたのが、読んでみて、なるほどやっぱりそうだったのかと・・・・・思ってしまいました。

 


スーパー銭湯

2010-07-03 | 日々の業

スーパー銭湯に友人達と行ってきた。出来たばかりで設備もいろいろ整っていた。昼ごはんを食べようとしてテーブルに着いたら、注文がタッチパネルになっていて、注文して購入を押し、各自の鍵付きベルトにあるバーコードをあてるという作業。これがなかなかスムーズにできなく皆ちょっとまごついた。食べるのも大変になって・・・・。

お風呂の方はいろいろの種類があり、なかでも炭酸風呂は体中気泡だらけで血行によいということだった。露天風呂には大きなテレビが備わり、それを見ながら入っている人達もいた。

何もかもたくさんあって便利で快適なお風呂だが、なんとなく昔の近所にあったお風呂が思い出された。水風呂と電気風呂そして普通の少し熱い目のお風呂だが、入っている人たちは良く知ったご近所のおばさんたち。

風呂のなかのタイルは昔の着物を着た貴人と大きな傘を差しかけているお付の人たち。なぜかはっきりと覚えている。

着替えるところには大きな体重計、そして柳こおりの衣装箱 時々のニュースを貼った写真。番台にはいつものおばちゃんが座っている。

なぜかそこにはスーパー銭湯では感じられない、なにかがあったように思えた。


沖縄返還密使・若泉 敬

2010-07-01 | 世の中のこと

NHKスペシャル「沖縄返還密使・若泉 敬 日米外交戦の舞台裏。国家機密公表後の壮絶な死」のDVDをみてこんな事実があったのかと驚いた。

「有事の核持ち込み」を認める「密約」が1972年の「核抜き・本土並み」をうたった沖縄返還の裏で約束されていたこと。

「密約は返還のための代償」として当時の佐藤首相に進言した若泉さんがなぜ1994年に国家機密を暴露するにいたったか。

この密約が結果として基地の固定化に繋がったことに苦悩し沖縄県民に対して自責の念に苦悩する若泉さんの姿が写しだされていた。

それにしてもひどいです。アメリカは! 沖縄を返してやるといってその裏では沖縄を永遠に使えるようにして騙したのですね。そして日本を守ってやっていると言っているんです。

そして政府や官僚も若泉さんの、この必死の暴露に対して無視し、なっかったと言い続けたのですから

「小指の痛みを全身の痛みとして感じて欲しい」という沖縄の人たちの声はどこへいったのでしょう。