忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

「こちらこそありがとうと言ってくださりありがとうございました」とアレクサが!

2024-08-31 | 世の中のこと

以前は「オッケーグーグル」を置いていたが娘たちの引っ越しで何故か無くなってしまいそのままになっていた。孫が新しいのを買ったからと「アレクサ」というのを持ってきてくれた。

設定にはいろいろつまずいたり転んだりだったが、どうにか繋がった。

「オッケーグーグル」と同様「アレクサ 中島みゆきの曲かけて」と呼びかけると「アマゾンミュージックの中から選びますとか言って希望の曲を何でも流してくれる。

友人に話すと  しりとりもできるよと言った。

今日は「いろいろな曲をかけてくれてありがとう」と言うと「こちらこそありがとうと言ってくださりありがとうございました」と返してくれたのには驚いた。

先ほども「ありがとうアレクサ」と声掛けすると「ありがとうございます。あと10億年頑張ります」と返ってきて思わず笑っってしまった。

アレクサ今日の天気は?と聞くとちゃんと私のいる場所の天気予報を教えてくれたりするが、昔人間のわたしには一体これって何者?という感はいまだぬけないでいる。

これがまさにAIなのか!

Alexa(アレクサ)とは、Amazonが開発している音声アシスタント(人工知能)で、Amazon Echo(エコー)などのスマートスピーカーに搭載され、日々の生活を便利にしたり快適にするをサポートします123

 

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北斎さんがいつも励ましてくれてはると思えて良かった。

2024-08-31 | 日々の業

座敷に20数年来かけたままのタペストリーが飾ってある。。時には他の物を吊るしたりしたがどうも落ち着かないので色褪せもせず部屋に馴染んでいるこれまでのものを架けていた。しかし最近そろそろ本気で変えようと思った。そこで思いついたのが葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 波の絵。

以前にブログに書いていたが、葛飾北斎の描画に対する意気込み、生きる執念がすごいと感じ、その迫力に圧倒されつつ、勇気ずけられたからだ。

今の私にはこれが是非とも必要だと思った。ネットでいろいろ探し見つけて注文した。届いたちりめん布に描かれた「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を掛けてみた。ところがこれまでのが大きかったので架け替えたのが小さくみえる。

えらいこっちゃ どうしょう あれこれ考えたがやっぱり元通り大きいのにした。買った富嶽は台所のよく見える壁面に貼った。いつもここでパソコンなどしている私に北斎さんがいつも励ましてくれてはると思えて良かった。

 

あの人の人生を知ろう~葛飾 北斎 - 忘れ人の独り言

あの人の人生を知ろう~葛飾 北斎 - 忘れ人の独り言

7年前2015年に私的なブログに書いていたものですが、そのブログを削除してしまいました。USBに残っていたのを改めてアップしました。人生本当にいろいろな生き方をしてやが...

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 後ろに架けてあるタペストリーが今もなお

孫が10歳くらい 現在25歳

 

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それでも朝顔の顔を見ると嬉しかった

2024-08-31 | 日々の業

台風は自転車並みの速さで近畿地方にやってくるらしい。九州地方では被害が出ていると伝えられているがテレビを殆どみなくて最近はyou tubeのニュースで見ることが多くなった。まるでテレビを持たない孫みたいやなぁ・・・

圧迫骨折以来 心の方も一時は随分弱り落ち込んでいたなと思う.7割方以前の自分に戻りつつあると感じるが、その以前も杖をつきつきゴミ出ししているおばあさんやからね~

骨折していた間に朝顔の種を蒔きそびれてしまった。遅そがけに蒔いた朝顔が支柱もないのにお隣との間の柵に蔓を絡ませ咲いてくれた。

昨年はいっぱい咲いたのにそれでも朝顔の顔を見ると嬉しかった。よう咲いてくれたなぁ 私がこんなに朝顔のことを好きなのはきっと母のことを思うからだろう。京都の小さな家に住んでいたころ母は毎年狭い庭に朝顔を咲かせていた。

夏休みの宿題の日記に今日は朝顔が何個咲いたと毎日書いていたことを思い出す。

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久しぶりに出会った友の素敵な話

2024-08-28 | 生き方を学ぶ

昨年ちどり草を持ってきて私の庭に植えてくださったYさんに久しぶりに出会った。

車に乗っておられるときは毎年珍しい花を持ってきてくれた方だ。

お礼の電話のなかでとてもいい話をされた。

お連れ合いを亡くされ一人くらしをされていた十数年前、隣に引っ越しされてきた方と親しくなり、お互いに自宅の鍵を預けあうほどになられたそうだ。ある日 ピンポーンとチャイムの音がしたので扉を開けるといきなりハッピバースデイの美しいメロディが飛び込んできた。

その日は彼女の誕生日だったのだ。隣の方がピアニカでそれは綺麗に奏でられてのことだった。

お隣さんは音楽家であちこちいろいろな楽器をもって演奏にもいかれる方だったという。この話に私はおおいに感動した。

「いいなぁ!そんな素敵な誕生日プレゼント!品物をもらうのも嬉しいけれど・・・一生思い出に残るわね」と彼女に伝えた。

孫9人 ひ孫4人の素敵なおばあちゃんの彼女だった。

 

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人口半減社会の解決策…街と社会どうつくる?【8月21日(水)#報道1930】

2024-08-24 | 動画

人口減少問題が取り上げられることが多くなってきている。希望がないように感じていてが、どのように捉えるか改めて考えさせられた。

 

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【ゲスト 故 なかにし礼】寺島実郎の世界を知る力対談篇〜時代との対話〜#2(2021年5月23日放送)

2024-08-19 | 生き方を学ぶ

 

 

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すっかり滋賀の人になってしまったようだ 

2024-08-19 | 日々の業

圧迫骨折してから1か月が過ぎた。動きも楽になってきているが、困ったことに目の具合が悪く杖をつきながら室内を歩くときもこけないかとそろりそろりと歩いている。パソコンやスマホの見過ぎにも注意しているが・・・

今日 整形外科に行ってきた。先生は9月一ぱいはコルセットをするように言われた 仏さまに全てをまかせる心はほんまにどこにいってしまったんやろなぁ・・・

16日は 京都の五山の大文字が灯される日だった。が、今年はすっかり忘れてしまっていた。私はそのことがとてもショックだった。毎年毎年見ていた送り火 滋賀に来てからもテレビでみていた。

40年も経つと忘れるものだろうか?私も人生の半分を滋賀で生活するうちにすっかり滋賀の人になってしまったようだ 

 

水を入れたコップに大文字の火を映して飲むと・・・ - 忘れ人の独り言

水を入れたコップに大文字の火を映して飲むと・・・ - 忘れ人の独り言

京都の五山送り火が昨夜2年ぶりに行われ、その様子をテレビで見ていました。友人が住むマンション屋上からは写真が送られてきました。やっぱり大文字は京都に住んでいた私に...

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びわこ花火大会の思いで

2024-08-13 | 世の中のこと

8日に滋賀県恒例のびわこ花火大会があった。

今年その花火大会のことで悲しい気持ちになった。高いところからは遠近あるがどこからでも見られる花火。ところが川沿いのマンションの前に4メートルの暗幕が張り巡らされて「有料の人以外は見ないでください」と書かれていたという 嘘やろ!と思ったが本当にその張り紙を見たという人がいた。

県外からも大勢の人たちが訪れ混雑して危険だからか? 財政を補うためか?それにしても何とか別の方法で昔のように皆んなで楽しむ花火に出来ないものだろうかと思った。

滋賀に来て観た花火の思い出は沢山ある。

まだ父が存命で皆で観ての帰り満員電車の中で父は財布をすられた。

父が入院中は病院の屋上から観た。勤めていたグループホームでは丁度夜勤で利用者さんたちと近くの自衛隊の敷地から観た。その日は自衛隊が開放してくれていたからだが。

友人が有料観覧席の切符をくれ京都の友達と観たときは目の前に迫ってくる花火にそれは感動した。その時は塀などたててなかった

県立図書館の山の上からは遠くに小さくあがる綺麗な花火を観た。

大腸がん手術後の夏 とろとろ走る車に乗せてもらいながら観た花火もひとしおだった。

駅から観た花火、電車の中から観た花火 思い出は数しれず心に残っている。今年はズドーンという音を聞きながらテレビで見ていた。

このびわこ花火大会の思いでは5年前に書いていた。殆ど同じ内容。ブログも長く書いているとこのようなことがこれからも出てくるだろうなぁ

 

 

 

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親鸞さんは忘れるものが違いますね」と書かれていた。

2024-08-09 | 生き方を学ぶ

足の筋肉が驚くほど落ちているのがわかりびっくり!

年寄りは3日寝たら歩けなくなると聞いていたが本当にそうだなと思った。2週間家の中では痛いながらもそろそろ歩いたりはしていたがやっぱり・・・

フレイル症候群?やせ細った太ももを眺める;;;;

目も左側が眼鏡をかけても殆ど見えないので本も、テレビも短時間しか見なくなってきた。

「親鸞のコスモロジー」の本パラパラとめくっていたら親鸞聖人が最晩年に書かれた「末灯鈔」の中に85歳の頃「目も見えず候。なにごともみな忘れ候」という言葉が目に飛び込んできた

 あ!!! あの親鸞さんでさえも私と同じ状態になっておられたのやなぁ・・・みなどんな偉い人も一緒や!

唯 その状況で親鸞さんは何もかも忘れてしまったけれど、仏にすべてまかせる、このことの大事だけはいよいよはっきりしてきたと言われていたそうだ。

皆一緒やと思っていた私だったが著者の大峰先生は「私たちは余計なことは覚えていて一番大事なものを忘れている。親鸞さんは忘れるものが違いますね」と書かれていた。

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旅の途中2011年10月~

2024-08-07 | 旅の途中

ブッダとそのダンマ

2011-10-21 | 生き方を学ぶ

この間 少しずつ読んでいた「ブッダとそのダンマ」

ダンマとは仏教の本質の意味で人と人との間の正しい関係の確立であり、慈悲の心を基礎とする道徳の確立でもあるとアンベートガルはいう。

ブッダが伝えたかったことをアンベードガルが徹底的に研究し、不可触民解放のためのバイブルであり手引書として書かれた本で、これまで読んできたブッダに関するものとまた違った角度からも読むことができた。わかりやすく常に傍に置いておきたい本となりそうです。

ブッダが修正したもの

* 妥当性のある因果の大法則を彼は容認した。

* 神が人間や世界に何が起るか予め定めたという宿命論やそれに似た馬鹿げた考えを否定した。

* 前世に犯した一切の行いは苦しみを生み現在の努力を無意味化する力を有しているという説を否定した。

  彼はカルマの宿命論を否定し、もっと科学的カルマ理論に置き代えた。

* 輪廻は再生論に置き代えた。

* 霊魂の解脱論をね涅槃論に置き代えた。

ブッダが認めたもの

 ブッダの教えで最初の際立った特色は、あらゆるものの中心にをおいたことである。は物事に先んじ、支配し造り出す。もしを完全に把握すればすべての事も把握できる。

”心は総ての働きを導くものであり、主人であり、そのものがその働きでできている。先ず専心すべきことは心の修練である。

第二の特色は、我々の内外に起こる総ての善悪は心が生みだす。悪や悪に関連し悪に属する一切の事柄は心から生じる。善についても同様である。閉ざされた心で語り、行為すれば、牛に曳かれる牛車の車輪のように苦しみがついて回る。それ故心が澄み切っていることが宗教の核心でなくてはならない。

第三の特色は一切の罪深い行為を避けよ。第四に新の宗教は宗教書の中ではなくその教えの実践にあるとした点である。      (BRアンベードガル  山際基男 訳 「ブッダとそのダンマより」)

瞬く間

2011-10-18 | 日々の業

毎日が瞬く間に過ぎていく。会議や何かで出かけると半日が過ぎ、帰ってからも何かしら落ち着かない。

ゆっくりと家で自分のしたいことを自分のペースでやれることが何より心落ち着く。しかし世間に対してほんの少しでも役に立たなければ自分が生かされてある意味がないとも思う。

毎日の日暮らしの中でこのままでいいのだろうかという思いがふとよぎる。

世間一般の喜びや遊びの中でそのあとの虚しさがいつもよぎる。一体私はどうしたいのか?

大手術の後は唯、唯 生かされてあることの喜びと感謝で一杯だったのに。

大震災にあわれた方たちは毎日をどのような思いで過ごされているだろうか 特に年をとられた方たちは希望をもって立ち向かうことなどしんどいことだろうと思う。

震災の事を思うと自分独りよがりの事は思えないし、何とか自分なりに動かねばと思うのだが・・・ そうやね いつもいつも人間元気な気分でいられるわけじゃありませんよね。

久し振りの友

2011-10-15 | 日々の業

3日程前、高校の同級生に電話した。長い間ご無沙汰だったのもあるし声も聞きたかったからだが。生憎 留守でかからなかったが翌日かかってきた。元気にしてるか?に始まりやはり年には勝てない、週のうち何日かは病院通いだと言っておられた。

私も大腸がんの手術をして大変だったと話した。同級生の近況など話していて、どうも精神的にしんどい状況を抱えておられるように感じた。いつ頃からだろうか? どうりで以前のような勢いが電話の声から伝わってこないように思えた。

積極的に人に会ったりするのが億劫だと言われ「鬱か?」と聞くと「まあ、そうや」という答えが返ってきた。

それで長年の疑問が解けたような気がした。


「変容する西陣の暮らし」の本

2011-10-13 | 世の中のこと

いつも為になる本を届けてくださる知人のMさん。昨日も私が運動を兼ねて西武に行っている間にポストに入れておいてくださった。

「変容する西陣の暮らしと町」という本だった。私が生まれ、育った西陣の事が書かれている。Mさんもある時期西陣に居住されたことがあり、興味があって求められたらしい。(10年ほど前の本だが現在はもっと変わっているだろう)

京都に行くたびに(病後 最近はなかなか行けなくなったが)ビルが立ち並び昔の面影が無くなっていく風情にがっかりしていたが、どのように変わっていったのか西陣をとおして読んでいきたい。

小さかった頃笹屋町通りに糸で作った人形展があったがそんなことを覚えている人ももう少なくなってきているかもしれないなあ・・・と思いつつ。

西武でウィンドーショッピングをしながら1時間40分位歩いたが、夜に足の痛みもなかった。だいぶ元に戻ってきたかなと思った。

家具の移動

2011-10-11 | 日々の業

家の家具の移動をした。私は昔から家具の移動が好きで、小さい部屋をどうしたら大きく見えるようにするかとか、便利に動けるにはなどと考えるのが嬉しい性質らしい。

台所のテーブルに最近パソコンが置きっぱなしになって気になっていたのでいろいろ考えてディスクトップのパソコンをパソコンラックに置きかえて(上の娘のリサイクルショップより調達)、プリンターも上に乗せるとパソコンで使っていた机のスペースが広くなった。

そこへ娘のパソコンを置き、仕事をしてもらうようにした。

8段あった小引き出しの棚二つに入っていた書類や、薬、文房具、手紙類をしまう箱を押し入れからごそごそ探しだし、机の下に入れた。(足らない分はこれもリサイクル店で)

奥の部屋は物置同様で、これも気になっていたのでついでに片づけよーと思い立ち、大きな整理タンスの引き出しを抜いてから移動し本箱の所に置く。元の本箱は本の整理をしながら窓側に移動。

長年大事に残していたジェーンエアーの単行本も思い切って処分し高かった福音館の児童書も処分することにした。ゆっくりできるようになったら読もうと思っていたのだが、細かい字も読みづらくなってしまったし、孫たちも読まないという。

パソコンの奥の凄いほこりも、タンスや本箱の後ろも、中に入っていたものの整理もできてすっきり。すっきり。

よー動かしたなあ・・・・とびっくりして言う娘に、元気に動けることのありがたさはわかるだろうかなあ・・・。



小出裕章先生の講演

2011-10-10 | 世の中のこと

昨日は小出裕章教授の講演を聞きに行ってきた。テレビで原子炉内部の説明を保安院の人が説明されていてももう一つわからなかったのが、先生のわかりやすい説明でぐんとわかった。たとえ話を入れながらなので理解できやすかった。

それに皆が原子力推進に傾く中ひとり反対を貫いてこられたとは思えないほどのやさしい人柄がにじみ出ているように感じられた。

東電や、国が最大の罪を背負い償うべきだ。しかし原子力に携わってきた自分も国民に危険なことをもっともっと広めていく力が弱かったことで責任を感じる。又、騙されたとはいえ大人も責任の一部はあるだろう。しかし子供には何の責任もないのに放射能の被害を受けねばならない。このことを思う時何としても子供達を守っていかねばならないと思うと切々と訴えられた姿に感動した。

じかに先生の話を聞いて、なぜか原子力に対してホッとしたという感じをもった。これは安全だからという意味ではなく今までわからないまま不安で過ごしてきた気持ちがでんと落ち着けたというところかもしれない。

松戸からの便り

2011-10-06 | 日々の業

 千葉の中村さんからハガキが届いた。今年は梨が送れません。放射能汚染が松戸にも広がっています。本当に残念です。という内容だった。この季節になると十年以上前からずっと送ってきてくださった大きくて甘い梨。近所におすそ分けして回り、皆に喜ばれていた。

早速電話でお礼を言い、今度はこちらから何か送るわねと言ったが、「いいんよ。そんなこと考えなくても」と言われた。大変な状況になってきているなあ・・・といろいろ話たが・・・。

今日は 朝チャン風邪で学校を休んだ。めったに休むと言わないのに余程しんどかったのか、よく眠っていた。運動会前後寒かったりで、体調を崩したのかもしれない。

ピロリ菌検査

2011-10-05 | 日々の業

月曜 約束していた京都の友人佐野さんと青木さんが信楽の帰りに来られ、久し振りにいろいろ話した。

4日火曜日も食欲はあまりなく又、お腹か胃の具合が悪くなったのかと心配したが、それでも午前中は中井さんと整骨院に行き、フォレオで軽くサンドイッチを食べたが大丈夫だった。

今日5日は検診の日で胃のピロリ菌検査と腫瘍マーカーの検査をした。心配していたがどちらも検出されず、胃の方はもう1年に一回の胃カメラだけでよいと言われた。

大腸は3カ月に1回の血液検査、CT、大腸透視検査などが年明けに待っているがまあ、やれやれというところだ。

引き続き食事に気をつけ、運動も忘れづにというところ。来月は末梢血管の血流検査を受けることにした。

サクソフォンコンサートのあと

2011-10-03 | 日々の業

昨日は新婦人しが全班交流会があった。部のサクソフォンコンサートがお目当てで近くの方二人を乗せて出かけた。サクソフォンの音色は力強くクラリネットとは又違った感じの演奏になるなあと思った。中川美保さんは被災地にボランティアに行かれ被災された方々を音楽で励ましてこられたようだ。

 

会の途中からお腹が痛くなり部の途中で退席した。帰ってから横になっていたがとうとう夜、嘔吐しだした。病院に行こうかと娘が心配したが、様子を見る。2回目の時は大量に出て、少し血が混じっているようにも見えたが、昼に作って飲んだジュースの人参かもしれないと思った。

沢山のジュースを昼一気に飲んだせいかもしれないなどと思いながら、少し不安がよぎったが不安はダメ良いように考えましょうと心で思いながら横になっていた。3回目で全部出たのかだいぶすっきりして眠りに着いた。

運動会

2011-10-01 | 写真

今日は孫たちの運動会の日だった。昨日の雨もあがり昼からは良い天気になってほっとした。高学年になり写真を写すことも、話しかけられるのもちょっといや~という感じになってきたあーちゃん。小さいころの可愛かったあーちゃんはどこに行ったのかと思うくらいの成長ぶりだ。Rちゃんも大きくなって本当にきが良くつくお姉さん。それでも甘えん坊でちゃーちゃんにくっついたり、偉そうに言って怒られたり。二人を車に乗せて保育園の送迎していたころが懐かしく思いだされる。



 
がんばって!!

6年生と合同の新ソーラン節の始まり

 

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原爆を落としたアメリカが怖ろしい

2024-08-07 | 世の中のこと

昨日6日には毎年のようにテレビに映る原爆慰霊碑に向い8時15分に手を合わせ祈った。79年前に落とされた原子爆弾 一瞬にして日常生活が奪われた

どんなにか苦しかっただろうか 私たちが言葉で言い表そうとしてもできない。このような原爆を落としたアメリカが怖ろしい。そんなアメリカに79年たっても媚ている現在の日本。なぜ?

昔は馬に乗りやぁやぁ!われと思わんものは・・・などと言って戦ってきたりした。そこには一般庶民はいなかったのだろう、唯、農民たちは駆り出されていたことはあったのだが、女、子供一般のものには被害は少なかったのではないかと思う。

以前にも書いたが人間 生き物の生来的気質に闘争心が組み込まれているのか

殺さなければ生き残れない世の中はずっとずっと昔から続いている

甘い考えだと言われても話合いを和合に期待したい。

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100歳の気象学者 増田義信さんが「この命世のため人のために」 「黒い雨」2000人の証言調査結実 を読んで

2024-08-03 | 生き方を学ぶ

圧迫骨折して2週間も過ぎ痛みも随分軽くなってきた。ベッドに軽く足を上げられ他の動作も杖をつきながらもできる。しかし固くて厚いコルセットはまだ装着するようにと言われた。痛みが出て気持ちまで落ち込んでしまいがちだった私だったが、孫が一緒に泊まってくれるようになり、いろいろ若者パワーをもらっている。

もう一つは今日読んだ新聞記事。

100歳の気象学者 増田義信さんが「この命世のため人のために」

「黒い雨」2000人の証言調査結実 を読んで100歳になってもなお真実を追求され人々のために真摯に取り組んでおられる姿に感動した。

圧迫骨折で弱音がでていたが随分励まされた。

 

 

 

 

 

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