忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

老親と孫の世話。世話をする自分自身も高齢に。

2017-08-30 | 日々の業

久し振りの仲間の集まりに参加しないかと知人に電話したところ、週の3日間は遠くに住む一人暮らしをしている88歳の母親の処に行くことになっているという返事だった。

毎週そのような生活で自分の家に帰ってくると今度は孫の面倒をみるという話で、入っている会の行事にもなかなか参加できないということだった。

もう彼女も60代後半の筈。しんどいだろうなぁ・・・と思った。

ご近所の方も以前は通っておられた両親のもとだったが、今は自宅に引き取られた。

しかし車で2時間近くある両親が住んでいた空家の世話をしに時々帰えられる。草引きや町内の役があったっているそうだ。

この方も家では老親の世話と孫の保育園の送迎などの世話で大変なようす。

97歳の親をみる友人はデイケアーにどうしても行きたがらないお母さんの面倒を見ながら地域の役をもち、お墓や神社の掃除、自宅の田んぼの世話そして孫の世話と聞くだけでひしひしと大変さが伝わってくる。

私は40代で母親を50代で父親を看取ったが、病院へ毎日通い消灯までいて帰ってきたときには何もする気になれず、畳にドカーンと寝転び、やがて茄子の田楽をさっと作りビールを飲んで過ごした。あまり茄子を食べ過ぎて秋口に腕に汗もが沢山出来たという思い出がある。

50代でそうっだったのだから、これがもし今だったら、とても世話をしきれなかっただろうなぁといつも思う。

老親と孫の世話。世話をする自分自身も高齢になってその苦労は並大抵じゃないだろう。

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やっぱり 体力が落ちてきているのかなぁ・・・ 

2017-08-24 | 日々の業

毎日の暑さにすっかりまいっている。一昨日は10時過ぎにベッドに入ったにもかかわらず3時間以上も寝付かれず朝方にうとうとしただけで目が覚めた。

その代わり昨夜は睡眠不足と意外に涼しい風が入ってきたりで、すぐ寝つき朝までぐっすり眠れた。

6年前のブログに癌手術の5ヶ月後の7月末に何と!京都の本願寺さんへ行っている~!!

えっ!こんな暑い中 京都まで行ってたのか・・・・と驚いた。

今の自分からは想像も出来ない。こんな暑さの中、京都まで行く元気も勇気も全く出てこない。

整骨院へ行くのも7分足らずのバス停に出るのに汗だくで相当な覚悟が要るというのに。

やっぱり 体力が落ちてきているのかなぁ・・・  

それとも 暑さが異常になってきたか?

クーラーをつける回数も多くなってきているしなぁ・・・・。

6年前と比べれば誰だって体力は落ちるわと思ってみたり・・・・。

 

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「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」のニュース

2017-08-17 | 昔語り

終戦記念日を知っている人が少なくなってきたと言われている。

戦争を知らない人たちが多くなってきたのも関係しているだろう。

そういう私も15日の正午頃は汗をかきながら必死で娘の家へと向かっていてすっかりその時を忘れたいたが、家にいればいつもテレビの前で黙とうしていただろう。

夕方のテレビで兵庫県にある太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」の話をしていた。この慰霊塔の存在が年々薄れていくことに危機感を感じた一人の男性が多くの人たちにその存在を知ってもらうため努力されているという内容だった。

この慰霊塔への参加者も遺族が亡くなったりで年々減ってきているという。

各地域ごとに慰霊塔があったりするのは知っていたが、全国的なものがあるというのを初めて知った。

ネットで調べると関連して

京都空襲のことが出てきた。昭和20年1月から6月にかけて5度にわたって京都でも無差別爆撃が行われたと書かれていた。

その中で6月の西陣空襲では死者50人、重軽傷者66人、被害家屋292戸、罹災者850名という記事を読んだ。こんなに死者が出たことことを知り、母が話していたことを思い出した。

その爆撃地からまじかに住んでいた母はその爆撃の時、背負っていた私共々体が浮き上がったことや、隣の家の大屋根に大きな石が落ちてきたこと、 爆撃のあとを見に行った人から聞いた惨状なども私が小学生の頃に話してくれた。

もう少し爆弾が落ちる場所がずれていたら現在の私もいなかったかもしれない。

 2年前に書いているブログの中で(70年目のヒロシマから思うこと

 キューバの子供達は原爆投下日を知ってる
それはキューバの英雄、チェ・ゲバラが広島を訪れ「平和を勝ち取るには広島を知らなければいけない」とカストロに伝え、以後教科書に記載するようになったからだという文言が再び思い出された。

戦後72年経たとはいえ平和への不安材料が増すばかりの今日この頃、8月15日はテレビ、ラジオ、各都道府県などで全国的な黙とうの合図をならし、平和の大切さを全国民が再確認できるようにしてはどうでしょうか?

 

 

 

 

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ウグイスの鳴き声からひぐらしの声に

2017-08-14 | 動画

ウグイスの鳴き声からひぐらしの声になってきました。


ジージージーと啼くせみの声は暑い!と感じますが、このヒグラシのカナカナカナは何となく涼し気で貴船の川床にいるような感じがします。

少し侘びし気でもありもう夏の?終わり かな かな?かな?と。

でもヒグラシは夏の終わりに啼くのではないそうで、気温や周囲の環境によって6月から9月頃まで啼いているそうです。

そして暑い夏に健気に咲く花たちが好きです。

何年か前に苗木を買ってきて植えた百日紅が大きくなり白い花を咲かせました。

朝顔はもう咲き始めましたが、ひまわりはまだです。

 

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入市被爆という言葉

2017-08-08 | 世の中のこと

昨日見たテレビで入市被爆という言葉を知った。

(原爆が投下された後、15日目(広島の場合、8月20日)までに、爆心地からおおむね2キロ以内に入った人が「入市被爆者」とされている。)

江田島で特攻訓練をしていた18歳の兵士たちが爆心地に救護活動に入りこの世のものとは思われぬ地獄の惨状の中、遺体の処理にあたった時のことを話されていた。

11万人いた入市被爆者の中には、放射線の影響とみられる症状が現れ白血病やガン­などで亡くなった人たちが多い。

終戦後 郷里に帰ったこの兵士たちが原爆の放射能に対する無知から近所の人々の差別と偏見に苦しめられたということを聞き、原爆は広島の、長崎の被爆者だけではなく広範な人々までもその生涯を苦しめ続けたのだと改めて感じ、心がしめつけられた。そしてこんな年齢になって初めて入市被爆者のことをまともに知ったことを恥じた。

NHKスペシャル「見過ごされた被爆 ~残留放射線 63年後の真実~」←クリック

 入市被爆と救護被爆-当初より放射能の害を知っていた都築正男←クリック

 2017年 8月6日 TBS NEWSより ↓ 

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170806-00000155-jnn-soci

 

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「室井佑月 嗚呼、仰ってますが」記事より 

2017-08-05 | 世の中のこと

 

日刊ゲンダイ 記事より

知人のブログに掲載されていたのを再掲しました。

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