忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

国会前12万人の抗議そして全国1000ヶ所でも

2015-08-31 | 世の中のこと

昨日30日前夜から激しく降っていた雨も朝には少しずつ小雨になりました。

国会前での「戦争法案廃案に!」の10万人デモが気がかりになっていたのです。

今朝の赤旗新聞には大きく12万人が集まったと出ていて「わーすごい!良かった!」と。

そして全国1000ケ所で同時にアベ政治許さない!戦争法案ノーの声が響いたと書かれていました。ところが「NHKでは全然この事を報じていなかったよ」と娘が話していた。そして読売やサンケイ新聞もこの大きなニュースを無視した様子。

「どういうことっ?」って聞きたくなりますね~。

私たちの住む小さな街の一角でも2回目の行動が持たれ、前回よりも多くの人達が集まって「戦争法案はやめよ!」の声を挙げました。

(私はこの日 以前からの約束があって参加できず行き先での参加を目指していたのですが・・・・。)

皆さん ご苦労様でした。引き続き頑張っていきまひょ!


「生き甲斐のこれから~張りのある日常をどう作るか」木津川 計さん(動画)

2015-08-29 | 動画

知人のブログにアップされていた動画。2年前に木津川 計さんの話を聞きに行き面白く為になったことを思い出しました。久し振りに訪ねてきてくれた古い友人夫婦も一緒に見ました。「生き甲斐のこれから~張りのある日常をどう作るか~」と題しての内容で又いろいろ考えさせられました

 


ツイッターから知らなかったことが見えてびっくり!

2015-08-29 | 世の中のこと

 ツイッターもなりすましが多いと聞くが私が見ているのは昔からの友人を通じてだから厳選されていると思っている。

テレビや新聞で報じていないことがネットを通じて知る事ができる。知ってどうする?野次馬になってはいけないと自省しながら真実は常に隠された部分にあるということも事実。

沖縄のことやジャーナリストの安田さんがシリアで消息不明など知らなかった。

 イラク復興支援で、日本の民間航空機が武器弾薬を運んでいたことが明らかに。共産党、辰巳議員の質問に中谷大臣が認めた。     まだまだ私たちが知らないことがいっぱいある、

     安保法案に反対する学者・弁護士300人が記者会見を開き、「憲法の危機だけでなく、知性の危機」と廃案を訴えました。一斉に「違憲」「廃案」と書かれたプラカードを掲げてアピールしていました。

 

   沖縄に住んで初めてわかるんだけど、米軍戦闘機やらオスプレイやら毎日真上を飛び回って内地とは全然違う。那覇空港は日本 のものだと思っていたら自衛隊優先で戦闘機離着陸で毎回待たされる。つまり市民生活は考慮されず安全も視野にないってこと。 

    富士の演習場で自衛隊の砲弾の破片が観客席まで飛んで2人が軽傷って大きく報じられたけど、沖縄じゃ米軍の演習の流れ弾が民家の塀や駐車場のマイカーに穴を開けたって事例が日常茶飯事だよ。そしてそうした事故を報じる沖縄の新聞は一部のバカから「左翼新聞だ!」ってイチャモンつけられ

   シリア入りして消息が分からなくなっているジャーナリストの安田純平さんについて、首相官邸が主要メディアの幹部に対して「報じてほしくない」と自粛要請の圧力をかけている。そのため、国内マスコミは一部を除き一切報じない。異常だ。後藤健二さん殺害事件と同じ轍を踏もうとしている。


NHKは安倍さんと心中するな!永田浩三さんアピール

2015-08-26 | 動画

「戦争法案」を廃案に!という声が全国で大きくひろがっているというのに、一向にNHKはこの事を報道しないか、してもほんの一部だけ。

25日東京ではNHK放送センターを包囲する抗議行動に1000人の人たちが集まったそうです。勿論こんなことも放映してませんわねぇ・・。

主催者の一人醍醐聡 元東大教授(NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表)は「番組を見て意見をいうのが基本ですが、NHkの対応はあまりにしゃくし定規。目に見える行動をと企画したら大変な反響でした。」と話しておられたという。

この日 広島、大阪、京都でも抗議行動があったそうです。

ネットで元NHKプロデューサーの永田浩三さんが­NHKの職員に向かって熱く呼びかけた動画がアップされていました。

NHKもとても良い番組が放映される時があります。そのような時は抗議だけではなく激励の電話も大事だと以前から聞いています。本当にそのとおりだと思います。職員さんの多くは番組作りやその他、一生懸命頑張っておられる筈なのですものね。


「戦争法案」に怒る大津・高齢者の行進に参加

2015-08-23 | 世の中のこと

「戦争法案」に怒る大津・高齢者の行進に参加した。朝から腰痛がひどく歩けるかなぁと心配していたがしんどくなったらそれまでと思って行って来た。

天気もうす曇で風も時々吹き、集まった高齢者たち(中には若い人も)55人が行進した。ネットをみたと言って遠くから参加した人や、九条の会の人に聞いてと様々だった。ネットで呼びかけられたYさん、いろいろ大変だったことだと思います。それでも結構多くの人達が集まりよかったです。「高齢者の行進」ということで日赤の看護師さんも応援で参加され「具合が悪くなったらすぐ言ってくださいね!」と呼びかけられ心強かった。

集合場所では近くの保育園の園長さんがリレートークに飛び入りで話されたりして盛り上がった。

瀬田の唐橋を通って約20分強で行進は終了。道行く人たちの目をひいた。

「足が痛いって言っていたけれどなんや!僕より早かったや、付いていくの大変やったで~」と足の遅い人を先頭にと言われ先に歩いた私に後ろを歩いていた方が話しかけられた。ゆっくり、ゆっくり歩くのも難しいと感じた。

(写真は参加された方からYさんを通じてお借りしました)

 全国でこの様な大小様々なデモが沢山繰り広げられていますが、なかなかテレビなどでは取上げられていないようです。

スマホを持っている高齢者の方やパソコンされている方たち、検索して是非 動画ででも見て欲しい。そして「戦争法案」あかん!と感じて少しでも行動に参加してもらえればと思った。


流れる文字貼り付けに挑戦したけれど・・・・

2015-08-22 | 日々の業

この間からブログに流れる文字や点滅文字を貼り付けたいと思い、いろいろやってみた。いろんな種類のタグ(という名がついたもの)が出てきて右から流れる。左から流れる。上から下から、飛び跳ねるなど面白い。

しかし 老人はやっぱりゆっくりがいいに決まってる!って一人思ってゆっくり流れるタグとかをコピーして貼ってみた。

文字は少し大きく変えた「戦争法案」に怒る大津・高齢者の行進  おぅ~うまくいった~

プレビュー画面では流れていたのだ。 確かに。

ところがところが「投稿」ボタンぽちっと押して画面を見たら・・・・・

なんと 止まったまま・・・・流れてな~い

何回やってもだめ  あちこち調べたら グーブログではそのタグは使われていないとか。

あるブログにも出ていたがその方はタグの前に<<をつけてら動いたと書いてあった。

しかし この方法もダメだった。ブログが許可しているソース(意味 半分しかわかってないが)を使って作ればいいのだろうけれど、そこまでの頭と気力がナッシングなのだわ~

諦めるしかないのかなぁ・・・

 

 

 


車椅子生活の知人たち

2015-08-20 | 日々の業

今年に入ってから知り合いの方が3人も車椅子生活になられた。一人は同年輩の方で後二人は私より10歳以上 下の若い方だ。

一番若いYさんは乳癌の手術後 元気になられていたが、今年になって脳に転移しそれが原因で歩けなくなり、車椅子生活に。

もう一人のNさんは通勤途中に足が痛くなり、一時は良くなったものの最終的には頚椎の手術ということになり、その結果が思わしくなく車椅子になり、現在リハビリに励んでおられる。

もう一人は階段から足を滑らせ転び検査で違う病気が見つかり手や足が不自由になった方だ。

いづれも私にとっては他人事とは思えない。年を重ねると転倒が原因で歩けなくなる確率が高い。

病気で入院した場合でもそれは言えるが、まぁまぁ普通に暮らせていたのが急にとなるとショックは大きいだろう。

老いるということは身体の自由がだんだんなくなってくることだという事実をしっかり頭の中に入れ、何とかその身体の老いかたを遅らせるべく生きていくことなのだろう。こんな風に書くとやっぱり少々暗くなる。

イエィ イエィ どんなになっても心だけは明るく保って生きたいねぇ    といいつつ、最近、階段を昇る時、膝上の筋肉が衰えたように感じちょっと不安を・・・・。

  彼女たちが心明るく生きていけますようにと願って


地域の宣伝行動に参加

2015-08-19 | 日々の業
昨日、地域の九条の会と新婦人の方たちで「戦争法案廃案に!」「世界の宝 憲法九条を守ろう!」と言って近くのスーパー前やコンビに前で宣伝行動をしました。急に決まったことでしたが23名の人達が集まりました。道行く人たちの目にとまり、中にはシュピレヒコールに耳を傾ける人もいました。






この幟は私が先日 大急ぎで家にある風呂敷とフェルト生地で作ったものです。

持ち手の棒は朝顔のつる用に用意していたもので横棒は針金のハンガーを利用したもの。
なかったらないでいろいろ工夫してできるものですね。ちょっと見た目は??

夕方から30分だけの宣伝でしたがやっぱり少し疲れました。

「戦争展」から

2015-08-17 | 写真

九条の会から「戦争展」の受付を依頼され世話人数人が交代で行くことになり昨日行って来た。

「日本の青空」に続いて「ドキュメント沖縄戦」を上映されていたので帰る前に観た。

沖縄戦の悲惨さが此れまで私が知ってきた以上の酷さであることがわかり、胸にズンときた。映画の中でアメリカは地上作戦で有名なノルマンディー作戦を上回るかとも思える武器や部隊を沖縄に配備し徹底的に戦ったと語っていた。

 

 


川柳で侵略戦争と闘った若者、鶴彬

2015-08-15 | 世の中のこと

       鶴彬(つるあきら)

川柳で今も強烈に心に残っているいる句がある。田辺聖子さんの「川柳でんでん太鼓」で紹介されていた鶴彬の句だ。

 手と足をもいだ丸太にしてかへし」

鶴彬は柳名であり、本名を喜多一二(きたかつじ)という。

 万歳とあげて行った手を大陸において来た」

 「胎内の動きを知るころ骨(コツ)がつき」

 どの句も心に強く響き戦争の悲惨さを訴えかけてくる。

川柳を武器に侵略戦争へ向かう時代と徹底して闘ったこの若者のことはそれほど知られていない。 鶴彬は、1937年12月『川柳人』弾圧事件の主要人物の一人として治安維持法違反で逮捕され留置場で赤痢にかかり1938年9月病院に移送された後わずか29歳で亡くなった。

川柳で侵略戦争と闘った若者、鶴彬没後70周年←クリック

鶴彬 こころの軌跡 ←←クリック
 


同朋新聞から(沖縄県 恩納村にある万座毛は・・・)

2015-08-13 | 世の中のこと

昨日 お盆のお参りに来て頂いた折、ご住職が置いていかれた同朋新聞。その表紙に載っていた写真と添えられていた言葉。

 

「沖縄県 恩納村にある万座毛は美しい海や夕日が見えることから、現在は多くの観光客が訪れるが、沖縄戦の当時戦火を逃れるため、多くの住民がこの崖から飛び降りて亡くなったといわれる。そのような事実があったことに、私たちは耳を傾けることができているだろうか・・・」と書かれていた。

そして、新聞の中のインタビューで高 史明さんが戦後70年を迎えてという部分で語っておられた言葉にも驚いた。

「今から20年前大谷派が沖縄で「沖縄戦五十年追弔法会」を勤めた際、当時の宗務総長だった能邨英士さんが語った言葉が忘れられない。お勤めの後「日本は戦後一遍も平和だった日はありません」と言い切られた。親鸞聖人の教えを視点としてみれば沖縄だけ切り捨てておいての平和というのはないのですからね。」と。

死ぬまでに一度は訪ねたいと思っていた沖縄について、またひとつ大事なことを教えられた。


川内老朽化審査に異議=2000人が申し立て

2015-08-13 | 世の中のこと

川内老朽化審査に異議=2000人が申し立て―規制委

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150807-00000109-jij-soci

報道ステーション、時事通信、南日本新聞、東京新聞などが報じました。

国民の多くが反対している事に(辺野古移設・戦争法案・原発など)今の政府は耳を傾けようとはしない。

これは一体どういうことなのだろうか?

この国は一体どこへ行こうとしているのだろう?

そんな政権を選んだのは誰?

ドイツのヒトラーが独裁を始めた時の様に国民は馬鹿だから国民の声を無視して進めようとしているのか?

大きな企業の儲けること、世界の企業に負けないことを優先させて

日々の生活を真面目に生きている国民の命を奪っていこうとする今の安倍政権

民があっての国ではないのか

そしてなにより今こそ目覚めなければならない多くの民たち

 

(2013年7月麻生副総裁は憲法改正についてドイツの「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。」と語った。)


「若い世代の皆さん過去の話だと切り捨てずに・・・」田上長崎市長の言葉から

2015-08-10 | 世の中のこと

9日の長崎平和祈念式典で田上市長は安保法案についても慎重で真摯な審議をと訴えられた。そして若い世代の皆さんと呼びかけられた部分では本当によく言ってくださったと心の中で拍手した。

滋賀でも若者が立ち上って「戦争法案」止めようとの活動が急速に広がっている。

先日も朝日新聞に声あげる若者達の事が取り上げられ、数日前には石山駅で120人の人達が集まってアピールされた。

7月には400人が草津駅で行動され、年寄りもゆっくりしていられない!

進む安保法案審議、声上げる若者たち 戦後70年の夏←クリック

新聞で紹介された藤川さん  ↑  。

滋賀大の教授、弁護士、共産党、社民党、民主党、、学生さんなどの方々も話されたそうです。

 

被爆者代表で挨拶された谷口さん どこかで見た顔だと思ったら7月に新婦人しんぶんに載っていた方だった。

 生かされてきた私「赤い背中」の少年は私←クリック

 


70年目のヒロシマから思うこと

2015-08-06 | 世の中のこと

70年目の広島がやってきた。松井市長の平和宣言を聞きながら、被爆については同じではないけれど福島の原発によって避難されている方たちのことが重なって感じられた。

市長は宣言の中で各国の為政者たちが核保有を競うことより核廃絶への道に進むよう呼びかけ、武力に依存しない、安全保障の仕組みを作っていかなければならないと述べられた。

今朝の新聞に原爆投下の目標地として京都が挙げられていた為に大規模の空襲から免れていたことが米側の公文書で明らかになったと書かれていた。

(わぁ!本当やったら 私も原爆の被害にあって死んでいたかもしれない・・・)

1945年12月GHQが京都市民に実施した民心調査で占領軍への感情などを把握し分析、調査して民心を統治しようとしたとある。

そのひとつとしての世論誘導「文化財の為空襲されなかった」という神話。巧みに「恩人」の印象へ操作されていた。

私も京都は重要なお寺や文化財があるから原爆から免れたとずーと思っていた。しかし家の近くに爆弾が落ちたという話は母から聞いていたが、空襲の事実もその当時は軍によって公にはされなかったようだ。

ツイッターで  のような写真を目にした。

キューバの子供達は原爆投下日を知ってる
それはキューバの英雄、チェ・ゲバラが広島を訪れ「平和を勝ち取るには広島を知らなければいけない」とカストロに伝え、以後教科書に記載するようになったからだ
風化させない歴史、、、考えさせられる(ツイッターより)

55年前にガザ地区を訪れていたチェ・ゲバラと広島原爆投下から69年を迎える日本の関係←クリック