自民、公明両党が今国会でまたまた強行しようとしている「戦争立法」内容を知ると本当に怖くなってくる。
これまでの後方支援,非戦闘地域という歯止めを撤廃しアメリカの戦争にどこまでも軍事支援し敵から反撃されれば武器使用して反撃できるという。
友人のブログにぺシャワール会←で活動されている中村 哲医師の言葉が書かれていた。
アフガニスタンは日本にとって再び遠い国になった。
だが報道がないからと言って、問題が解決した訳ではない。NATO(北大西洋条約機構)が指揮するアメリカ軍が中心となったISAF(国際治安支援部隊)が年内に戦闘任務を完了して、治安権限移譲が終わるという。要するに敗北である。
治安は一向に改善の兆しがない。欧米軍が進駐した十三年前より著しく悪化している。一世を風靡した「アフガン復興支援」の掛け声も、莫大な援助額と共に、貧富の差を絶b望的に広げたあげく、どこかに消えてしまった。アフガンを皮切りに、集団的自衛権を名目とする不毛な戦で、世界中が振り回されたことは、想起されるべきだ。
政治や戦争の話題の陰で、恐るべき事態が進んでいる。農村に一歩足を入れると、光景は一変する。かつて100%に迫る食料自給率を誇った農村は、見る影もない。農地の乾燥化が進み、飢えた農民たちが職を求めて都市にさまようが、まともな仕事にはありつけない。平和であろうはずがない。
干ばつは依然として進行中である。食料自給率は既に半減し、最悪の食料危機国に指定された(2010年・世界食糧計画)。現在、国民の三分の一に相当する760万人が飢餓線上にあると伝えられる。
国民の病気の背景に栄養失調があり、特に子供の死亡率は最悪である。食料を生み出す農業が壊滅的な打撃を受けているからだ。近年の温暖化の影響で農業用水が著しく欠乏し、農村の荒廃をひき起こしている。医療団体たる我々が水利灌漑事業に力を入れ、「緑の大地計画」を打ち出したのは、このような事情による。穀倉地帯の復活を夢見て、用水路を建設し、取水堰を改修し、60数万農民が暮らせる1万6500ヘクタールの農地の安定灌漑を実現しようとしている。
だが、日本から届く報道は、情けないものだ。人の命に関る重大事も、取ってつけた様な政治議論で薄れてしまう。
特に、集団的自衛権に絡む「駆け付け警護」には唖然とした。二流西部劇に似ている。現地がまるで野蛮人の巣窟で、文明国の部隊が護ってやらねばならぬような驕りである。これは主権侵害というものであって、我々の事業と安全を守るのは現地の住民と行政だ。そこには我々と同じく、血もあり文化もある人々が暮らしていることが眼中になかった。
日本はこれまで、アフガニスタン国内では民生支援に専念してきた。そのことが日本への信頼であり、我々の安全保障であった。それが覆されようとしている。
戦争の実態を知らぬ指導者たちが勇ましく吠え、心ない者が排外的な憎悪を煽る。
「経済成長」が信仰にまで高められ、そのためなら何でもする。武器を売り、原発を復活し、いつでも戦ができるよう準備するのだという。それが愛国的で積極的な平和だとすれば、これを羊頭狗肉という。
アフガンへの軍事介入そのものが、欧米諸国による集団的自衛権の行使そのものであり、その惨憺たる結末を我々は見てきた。危機が身近に、祖国が遠くになってきた。実のない世界である。
2014年12月、アフガニスタンより