【私が生まれて養父母に育てられた出会い、それは縁というものではなかっただろうか。そしてたどってきた道程で出あった人々とその人たちと過ごし、行くことの出来た場所。 読むことの出来た本の数々との出会い。
そんな中で私はいつも縁と言うことを感じた。それを一番感じたのは私が20数年勤めた職場を退職し、家で親の介護そしてその親を見送っての後、 勤めに出ようとして職安に行った時のことだった。
テレビで「家政婦はみた」がその当時 市原悦子主演でやっていて私も今度はちょっと違った職種と思い、数軒面接に行った。そのうち2軒のご家庭が気にいってくださり、すぐに来てほしいと言われた。しかし2軒とも残念なことに元おられた家政婦さんがやはりもう一度そこで働きたいと申し出られたという理由で断られた。そのうち1軒は違う関連の所を紹介するからとも言ってくださったが、その時自分には縁がなかったのだなあ・・・と思った。
それから後 知人の紹介で知的障害者の方たちのグループホームに勤めることになった。障害を持つ人たちの夫々の過酷ともいえる人生を見聞きし、100円が大切な人達の生き方など驚くことばかりであったが、彼や彼女との生活は本当に楽しかった。そしてそこを辞めてからもその時の利用者の方や同僚で、師とも言える人たちとの付き合いが今も続いている。 私はあ~きっと仏様が私を家政婦さんじゃなくこの仕事へと導き、学ばさせてくださったのだなあ・・と思っている。
(「弟子の準備がととのうと師が現れる」というチベットの言葉がある。準備がととのう、とは弟子が師の心の深みに達すること、つまりご縁が熟することである。)と書かれた本に出会った時、「師の心・・・云々」は分からないが私なりに縁が熟するという部分だけが心の中にずっと残っている。】(2013年1月19日 旅の途中ブログ記事より)
今も心に残る本との出会い
今もこの思いは強く感じることがある。父の弟さんがずっと本家としてお墓を守ってきたのにも関わらず子供が5人もいるのに結局は誰もお墓のお守りが出来なくなり、私が自分たちのお墓と共に本家のお墓もお守りをするようになった。そういう縁でこの地に来るようになったのではとふと思ったことだ。