忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

私は X・Y・Z どころか一体 何?世代!

2022-05-25 | 日々の業

孫が子どもを連れて来てくれた。久しぶりに見る曾孫はどんどん成長している。入口の階段をあがる時、もうすぐ3歳の曾孫は私の手を引っ張っり先にあがった。曾孫に引っ張られながら私は内心びっくり!

こんなところにも●●が・・・

30歳になる孫が高校の友人たちと会った時「ウクライナがロシアと戦争していることを全く知らなかった」と話したそうだ。孫は友人のその言葉に驚いたと言っていた。

うーんこれこそ Z世代か?(10歳から25歳の世代)

いやいやもうZ世代の前30歳やからY世代やなぁ!

最近知ったZ世代と言う言葉 新聞もテレビも見ることもなくスマホで済ませている人たち。自分の興味ある事だけに目を向けている若者。しかし30代は子育てもしたり何かでゆっくりテレビや新聞を見る機会を無くしているのかもしれないが・・・。

一概には言えないがじわりじわりとZ世代とやらが来ているように感じた。

そして私は X・y・Zどころか一体 何?世代! 

 


沢山頂いたいろいろなご縁から

2022-05-14 | 生き方を学ぶ

【私が生まれて養父母に育てられた出会い、それは縁というものではなかっただろうか。そしてたどってきた道程で出あった人々とその人たちと過ごし、行くことの出来た場所。 読むことの出来た本の数々との出会い。

そんな中で私はいつも縁と言うことを感じた。それを一番感じたのは私が20数年勤めた職場を退職し、家で親の介護そしてその親を見送っての後、 勤めに出ようとして職安に行った時のことだった。

テレビで「家政婦はみた」がその当時 市原悦子主演でやっていて私も今度はちょっと違った職種と思い、数軒面接に行った。そのうち2軒のご家庭が気にいってくださり、すぐに来てほしいと言われた。しかし2軒とも残念なことに元おられた家政婦さんがやはりもう一度そこで働きたいと申し出られたという理由で断られた。そのうち1軒は違う関連の所を紹介するからとも言ってくださったが、その時自分には縁がなかったのだなあ・・・と思った。

それから後 知人の紹介で知的障害者の方たちのグループホームに勤めることになった。障害を持つ人たちの夫々の過酷ともいえる人生を見聞きし、100円が大切な人達の生き方など驚くことばかりであったが、彼や彼女との生活は本当に楽しかった。そしてそこを辞めてからもその時の利用者の方や同僚で、師とも言える人たちとの付き合いが今も続いている。 私はあ~きっと仏様が私を家政婦さんじゃなくこの仕事へと導き、学ばさせてくださったのだなあ・・と思っている。

(「弟子の準備がととのうと師が現れる」というチベットの言葉がある。準備がととのう、とは弟子が師の心の深みに達すること、つまりご縁が熟することである。)と書かれた本に出会った時、「師の心・・・云々」は分からないが私なりに縁が熟するという部分だけが心の中にずっと残っている。】(2013年1月19日 旅の途中ブログ記事より)

 

      今も心に残る本との出会い 

今もこの思いは強く感じることがある。父の弟さんがずっと本家としてお墓を守ってきたのにも関わらず子供が5人もいるのに結局は誰もお墓のお守りが出来なくなり、私が自分たちのお墓と共に本家のお墓もお守りをするようになった。そういう縁でこの地に来るようになったのではとふと思ったことだ。


久しぶりにパソコンのトランプゲーム

2022-05-13 | 日々の業

一昨日夜中に何回も目が覚め、昨日はよく眠ったせいもあり、体がすっきり楽になった。すると夜いつもより長く起きていられる。久しぶりにパソコンのトランプゲームをやった。

最近はよほど体の調子がいい時にしかやらなくなったひとりで楽しめるトランプゲーム。中でもよくやるのが「カップル」「ピラミッド」この二つはあまり考えずに出来る。あとは「ソリティア」と「スパイダー」この二つは少々考えてやらねば出来ない。昨夜は「ソリティア」が何度しても最後までいかずもう少しもう少しと思いながらやってしまい、最後に全部揃ってトランプのカードが跳んだのは11時半。しまった!こんなに遅くなってしまった・・・目にも悪いし何よりも寝る前にパソコンの光を受けると寝付きにくくなる。案の定 ベッドに入ってからなかなか寝られなかった。

悔やんでも仕方がない。今度からは昼間にしようと固く誓ったが・・・

以前、友人にこのトランプゲームの話をしたらこの友人も暇なときにやっていると言ってきた。

この様に気楽なことを言ったり、したりしているのだが、世界では、いや日本でも住むところもなく食べるものもなく、戦争などで怯えて過ごしている人たちがどれだけおられることだろうか?

あまりにも暗いニュースが多すぎるこの世の中、せめてもの小さな楽しみを今は許して・・・

そして自分が出来ることは?と問うてみる。

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老いの道みんなで渡れば怖くない!?

2022-05-08 | 日々の業

知人は昨年膝の手術をしてからリハビリの為病院に行っていた。その後毎日ウォーキングをしたりジムに行ったりし最近プールに行って鍛えるつもりらしい。自分が思っているほどよくはならない。周りの者は「そんなに焦っても以前のようにはなかなか戻らないから、ゆっくり治していこう」と言う。山が好きで信州やあちこちの山に登っていたから、なおさら自身の足が恨めしいのだろう。

元のようにならないことは本人も分かっているが、周りの人がスタスタ歩く姿をみると悔しい思いがすると言われた。「元気そうに歩いている人だってわからへんよ~年がいったらどこか不自由な処があるものやしなぁ」と話している。

別の友人は中くらいのやかんを持ち上げるときえっ!とびっくりしたそうだ。それまで普通に持っていたやかんが急に重たく感じたと言う。私もその通りのことを先日感じたところだった。いつも行っているリハビリでも利用者の方がかけた布に洗濯ばさみを次々に挟んでいく作業をしておられるのを見て、私もちょっとさせてもらった。結構強い力がいるなぁと感じたが、私の手や指の筋力が衰えてきているのは確かだろう。

こうしてあちこちの筋肉が減りそれに伴った弊害がどんどん出てくる。

老いの道みんなで渡れば怖くない!?   

 


戦争が終わってわずか数年であるにもかかわらず、永井博士は、日本の再武装を危惧していた。

2022-05-05 | 世の中のこと

(永井 隆著「この子を残して」より)
博士は、学者として冷静に自分の体を実験台にした。同時に戦争の無力さや悲惨さも著作の中で訴えている。
「戦争が長びくうちには、はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、戦争がすんだころには、勝ったほうも負けたほうも、なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。そうして、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて、――戦争はもうこりごりだ。これっきり戦争を永久にやめることにしよう! そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、なんとなくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?」
 「しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。」
 「もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと〝戦争絶対反対〟を叫び続け、叫び通しておくれ! たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても〝戦争絶対反対〟の叫びを守っておくれ!」

「いとし子よ。敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」(長崎の鐘より)
 1945年8月、広島・長崎への原爆投下後、日本は降伏し、戦争は終結した。戦争が終わってわずか数年であるにもかかわらず、永井博士は、日本の再武装を危惧している。人間とは、かくも愚かな生き物か。永久に戦争を放棄しようと誓ったではないか。また戦争を起こそうとするのか。永井博士の危惧は、皮肉にも的中してしまった。戦後61年を経たこの日本で、日本の核保有論がまさに議論されようとしているのだ。
唯一の被爆国である日本。この国が進むべき道は、決まっている。平和の道をひたすら歩み続けることである。永井博士は、敵を愛せよ、と説いている。自分さえも自国さえも愛せない現代の私たちに、敵を愛するという恐らく一番困難な課題を克服することができるのだろうか。
博士の言葉は、原爆という核兵器の恐ろしさを身をもって知り、命の炎燃え尽きるまで、人間としての尊厳を失わなかった博士自身の魂の言葉である。怒りは怒りの連鎖を作る。戦争をなくすのは、博士が言うように唯一愛、それも与え続ける「愛」なのかも知れない。


懐かしい歌にであった!「どこまでも幸せ求めて」

2022-05-03 | 昔語り

よく見ている方のブログに忠やんの動画が載っていた。youtubeを開くと沢山出てきてその中に「どこまでも幸せ求めて」があった。懐かしい‼  思わず一緒に歌っていた。

忠やんと親しそうに言っているが京都にいるとき、ほんの一時「ひまわり合唱団」に入って練習していた。山本忠生さんはアコーディオンの奏者 親しい人柄で知られていた。滋賀に移ってからも高齢者大会のために歌の指導に来ていただいたことがある。その時若いころのイメージが変わり随分歳をとらはったなぁ!と思った。(自分の事はさておき)

「どこまでも幸せ求めて」の歌は50年以上前、地域の合唱サークルでもよく歌ったし、何よりも私の結婚式でも歌った。

懐かしい歌に出会えて昔を思い出しながら少し涙もでたが口ずさんでいた。