忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

「信なくんば立たず」政治の最高の目標を「信」に求めた孔子

2024-10-27 | 旅の途中

信なくんば立たず

2011-07-09 | 生き方を学ぶ      

     

孔子が弟子の子貢から政治の目標は何かと聞かれたとき「食、兵を足らし、民これを信にす」と えた。弟子が「この三つのうちで一つを諦めねばならぬとしたらどれですか?」と聞かれ「軍備だよ」残りの二つのうちかりにもう一つ諦めねばならないとしたら?」

「もちろん食糧だ。人間はいつかは死ぬ。死は逃れられないが、信義が失われては、生きていてもそのかいがないではないか」と答えたそうだ。

政治の最高の目標を「信」に求めたという話だが、その当時も政治家たちは孔子の理想とした「信なくんば立たず」からはるかに遠かった。

老荘思想入門という本の中に書かれていた部分だが、本当にそうだなあとつくづく思った。

今の政治に国民は不信以外の何ものも感じていないように思う。もういい加減にして!と多くの人が思い、うんざりし諦めの気持ちさえ持っている人たちがいるのではなかろうか?しかしそうも言っていられない。こんな状況だから何とかしなくてはと多くの人たちが気づき、立ち上がりつつあるのも現実で、もっともっと多くの人たちが自分たちがこの国をよくしていかねばと行動していくことを願っている。私自身は高齢者となって今 病の後で積極的には動けないけれど、私なりの形で表していけることを願っている。

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やなせたかしさんの「明日をひらく言葉

2024-10-16 | 旅の途中

2013-06-21 | 生き方を学ぶ

やなせたかし「明日をひらく言葉」という文庫本をたまたま本屋で目にして買った。

94歳になられたやなせさんの言葉には戦争を体験しそこから生まれた漫画「アンパンマン」に繋がる生きる意味が込められている。

保育園勤務時代 子供たちがこのアンパンマンの絵本や紙芝居をとても喜んで見ていた。

そしてよく歌った「手のひらを太陽に」のうたなど思い出した。

本の中に書かれている言葉の中で

 「昨日は過去で、明日は未来。今だけ現実なんだけれど

   過ぎてしまえば夢だから、一秒きざみに夢になる。」

 「人間が一番うれしいことはなんだろう? 長い間、ぼくは考えてきた。

そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。

ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい。」

   悪夢のような大震災の後

  ラジオから流れた「アンパンマンのマーチ」を聞いて

  子どもたちが笑顔の大コーラス。

  そのニュースを聞いて、ぼくは本当にうれしかった。

  「笑って楽しむ気持ちがあれば、いくつになっても

    心を若々しく保つことができる。

   これは、ぼくが人生経験から得た ひとつの答えです。」

子ども達に読み聞かせていた頃には、やなせたかしさんのアンパンマンに込められた想いなどについて深く考えることもしなかったが、今 この本の中にちりばめられた数々の言葉とその言葉に添えられたやなせさんの想いを知り、その奥深い人生観に接しすることができ本当によかった。

 

 

 

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出会いの縁

2024-10-13 | 旅の途中

出会い・ご縁

2013-01-19 | 生き方を学ぶ

私が生まれて養父母に育てられた出会い、それは縁というものではなかっただろうか。そしてたどってきた道程で出あった人々とその人たちと過ごし、行くことの出来た場所。 読むことの出来た本の数々との出会い。

そんな中で私はいつも縁と言うことを感じた。それを一番感じたのは私が20数年勤めた職場を退職し、家で親の介護そしてその親を見逝っての後、 勤めに出ようとして職安に行った時のことだった。

テレビで「家政婦はみた」がその当時市原悦子主演でやっていて、私も今度はちょっと違った職種と思い、数軒面接に行った。そのうち2軒のご家庭が気にいってくださり、すぐに来てほしいと言われた。しかし2軒とも残念なことに元おられた家政婦さんがやはりもう一度そこで働きたいと申し出られたという理由で断られた。そのうち1軒は違う関連の所を紹介するからとも言ってくださったが、その時自分には縁がなかったのだなあ・・・と思った。

それから後 知人の紹介で知的障害者の方たちのグループホームに勤めることになった。障害を持つ人たちの夫々の過酷ともいえる人生を見聞きし、100円が大切な人達の生き方など驚くことばかりであったが、彼や彼女との生活は本当に楽しかった。そしてそこを辞めてからもその時の利用者の方や同僚で、師とも言える人たちとの付き合いが今も続いている。 私はあ~きっと仏様が私を家政婦さんじゃなくこの仕事へと導き、学ばさせてくださったのだなあ・・と思っている。

(「弟子の準備がととのうと師が現れる」というチベットの言葉がある。準備がととのう、とは弟子が師の心の深みに達すること、つまりご縁が熟することである。)と書かれた本に出会った時、「師の心・・・云々」は分からないが私なりに縁が熟するという部分だけが心の中にずっと残っている。

 

11年前に書いていた「ご縁」に対する思い。先日も出会い、ご縁のことを書いていましたが・・・出会いの縁、離れる縁・・・

 

   今も心に残る本との出会い 

ところがこんなに大事に思っていた本が最近どこを探しても見つからないのです。身辺整理もかねて随分本も処分したときに間違って処分してしまったのでしょうか?これだけは!と思っていたのに残念です

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河井寛次郎さんのこと

2024-09-11 | 旅の途中

河井寛次郎さんのこと

2012-08-28 | 生き方を学ぶ

久し振りに紫雲寺さんのHPを見たら掲示板に私の好きな河井寛次郎さんの言葉が出ていた。

「この世は自分を探しに来たところ この世は自分を見に来たところ」

自分を探してどんな自分が見えてきたか・・・恥ずかしい限りの自分であったと思った時 そこには自分を見捨てず導いて頂く仏陀の姿があった。(私流の勝手な解釈)

河井寛次郎さんの事を知ったのは20数年前のことだった。県立美術館に入って陶芸品の展示を何気なく見ていて、数々ある作品の中で何度となく足を止めて見入ってしまった作品 名前を見ると皆 「河井寛次郎作」と記されていた。

その作品を見ると何となく心がフワーと温かく感じたのだった。

6年程前に京都へ書道展を見に行き、陶器祭りに行って、近くの河井寛次郎記念館に立ち寄ることができた。

思っていた通りそこで寛次郎さんの生き方を少し感じられるような気がした。

河井寛次郎記念館 HP 

http://www.kyotodeasobo.com/art/column/museum_kikou/02.html

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旅の途中2011年10月~

2024-08-07 | 旅の途中

ブッダとそのダンマ

2011-10-21 | 生き方を学ぶ

この間 少しずつ読んでいた「ブッダとそのダンマ」

ダンマとは仏教の本質の意味で人と人との間の正しい関係の確立であり、慈悲の心を基礎とする道徳の確立でもあるとアンベートガルはいう。

ブッダが伝えたかったことをアンベードガルが徹底的に研究し、不可触民解放のためのバイブルであり手引書として書かれた本で、これまで読んできたブッダに関するものとまた違った角度からも読むことができた。わかりやすく常に傍に置いておきたい本となりそうです。

ブッダが修正したもの

* 妥当性のある因果の大法則を彼は容認した。

* 神が人間や世界に何が起るか予め定めたという宿命論やそれに似た馬鹿げた考えを否定した。

* 前世に犯した一切の行いは苦しみを生み現在の努力を無意味化する力を有しているという説を否定した。

  彼はカルマの宿命論を否定し、もっと科学的カルマ理論に置き代えた。

* 輪廻は再生論に置き代えた。

* 霊魂の解脱論をね涅槃論に置き代えた。

ブッダが認めたもの

 ブッダの教えで最初の際立った特色は、あらゆるものの中心にをおいたことである。は物事に先んじ、支配し造り出す。もしを完全に把握すればすべての事も把握できる。

”心は総ての働きを導くものであり、主人であり、そのものがその働きでできている。先ず専心すべきことは心の修練である。

第二の特色は、我々の内外に起こる総ての善悪は心が生みだす。悪や悪に関連し悪に属する一切の事柄は心から生じる。善についても同様である。閉ざされた心で語り、行為すれば、牛に曳かれる牛車の車輪のように苦しみがついて回る。それ故心が澄み切っていることが宗教の核心でなくてはならない。

第三の特色は一切の罪深い行為を避けよ。第四に新の宗教は宗教書の中ではなくその教えの実践にあるとした点である。      (BRアンベードガル  山際基男 訳 「ブッダとそのダンマより」)

瞬く間

2011-10-18 | 日々の業

毎日が瞬く間に過ぎていく。会議や何かで出かけると半日が過ぎ、帰ってからも何かしら落ち着かない。

ゆっくりと家で自分のしたいことを自分のペースでやれることが何より心落ち着く。しかし世間に対してほんの少しでも役に立たなければ自分が生かされてある意味がないとも思う。

毎日の日暮らしの中でこのままでいいのだろうかという思いがふとよぎる。

世間一般の喜びや遊びの中でそのあとの虚しさがいつもよぎる。一体私はどうしたいのか?

大手術の後は唯、唯 生かされてあることの喜びと感謝で一杯だったのに。

大震災にあわれた方たちは毎日をどのような思いで過ごされているだろうか 特に年をとられた方たちは希望をもって立ち向かうことなどしんどいことだろうと思う。

震災の事を思うと自分独りよがりの事は思えないし、何とか自分なりに動かねばと思うのだが・・・ そうやね いつもいつも人間元気な気分でいられるわけじゃありませんよね。

久し振りの友

2011-10-15 | 日々の業

3日程前、高校の同級生に電話した。長い間ご無沙汰だったのもあるし声も聞きたかったからだが。生憎 留守でかからなかったが翌日かかってきた。元気にしてるか?に始まりやはり年には勝てない、週のうち何日かは病院通いだと言っておられた。

私も大腸がんの手術をして大変だったと話した。同級生の近況など話していて、どうも精神的にしんどい状況を抱えておられるように感じた。いつ頃からだろうか? どうりで以前のような勢いが電話の声から伝わってこないように思えた。

積極的に人に会ったりするのが億劫だと言われ「鬱か?」と聞くと「まあ、そうや」という答えが返ってきた。

それで長年の疑問が解けたような気がした。


「変容する西陣の暮らし」の本

2011-10-13 | 世の中のこと

いつも為になる本を届けてくださる知人のMさん。昨日も私が運動を兼ねて西武に行っている間にポストに入れておいてくださった。

「変容する西陣の暮らしと町」という本だった。私が生まれ、育った西陣の事が書かれている。Mさんもある時期西陣に居住されたことがあり、興味があって求められたらしい。(10年ほど前の本だが現在はもっと変わっているだろう)

京都に行くたびに(病後 最近はなかなか行けなくなったが)ビルが立ち並び昔の面影が無くなっていく風情にがっかりしていたが、どのように変わっていったのか西陣をとおして読んでいきたい。

小さかった頃笹屋町通りに糸で作った人形展があったがそんなことを覚えている人ももう少なくなってきているかもしれないなあ・・・と思いつつ。

西武でウィンドーショッピングをしながら1時間40分位歩いたが、夜に足の痛みもなかった。だいぶ元に戻ってきたかなと思った。

家具の移動

2011-10-11 | 日々の業

家の家具の移動をした。私は昔から家具の移動が好きで、小さい部屋をどうしたら大きく見えるようにするかとか、便利に動けるにはなどと考えるのが嬉しい性質らしい。

台所のテーブルに最近パソコンが置きっぱなしになって気になっていたのでいろいろ考えてディスクトップのパソコンをパソコンラックに置きかえて(上の娘のリサイクルショップより調達)、プリンターも上に乗せるとパソコンで使っていた机のスペースが広くなった。

そこへ娘のパソコンを置き、仕事をしてもらうようにした。

8段あった小引き出しの棚二つに入っていた書類や、薬、文房具、手紙類をしまう箱を押し入れからごそごそ探しだし、机の下に入れた。(足らない分はこれもリサイクル店で)

奥の部屋は物置同様で、これも気になっていたのでついでに片づけよーと思い立ち、大きな整理タンスの引き出しを抜いてから移動し本箱の所に置く。元の本箱は本の整理をしながら窓側に移動。

長年大事に残していたジェーンエアーの単行本も思い切って処分し高かった福音館の児童書も処分することにした。ゆっくりできるようになったら読もうと思っていたのだが、細かい字も読みづらくなってしまったし、孫たちも読まないという。

パソコンの奥の凄いほこりも、タンスや本箱の後ろも、中に入っていたものの整理もできてすっきり。すっきり。

よー動かしたなあ・・・・とびっくりして言う娘に、元気に動けることのありがたさはわかるだろうかなあ・・・。



小出裕章先生の講演

2011-10-10 | 世の中のこと

昨日は小出裕章教授の講演を聞きに行ってきた。テレビで原子炉内部の説明を保安院の人が説明されていてももう一つわからなかったのが、先生のわかりやすい説明でぐんとわかった。たとえ話を入れながらなので理解できやすかった。

それに皆が原子力推進に傾く中ひとり反対を貫いてこられたとは思えないほどのやさしい人柄がにじみ出ているように感じられた。

東電や、国が最大の罪を背負い償うべきだ。しかし原子力に携わってきた自分も国民に危険なことをもっともっと広めていく力が弱かったことで責任を感じる。又、騙されたとはいえ大人も責任の一部はあるだろう。しかし子供には何の責任もないのに放射能の被害を受けねばならない。このことを思う時何としても子供達を守っていかねばならないと思うと切々と訴えられた姿に感動した。

じかに先生の話を聞いて、なぜか原子力に対してホッとしたという感じをもった。これは安全だからという意味ではなく今までわからないまま不安で過ごしてきた気持ちがでんと落ち着けたというところかもしれない。

松戸からの便り

2011-10-06 | 日々の業

 千葉の中村さんからハガキが届いた。今年は梨が送れません。放射能汚染が松戸にも広がっています。本当に残念です。という内容だった。この季節になると十年以上前からずっと送ってきてくださった大きくて甘い梨。近所におすそ分けして回り、皆に喜ばれていた。

早速電話でお礼を言い、今度はこちらから何か送るわねと言ったが、「いいんよ。そんなこと考えなくても」と言われた。大変な状況になってきているなあ・・・といろいろ話たが・・・。

今日は 朝チャン風邪で学校を休んだ。めったに休むと言わないのに余程しんどかったのか、よく眠っていた。運動会前後寒かったりで、体調を崩したのかもしれない。

ピロリ菌検査

2011-10-05 | 日々の業

月曜 約束していた京都の友人佐野さんと青木さんが信楽の帰りに来られ、久し振りにいろいろ話した。

4日火曜日も食欲はあまりなく又、お腹か胃の具合が悪くなったのかと心配したが、それでも午前中は中井さんと整骨院に行き、フォレオで軽くサンドイッチを食べたが大丈夫だった。

今日5日は検診の日で胃のピロリ菌検査と腫瘍マーカーの検査をした。心配していたがどちらも検出されず、胃の方はもう1年に一回の胃カメラだけでよいと言われた。

大腸は3カ月に1回の血液検査、CT、大腸透視検査などが年明けに待っているがまあ、やれやれというところだ。

引き続き食事に気をつけ、運動も忘れづにというところ。来月は末梢血管の血流検査を受けることにした。

サクソフォンコンサートのあと

2011-10-03 | 日々の業

昨日は新婦人しが全班交流会があった。部のサクソフォンコンサートがお目当てで近くの方二人を乗せて出かけた。サクソフォンの音色は力強くクラリネットとは又違った感じの演奏になるなあと思った。中川美保さんは被災地にボランティアに行かれ被災された方々を音楽で励ましてこられたようだ。

 

会の途中からお腹が痛くなり部の途中で退席した。帰ってから横になっていたがとうとう夜、嘔吐しだした。病院に行こうかと娘が心配したが、様子を見る。2回目の時は大量に出て、少し血が混じっているようにも見えたが、昼に作って飲んだジュースの人参かもしれないと思った。

沢山のジュースを昼一気に飲んだせいかもしれないなどと思いながら、少し不安がよぎったが不安はダメ良いように考えましょうと心で思いながら横になっていた。3回目で全部出たのかだいぶすっきりして眠りに着いた。

運動会

2011-10-01 | 写真

今日は孫たちの運動会の日だった。昨日の雨もあがり昼からは良い天気になってほっとした。高学年になり写真を写すことも、話しかけられるのもちょっといや~という感じになってきたあーちゃん。小さいころの可愛かったあーちゃんはどこに行ったのかと思うくらいの成長ぶりだ。Rちゃんも大きくなって本当にきが良くつくお姉さん。それでも甘えん坊でちゃーちゃんにくっついたり、偉そうに言って怒られたり。二人を車に乗せて保育園の送迎していたころが懐かしく思いだされる。



 
がんばって!!

6年生と合同の新ソーラン節の始まり

 

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スマナサーラ長老の「怒らないこと」という本  他

2024-06-01 | 旅の途中

2014-01-06 | 旅の途中ブログ

 スマナサーラ長老の「怒らないこと」というが今まで読んできた仏教の本とは全く違う様に感じ心にストーンと落ちた。

そして「仏教は心の科学です」を読み、ますます確信した。これだったんだと。

そこに又 友人が日本仏教についての変遷を書いた本を見せてくれた。

そして義姉の葬儀で思った・・・・この生き方が仏陀が説く仏教そのものだったのではなかったのだろうかと。

テーラワーダとは、パーリ語(古代インドの言葉)で、長老の教え、という意味で、お釈迦様の時代から、二千五百年間の長きにわたって実践され受け継がれてきたお釈迦様の根本の教えなのだそうです。

先日も修行について書かれた部分を読んだ。

私も時々「修行が足らへんなあ・・」とよくいうが、そんな時、本当に「修行」の意味をわかって心底使っていたのだろうか?果たして疑問に思えてくる。

お釈迦様は『平安な心と忍耐は最高の修行です』と言われている。

「最高の修行というのは何日間も断食をしたり冬に滝に打たれる行などをして、わざと苦しんで忍耐の精神を育てなくてもふつうの生活の中で、いくらでも、平安な心を作らなくてはならない場面や忍耐をしなければならない場面が起こってきた時に、『どんなものにも波立たない落ち着いた心』と『つらいことに対する忍耐をつくること』だと話しています。

いつの時代でも、どこにおいてでも、人は修行といえばこの二つだけやればいいのです。もしも修行がしたければ、まあこの二つだけやってみてください、とお釈迦さまはおっしゃっているのです。これはやってみるとかなりたいへんで、難しいのです。」

               (パーリー経典諸仏の教えより一部抜粋

確かにこれが一番難しい修行だろう。「できひんわ・・・」と諦めずやってみよう!そやけどこの修行、死ぬまで続くやろうなあ・・・。

       日本テーラワーダ仏教協会

 

2014-01-12

年ぶりになるだろうか?久し振りに修行僧のNさんが来られた。

話は懐かしい人たちのことから始まり、仏教の話、 生き方 、そして先の希望についてなど等 話はつきず楽しい時間があっという間に過ぎた。

学生時代親の言いつけを守り勉強一筋に励み、社会にでていろいろな人たちに出会い人間関係に悩み、苦しんできた彼が言った言葉は

「いくら勉強ができ賢くても人との関係がうまくいかなかったらだめだということがはっきりわかりました。」。

生きていくうえで一番大事なことは人との関係で自分と意見が違う人ともどのように付き合っていくかをよく考えていくことだと話されていた。

好き、嫌いで選別しがちな自身の中身をもう一度振りかえなければならない言葉だった。

お経もちゃんと呼吸法を考え健康にいい呼吸を考えて作られているという「釈尊の呼吸法」という本の話から、もう文字も小さいので彼に読んでもらうことにした。ついでに本箱にあった仏教辞典や教行信証、唯識の本など貰ってもらった。

こんな難しそうな本読まれたのですか?と聞かれ「さーっと読んだだけかもしれへんけれど 昔、 師が難しくても目を通しているとどこか心に残る部分に出会うはずと言われたから・・」と答えた。

会うたびにひとまわりずつ大きくなっていかれる修行僧のNさん。

「ええ お坊さんになって人々を導いてや~」    

2014-01-21

年末に知り合いの方が交通事故で突然亡くなられた。組合の代表の一人として大事な仕事をされ私のところにも何回かメールを送って頂いたりしていた。

年明けに同じ団地の方が病気の為亡くなった。この方とは昨年 体操のことで初めて顔見知りになり、言葉を交わしたりしていた。

続けての訃報に驚くとともになんとも言いようのない人間のはかなさを感じた。

「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」という親鸞聖人が詠んだと言われる歌が心の中に浮かんできた。

 「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。同じように、私の命もいつなくなってしまうかわかりません。どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」と親鸞聖人が子どもの頃、高僧 慈円に願ったと言われています。

少し早かった人生だけれど悔いのない人生を生きられたと思いたい。

そして自分も後に続くものとして毎日を精一杯生きなければ・・・・

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古くなった墓石と先祖について

2024-05-31 | 旅の途中

古くなった墓石と先祖について   

         2017-05-01 |旅の途中ブログより 

亡き実父の先祖のお墓があるお寺に行った。墓地の整備をされるので古い墓石をどうするかという話と、先祖の位牌などを見せてもらう為だった。京都の出町柳にある常林寺←というお寺で随分昔にお墓参りに一度来たが、本堂に入りお参りするのは初めてだった。代替わりされたご住職の丁寧なお話も聞かせていただいた。豊臣秀吉の念持仏があったり、勝 海舟や坂本竜馬たちが逗留したという部屋もみせてもらい、歴史を感じられるお寺だということを知った。

善導大師 (右) 法然上人 (左)

先祖のお墓 

元禄14年と刻まれた(義士の討ち入りがあった年や!)墓石。 ひび割れもみられる高野川の傍に立つこのお寺は昭和10年の大水の時は墓地が水びたしになったそうで地面が低地になっていると話されていた。

又、秋には秀吉が好んだ「垂れ萩」が境内に沢山咲き乱れ萩の寺としてもよく知られているという。内陣の奥にずらーと奉られた沢山の位牌の中からS家の大きな位牌を見せてもらった。

文化・文政・元禄と戒名の裏に刻まれていた。

ご住職が古い過去帳を持ってこられた。お寺でその年毎に記録されている過去帳なのでむやみに人には見せられないということを知った.(家家ごとに書かれていると思っていた)

S家のみを遡って拾い出していく作業も大変な中、判ったもののみコピーして見せて頂いた。

一緒に行った兄や従兄妹たちも自分達の先祖についてある程度知ることができ、驚きと同時に感慨深げのようだった。

ある年齢になると何となく自分の先祖を知りたくなる人も多いらしいが、

先祖は13代遡れば皆 親戚だという話を昔 お寺の法話の折、聞いたことがあったような気がした。

先祖があってこそ現在の自分が存在するということに気付き、唯、唯、感謝し供養することの大切さを思った。と、同時に

 「生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。」というお釈迦様の言葉をも思い出していた。

 

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韓国ドラマ「トンイ」

2024-04-23 | 旅の途中

2011-12-05 | 日々の業

日曜の夜 BSで放映される韓国ドラマ「トンイ」を楽しみにしている。友人が1年ほど前にこのドラマのDVDを貸してくれて最後まで観ているのだが、日本語吹き替えでもう一度観てみると又、面白く毎週観てしまう。

韓国ドラマはだいたい筋書きが似ているように思うが、なぜかはまってしまう。貧乏な賎民とお金持ちが出てくる。そして貧しい主人公がその才能を発揮して成功し認められる。

トンイもその例にもれず、賎民の出で国王に愛され宮殿での幾多の苦難と危機を乗り越え側室になり、最後は貧しい人達のために奉仕していく。

このドラマの中で悪女に成らざる得なくなった王妃が言った言葉「権力の前では真実など何の役にも立たない」

「一度権力を手にしたものは決してその手を離そうとしない」 が妙に心に残った。

人間の欲望のすごさが今更のように感じられる。そして このことは現在でも生き続けているように思う。

権力も金力もない普通の人間が一番 楽な生き方なのかなあ・・・・

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削除したブログやっぱり残したいね~

2024-04-10 | 旅の途中

近くの山へ

2011-11-20 | 日々の業

近所のAさんとNさんで天気もよいので前から話していた団地近くのアンテナ山に行ってきた。15分もあれば登れてびわ湖が見えてきれいよ!という言葉を前から言っておられたので是非登ってみたいと思い、今日念願がかなった。

手術の後の体調も順調なので体力を見るのもあってちょうどよかった。登り始めが少しきつかったが後はまあまあゆっくりと杖をついて登って行った。

去年は孫たちを連れて今時分に立木さんへ登ったことを思い出した。年が明けて2月に手術を2回もする身になるとは思いもしなかったのだが・・・年月の経つのは何と早いのだろう。

約25分位はかかっただろうか、やっと登りつめて 向こうに瀬田川、びわ湖がきれいに見えて最高!だった。

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