えっ!上七軒(かみひちけん)が、「かみしちけん」やて! 七本松(ひちほんまつ)が「しちほんまつ」?
何 言うてはりますね、「かみひちけん」ですがな!
いつから そんなことに なってたんえ~今の今まで知らんかったわ・・・・。
知人が「京都ぎらい」の本を図書館で借りようとしたら700人待ちやって言われたと言っていた。
この知人からはいつもいい本を見せてもらっているのでお返しにと思い、アマゾンで注文し、お先に読んでみた。
読んでみるとなかなか面白い。中には声を出して笑ってしまう箇所まであった。
先の上七軒は後書に書かれていた部分。「かみひちけん」とキーボードを打っても変換はしないが「かみしちけん」と打てばちゃんと出てくる。
若い頃上七軒に住み、七本松通りの職場に通っていた私はそれこそ このことに驚いた。
本の著者の井上章一さんは平成8年に七が「しち」と読むということを知り「ひち」が方言であることを思い知らされたと書かれている。
他の都市では衰退の一途をたどる花柳界が何故京都ではまがりなりにも生きながらえているのか。お寺との関係で書かれおり、「姫・坊主・姫・坊主」と並ぶ様子を坊主めくりに見立てる。そんな場面やお寺の事情を古都税なども交え、、そして歴史からもと内容は多岐にわたり、へぇ~そうやったん!と学ぶことも沢山あり本当に面白かった。
「京都ぎらい」や言うたはるけどホンマはそんなことあらへんと初めから思っていたが、嵯峨で育とうが宇治であろうが京都は京都
いけず言わはる人はほっときましょ!井上さんの京都への愛着は只者ではなかったと。
最後に日の丸、君が代そして靖国の箇所では明治新政権が慰霊の対象にしたのは倒幕派で味方の死者の慰霊のために招魂社、のちの靖国神社をもうけた。
中世期までの怨霊思想にしたがえば「佐幕派の会津の人々よ許してくれ、新しい政権を打ち立てるためにお前達の血を流すことになってしまった。うらむなよ。立派な神殿をもうけて神として敬いあがめてやるから・・・」となるだろう。
又、国旗や国家についても論じ、何かで国民をしばろうとする姿勢に違和感を覚え、現政権の歴史展望が明治より前に届かないのかとがっかりすると書かれていた。
そして京都に60年近くくらしてきた自分はすっかり京都風に汚染されたのだろうかと締めくくられていた。