戦後70年の締めくくりとして二つの番組を収録し昨年8月に放映された「焼け跡の灰の中から 知られざる戦後秘話」を録画で観た。
第一話は1998年に放送された「敗戦その時日本人は」という題で敗戦直後の教育現場の様子が語られていた。1945年8月19日高崎国民学校では緊急の職員会議がもたれ、子供たちに終戦をどう伝えるかが話し合われていた。
「戦争は必ず勝つ、日本は神の国だから」と教えてきた教師たち。多くの教師たちが戦地に送られ代用教員をしていた17歳の永井さんが残されたその当時の資料を元に教師たちの混乱や苦悩、子供たちの様子が綴られていた。
時の文科省は戦時中の教育に対する反省はうかがえず、教育現場では戦争に負けたことをはっきり子供たちに話すべきという意見と混乱をきたすから話すべきでないという意見とに分かれた。又 教師たちに責任はないという意見もでるなか永井さんは子供たちへのけじめの付け方に迷いながらも最終的には子供たちに謝罪された。
政府が終戦と言っている敗戦ではないといい、教師の責任はウヤムヤになった。当時、教師たちは民主主義の教育というものがわからなかったとも語っていた。
第二話は「焼け跡にリンゴの唄が流れた」という1980年に放送されたもので、この歌が映画「そよかぜ」の主題歌だったと司会のフランキー堺が話す。
終戦の8月から2週間目にクランクインし2ヶ月後の10月に出来上がったというこの映画。終戦直後に映画がこんなに早く作られたという事実に驚いた。
ないものづくしの中から釘さがし、雑炊を食べながらの映画作りに奔走した当時の撮影所所長の水野さん、監督の佐々木 康やスタッフの人達。
安くて速くて立派な映画 そして何より明るくて楽しいものにしようと工夫され焼け跡が一切映らない地方の秋田に行ってのロケだったという。
映画テスト中 主人公がリンゴを川に落としてしまい、当時貴重なリンゴを皆が川の中に飛び込んで拾ったという話や撮影中にはまだリンゴの唄が出来ていなく「丘を越えて」の歌のアコーディオンに合わせて歌っていたという。
映画「そよかぜ」の主題歌として歌われた この「リンゴの唄」(詩 サトウハチロウ 曲 万城目 正)が大ヒットし歌っていた並木路子さんは「歴史の中に入ってきているその歌を歌えたことが人生最大の幸せだ」と語っていた。
「そよかぜ」の映画を皮切りに日本映画は復興と隆盛への道に向かっていった。黒沢 明、木下恵介、吉村 公三郎たちの顔も映し出され映画人たちは熱心に議論し新しく生まれた自由を真剣に考え希望に充ちていたと語る。木下恵介は人間の気持ちを正直に描けない映画づくりに失望し辞表を出していたがこれからは本物の作品が作れると当時の喜びを話していた。
最後に戦前の強圧的な教育から自分というものをはっきり主張できること、これが民主主義であり、自分の考えをちゃんと自由にものが言えることがどんなに幸せかということを知ることが大切だとゲストの佐藤忠男さんが話されていた。
(上原 謙 佐野周二などが出演していたのですね。)
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リンゴの唄←クリック (以下抜粋)
サトウハチローがこの詞を作ったのは戦時中で、「戦時下に軟弱すぎる」との理由で、検閲で不許可になっていたそうだ。
並木路子は昭和20年3月の東京大空襲(死者約10万)で母を亡くし、彼女自身も瀕死の重傷を負い左目に後遺症を残している。次兄と父は、乗っていた船が潜水艦に撃沈されて死亡している。また初恋の人・立教大学の学生も学徒出陣による特攻隊出撃で亡くなっていた。
「リンゴの唄」吹き込みの際、作曲者の万城目正は何度もダメを出し、「もっと明るく歌うように」と指示した。しかしこのような事情で暗い気持ちでいる並木路子を知ると、万城目は「君ひとりが不幸じゃないんだ」と励まし、あの心躍らせる明るい歌声が生まれたのである。