正直、律義、うらおもてのない人を信用するのは、日本人共通の好ましい心情でした。
前にバカという冠がついても、なお誉め言葉にも使われてきました。
「諸国民の公正と信義に信頼して」というアリガタヤ憲法の言葉は、この心理に結び付けた名文で、70年前の日本人の心に訴えるものがありました。
聖戦のつもりで物量戦に負けてしまったその時の、深く落ち込んだ状況を乗り切るには、世界中のどこの国の人も、公正と信義を重んじ信頼に足る人なのだと思い込まなければならなかったでしょう。
その後何十年かの間に、公正と信義を信頼できる諸国民は、地球上の人類のせいぜい半分ぐらいではないかと、多くの日本人は気付いたはずです。
もし本当に気付かない人がいれば、それは、宗教によって思いを変えてはならなとされている人か、あるいは真性のマヌケかのどちらかでしょう。
公正と信義は、人の表側のことであって、普通に考えれば人間の考えは表半分裏半分、性格の違いとして表側の出てくる時間が長ければ、その人は信頼に足るとみられるのでしょう。
人のうらおもては、時間割の差だったのです。
目の前にある何を見ても、こちらに向いている側とその反対側があります。
もしこちら側だけのものが「ある」と言ったら、その人は、地球の人でないか、言いにくいのですが脳に障害のある人だろうと思のですが、いかがでしょうか。
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