公正と信義、それを表にかざす民族は、日本人から見れば普通の地球人たちに見えるでしょう。
ところが、公正も信義も、日本人が考えることと、外国人が考えるとが一致するとは限りません。
たとえば、公正とは公平で正しいことと言ってみても、公平が、どんなことにも何もかも同じ状態であって、正しいとは、これが正しいと決めてしまえば、それに外れる者は国外に追放されても命を奪われてもやむを得ないとすることもできます。
そんな集団が国を治めているところも実際にあります。
人命抹殺が統治の手法の一つになっているような国の人々の心を、言葉や態度やお付き合いだけで、常に穏やかなものに変えてやろうという試みが立派なことと思ってみても、そんなことは、数世紀にまたがる寿命とそれを続けられる超能力でも持たない限り成就することはありません。
個人の行為であれば、無駄を承知でということも許されますが、国の存亡にかかわることを、政治権力の座を握ったたかだか数年の間に試してやろうというようなことは、おもてうらどころ話ではなく、決して許されることではありません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます