座右の銘。
いつも身近に置き、範とすべき考え。
その由来は、崔子さんだといわれる。
崔子玉座右銘断簡。
「人の短を道(い)うこと無かれ 自分の長を説くこと無かれ」
という断簡が残されている。
かの空海さんも揮毫している銘文であります。
しかし。言葉には常に同義・反義というものがございまして。
人の短を突き己の長を説かねば収まらぬことも多い。
裁判に勝つとか。折衝をうまく行うとか。
しかしだ。
勝つことよりも。むしろ何故勝負が必要になったのか?
うまくやらなければいけないような理由がどこにあるのだ?
との反省は大事なように思われる。
崔子さんの全文が残されていたならと残念であります。
人は必ず間違いを犯す。
しからば。
頭を冷やしてみて考える。鑑み省みることのすすめ。
を座右に置く。
崔子さんはそう考えたのではなかとでしょうか?
頭寒足熱。
いつも身近に置き、範とすべき考え。
その由来は、崔子さんだといわれる。
崔子玉座右銘断簡。
「人の短を道(い)うこと無かれ 自分の長を説くこと無かれ」
という断簡が残されている。
かの空海さんも揮毫している銘文であります。
しかし。言葉には常に同義・反義というものがございまして。
人の短を突き己の長を説かねば収まらぬことも多い。
裁判に勝つとか。折衝をうまく行うとか。
しかしだ。
勝つことよりも。むしろ何故勝負が必要になったのか?
うまくやらなければいけないような理由がどこにあるのだ?
との反省は大事なように思われる。
崔子さんの全文が残されていたならと残念であります。
人は必ず間違いを犯す。
しからば。
頭を冷やしてみて考える。鑑み省みることのすすめ。
を座右に置く。
崔子さんはそう考えたのではなかとでしょうか?
頭寒足熱。
怒濤の様に流れる日々、そんな繰り返し繰り返
されます日常に流され始めますと、座右の銘など
記憶のどこかへ置き忘れてしまい、思い出すこと
さえ忘れてしまいました
若い頃から「人生は朝露の如く」の言葉が、私の
座右の銘としておりました。だからこそ、一瞬々々
を大切に生きなければ・・と。今思い出しました。
(忘れてしまった座右の銘なぞ、もはや何でも
ない!ただの単語に過ぎないのですが)
崔子氏の「道無人短。説無己長」
肝に銘じる言葉です。あらためて、自己反省して
みたく思いました。
無屋先生、有難うございました
最後の一行の言葉遣い、とっても可笑しいです
いけんこつあるのであります。
ありがとうございます。