南無煩悩大菩薩

今日是好日也

「考えてみる」ということについて。

2016-03-30 | 古今北東西南の切抜
(photo/original unknown)

“・・例えば、「営業に向いている人はコミュニケーション能力が高い」と考えているとしましょう。たぶん正しいのでしょうね。このことと、「私はコミュニケーションが苦手だ」ということから、「私は営業には向いていない」という結論が導かれます。これは二つの前提を認めたならば必ず認めなければならない結論です。このような推論が「演繹」と呼ばれます。そして正しい演繹はまさに「論理的」です。では、これはどうでしょう。「営業に向いている人はコミュニケーション能力が高い」ということと、「私はコミュニケーション能力が高い」ということから、「私は営業に向いている」と結論する。・・演繹が成立しているように見えますが、実際は論理が成り立っていません。・・必要条件と十分条件という言い方をしてもいいですね。コミュニケーション能力は営業にとって必要ではあるけれども、それだけでは十分ではない。高いからと言って、それだけで営業に向くと結論することはできない。その推論は演繹としては間違っています。これは「逆を用いた誤謬」と呼ばれるものの一例ですが、この誤りに気を付けるだけで日常的な演繹の間違いはずいぶん減らすことができます。”

“・・深刻な問題に直面している人は、概して活性化しなくなります。鬱々とし始めます。それがかえって問題の本質を見えなくさせてしまう。新鮮さは自分を活性化させます。重荷を背負っている時こそ、軽やかになるべきなのです。難しいでしょうけれど”

“・・思考は飛躍することなので、飛躍したものを相手にそのまま投げかけても伝わりません。飛躍する前と後をつなげてきちんと相手に説明してあげる。つまり思考の力でジャンプして手に入れたものを飛躍なしで相手に伝えるために、論理が必要になります。・・論理とタッグを組んで考えなければ、思考は孤立無援です。”

“・・ありがちなのが、立てられた問題には暗黙の前提があり、実はその前提こそが問題だという場合です。「何をプレゼントすれば彼女は喜んでくれるだろう」と考えている時、そもそも彼女が私からプレゼントをもらって喜ぶという前提が間違っている可能性があるわけです。・・問題そのものを問い直すこうした態度というのは、目の前の問題に答えようとするかたくなさから解放されていなければ不可能です。目の前の問題に縛られてしまうのではなく、そこから身を翻して問題状況に対して距離を取って見直してみる。この知的軽やかさは、論理の持ち分というより思考の力でしょう。”

(切抜/-野矢茂樹「Is logic a Friend or Foe of Idea Generation?」dhbr.2016.4-より)
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子規の悟り

2016-03-29 | 世界の写窓から
(写真/病床の正岡子規 明治33年)

余は今迄禅宗の所謂悟りという事を誤解して居た。

悟りという事は如何なる場合にも平気で死ねる事かと思って居たのは間違いで、

悟りという事は如何なる場合にも平気で生きていることであった。-正岡子規-
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バベル

2016-03-28 | 意匠芸術美術音楽
Gustavo Santaolalla. Babel.


・・全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。

・・主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされた。

・・多様性・・我らが手に入れし強靭なるもの、得て失い、失いつつ得て、得つつ失う。

そして得るは、バベルの教えか否や。
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カチューシャ

2016-03-27 | 意匠芸術美術音楽
Катюша (Katyusha). A Russian Love Song with the English translation
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博愛の心について。

2016-03-26 | 世界の写窓から
(photo/original unknown)

博愛の心ある人がまずしないことと言えば、色眼鏡でまわりを見ること、つまり差別であります。

だから往々にして自分の見かけにもこだわらない。

その考え方というのは平等感覚に根差している。例えば、

“悪人ではない。発展途上の善人だ。”

“善を決断するとは、悪を排除することではない。”

“劣等生とは「発展途上の優等生」である。”

“もっとも憎悪している人とは、「もっとも少なく愛している人」である。”

というように。
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''Devil's Trill Sonata''

2016-03-24 | 意匠芸術美術音楽
(Art doll by Alisa Filippova)

Tartini Violin Sonata in G minor ''Devil's Trill Sonata''


アリスと白ウサギの関係は妙に琴線に触れる。

彼の後を追っていくことによってアリスは不思議の国の世界へと迷い込むことになる。

私たちはいろんなものに迷い落ちる、怖いことながら醒め昇華する種はそこで蒔かれる。

皆目不思議、それをほっといてはいけない、そんな琴線に触れるのです。
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something like this but not this

2016-03-24 | 意匠芸術美術音楽
(photo/original unknown)

必要なら厳しくしてもかまわないが、冷たくしてはいけない。

観察のまなざしは冷たくてもかまわないが、見つめるまなざしは暖かくなければならない。

そうでなければ共感は生まれない。

似ているけど別物だとやがて感じ取られるはずである。
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Danse Macabre

2016-03-21 | 意匠芸術美術音楽
(by Zbigniew Preisne)


生死あり 死生あり いずれも舞踏の 観もあり


(Le Danse Macabre/original unknown)
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Life is short

2016-03-19 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(quote/Mark Twain)

90歳になる爺さんにある人がこう尋ねたそうです。

「あなたの嫌いな人はどんな人ですか?」

爺さんはこうつぶやきました。

「誰かを嫌うには人生は短すぎる」
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「異場の思想」

2016-03-18 | 古今北東西南の切抜
(photo: L/R Neji)

“僕は、自分の独創性が滅せられるという危惧から10歳頃に小学校を「自主休学」し、その後は年齢をごまかして漁師や鳶職人として働いた時期もある。こんな話をすると「変わっている」と言われるが、当時は周りが変わっていると信じていたし、いまも誰よりも常識人だと思っている。なぜなら30年以上にわたり常識という存在と正面から対峙してきたからだ。”

“・・ただ、他人が何を言っているのか、自分がどう生きたらいいのかわからない「バカさ」への不満は抱いていた。高校を追い出されてからしばらくして、バカを克服するには何をしたらよいのか、と考えて、書き連ねてみたことがある。驚くべきことに、それは国が定める既存の教育カリキュラムと極めて似通った内容であった。”

“・・僕は、独創性は誰しもが持っており、それはいつでも開花させうると信じている。ただ、そのためには考え続けなければならない。常識を無批判に受け入れるのではなく、その壁に何万もの疑問をぶつけることから、内なる独創性が昇華するのである。”

(抜粋/「常識は独創性の母である」道脇裕-DIAMOND ハーバド・ビジネス・レビュー、2016.4.-より)

螺旋構造を持たないゆるまないねじである 「L/Rネジ」を開発した道脇裕氏は、2000年のネジの歴史と常識を変えた。(切抜/参照

そしてそれは、「ネジは緩むもの」という常識と向き合った末に生まれた。
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I'm this, I'm that

2016-03-14 | 酔唄抄。
lithograph/Raphael Soyer, The Mission,1933)

Moondog - I'm this, I'm that


私はこのようでもあり、あのようでもあり、例の如くのようにもある。

私はこのようでもあったし、あのようでもあったし、例の如くかも知れない。

人の中に入り、我があらぬ世の、身上その事情、そのようなものをも共に嗜む、これもある種、酒の恩恵ではないだろうか、と思うのである。
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仰げば尊し

2016-03-12 | 意匠芸術美術音楽
(GIF/source)
『Song for the close of school』A Cappella Original Arrangements by K.T
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反応の仕方に見覚えがある。

2016-03-12 | 世界の写窓から
(photo/Nakaji Yasui)

この写真は、

私は思うに、たぶん、卒業式だたぶん、

校長先生がしょーもないギャグを口走ってしまったときの生徒たちではないだろうか。

いや、間違いなくそうだ。私にはわかる。

中でも何人かの表情は・・・やってしまった校長先生の気持ちまで痛いほどわかる。
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名脇役、釜じいのリスペクト。

2016-03-11 | 世界の写窓から
(GIF/source:「千と千尋の神隠し」より)

“ワシゃあ、釜爺だ。風呂釜にこき使われとるじじいだ。”


(GIF/source)

“気まぐれに手ぇ出して、人の仕事を取っちゃならねえ。”

“手ぇ出すならしまいまでやれ!”

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しゃがんでみると

2016-03-10 | 意匠芸術美術音楽
(GIF/source)
Mannarino - Merlo Rosso


知ってましたか。

ちゃんとみればなかなか現実的であること。

そしておもってたより、魅力的なこと。
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