南無煩悩大菩薩

今日是好日也

この道、汚名は濯がず。

2021-03-30 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

(picture/source) 

何ごとも云うべきことはなかりけり 問わで答うる松かぜの音 ー澤水禅師

チャウチャウとよく吠えるのは弱いからだ。土佐闘犬が格下をよくわきまえるのは強い身体を自覚しているからだ。からからだからだと言っている人のオツムはその辺の人よりずっと詰まっているからだ。

白隠禅師の逸話にこんなのがある。檀家の町娘が身籠った時苦し紛れに相手は禅師だと嘘の言い訳をした。禅師の名声は地に落ちたが、「そうですか」と巷の非難に取り合わずその子を引き取り養育した。しばしのちその娘はわが子愛しさと嘘のやるせなさに実はと真相を告白する。誤解を懺悔する世間に対して禅師はまたも一言「そうですか」といったきりで知らん顔であったという。

美名も忘れ汚名も灌がず在るが儘、できることならの憬れの境地である。

Max Richter-Sorrow Atoms

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順番に三気あり。

2021-03-29 | 世界の写窓から

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世に三つの気あり、色気、食気、金気である。この順番を間違えこれに過ぎたるは身を持ち崩す恐れありといわれてきた。

金気に過ぎたる、兄ちゃん姉ちゃんの時。色気に過ぎたる、おっちゃんおばちゃんの時。食気に過ぎたる、じじいとばばあ。

どちらさんんもこのあたりはご用心。

が、食気色気はあっても金気のない若者、色気どころではない金気食気に翻弄中年、運よく金気はあっても色気も食気も忘れたじじとばば。と相場は上手くいく。

春秋夏冬若青壮老、有って無く無くて有るの順番というものに翻弄されて生きる、それ以上の慶びはない。

J.S. Bach: Complete Sonate a-moll BWV 1013 / Peter-Lukas Graf, Flute

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故郷は遠きにありておもうもの

2021-03-25 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

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ちちははに呼ばれて仮に客に来て

      心のこさず帰るふるさと  

ー詠み人知らず

あの世がふるさと。こんな辞世を詠めるようになりたいものである。

この世に客に来たとおもってみれば、すべての不都合もなんてことはない。観光地でのあれこれはどんなことでも良い思い出の一こまとなる。

とはいうものの、金のほしさよ。

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主と従

2021-03-24 | 世界の写窓から

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こんな話がある。幕末の漢詩人として知られる燕石は、博打が三度の飯より好きと言う人で、よく門人から諫められていたという。

「先生、詩人の名に傷がつきます。やめてください」

すると燕石笑ってこう応じたという。

「詩人の博打うちだと云うからいけない。博打うちが詩をつくっているといえば美しいじゃないか」

また、豊臣秀吉があるとき侍臣らに、「わしを猿に似ているという者たちがあるがほんとに似ておるか」と問うた。

だれも答えるのを憚っていると、曾呂利新左衛門が進み出て、「いやいや殿下は猿に似ているのではありません。猿が殿下に似ておるのです」。

とまた、こんな話を思い出した。

新地のホステスが、「私、実は女子大生なんです」

するとある男がこう言って返した。「女子大生のホステスかあ。てっきりホステスが女子大に通ってるのかと思っていた」

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嘘と法螺

2021-03-22 | 野暮と粋

(photo/Casablanca)

ある人は噓を吐くまたある人は法螺を吹く。

どちらも方便としての武器ともなりさまによって粋ともなるが、純粋に信じあいすぎるとしばしば関係はえらいことになる。

ある人は嘘に騙されたといって怒り、ある人は法螺に一杯食わされたといって怒ることになったりする。

やおら人は吐くこともあれば吹くこともあると見定めてともに人間の人間たるを心得るが寛容であり肝要である。

ええ歳しての喧嘩は野暮といわれる由縁である。

Casablanca - As Time Goes By - Original Song by Sam (Dooley Wilson)

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孫君に奨む

2021-03-19 | つれづれの風景。

この世界にいでいる君よ。

吟じ馳せるはまだ見ぬ人よ。

春有百花秋有月 夏有涼風冬有雪

若無閑事掛心頭 便是人間好時節

楽しく幸福に暮らせ。そうして君の能うだけ多くの他人を幸福にしてやれ。そうやって長く生きるのだ。それでよいではないか。

爺はとにもかくにも嬉しくて堪らぬ。

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穴可笑し。

2021-03-17 | 古今北東西南の切抜

(photo/original unknown)

肛門の「ひだ(しわ)」めは48本あるよしふるくいい伝えたれど、ものにしるせることはなきにきや、44の骨筋、8万4千の毛穴などは内典にも多くのせられしかど、このひだめのことは見えず。

また一名を菊と呼ぶことも。此のひだめ、その花房に似たる故の名なるべけれど、ある人の抄には菊花紫紅色なるものおおくは48ひらなりとも見えたれば、これはもしさるよしにもとづきて言うにや。何がしの院の女房一條が集に男のもとにいいつかわしける。

  をみなへしなまめく野べをよそにして

       菊にこころやうつろひぬらん

とあるは、やがてこの異名をよめるなるべし。

またこれを釜とよぶことはまたやや後になるや。近き頃、菅野何がしとかいいける京侍40にあまるるまで母をやしないて妻をもたらず。ともすればかの「手わざ」のみしけるを、したしき友うかがいしりて、あたら子を捨つるにやとわらいければ、男涙をながして、

  ははゆえに子はあまたたひすてつれと

       かまのひとつもほりえぬそうき

とていとうなきけり。なべていさををたつるにものうく、むくいをむさぼるにせちなるものは、みな此男のつらになんあるべき。

陰門のうち、車寄めくものを「ひなさき」とよぶは、なにのいわれにかあらん。つくづくおもうに、「ひな」もまた「ひだ」なり、「ししむら」のたたまれたる所ゆえにいうなるべし。「さき」とは物のなりいでたる所をいう名なればなり。からくにの人は、口の舌あるになずらえて吉舌とぞいうめる。古歌には「あまさかるひなさき」とつづけたり。ある歌合に、旅を、

  あまさかるひなさきとほししたひもの

       関よりおくのもやもやのさと

またこれを「さね」とよぶことは、から名に陰核などいうことあるよりよびつたえたることなるべけれど、これもややふるき世よりのことにや。古葉類林というものに、

  ほとのさねももまりやつをえてしかな

       数珠につなきてまらいのるかに

摩羅は梵語なり。

ー引用/阿奈遠加志(あなをかし) より  

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わずか、に心を寄せる。

2021-03-10 | 世界の写窓から

(picture/source)

台湾の半導体メーカーにTSMCと言う会社がある、そこの新たなに造る最先端の半導体で使用される超微細チップの回路線幅は、わずかに3ナノ(ナノは10億分の1)メートルだと。

これは3秒の間に伸びる爪の長さにあたるという。このわずかさ。

そうナノ?なんていうレベルじゃない。今でも世界の55%のシェアをもっていて他の追随を許さない。豆腐じゃないが2兆も3兆もかける先行投資とその強靭な運営で中国と米国をはじめ、国家間戦略のリーディングエッジと見做されている。

わずかしかない。というのは取り合いの起こるワクチンみたいなものでとても希望のあるものだ。

「わずか」と言う体感が随分と変わってきているような気がする。

ただ、かってそもそも体感として私等の知っている「わずか」というのは金や権力では購えないものであった。

知らんけど。

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安心(あんじん)

2021-03-07 | つれづれの風景。

(photo/source)

言うまでもないが、私たちの日々を送るの理想が安心(あんじん)にあるのは間違いない。

この安心(あんじん)とは、私たちの精神が寂然不動の位置に落ち着いて、決して物事のために迷動しない状態を指す。

この心持を妨げるものに「疑(うたがい)」という悪い作用(はたらき)をするものがある。

疑いは疑いを重ねて迷いを生じ、迷いは迷いを重ねてついに心を攪乱して、生々世々立命のなかに安心することができなくなる。

疑心と安心はトレードオフの関係にある。

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風流

2021-03-06 | 野暮と粋

(/ひょっとこ)

昔のことだから相手も知らずに結婚することも多くこんなはずではなかったということも。しかしながらそこは風流にやり過ごす。こんなはなしがある。

その日、婚礼初見の新郎新婦、新郎は新婦が禿げ頭だということに気付いて、神の国「いせしまにいってみたれどかみはなく」

新婦もこの新郎に鼻が無いことに気付いて、花の名所の吉野山「いってみてれどはなはなく」とかえした。

ここで、そのばの仲人一句、貧とは知れど「いってみたればはなかみ(鼻紙)もなし」

ここで三人大笑いになって高砂やの夜はとどこおりなく更けたという。

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無知の智 -A sense of my own strangeness.

2021-03-05 | 古今北東西南の切抜

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私たちは様々な「無知」から智を慮る必要がある。

たとえば、自分では知覚できない無意識の偏見「「アンコンシャス・バイアス」と呼ばれるものがある。

また、我々は環境や心理的な動きに流されて、倫理的に疑問が持たれる行動をとることがある。それが自己の価値観に反する、としてもである。私欲に基づいて非倫理的な行動を取る場合、我々はそれに気づいていないことが多い。これは、「動機付けられた見落とし」(motivated blindness)と呼ばれる現象である。例えば、実際行っている以上に集団作業に貢献していると主張する場合などがそれに当たる。また企業幹部などは自分や組織のためになるなら、自社における深刻な不正行為を無意識のうちに見逃すこともある。

ジョン・ルースが、「無知のベール」(veil of ignorance)と名付けたものがある。たとえば社会はどのように構成されるべきかという問題を、その中における自らの立場(金持ちか貧乏人か、男性か女性か、黒人か白人かなど)を知らずに、すなわち無知のベールに覆われている状態で考えるとしたら、より公平かつ倫理的な意思決定を行うであろう、というものである。実証研究では、無知のベールに覆われて倫理的な意思決定を行う人は、より多くの価値を創造することを示しているという。ある意思決定によって我々がどのような便益を受けるか、あるいは損害を被るかを知らなければ、世の中における我々の立場によって生じるバイアスを受けずに済むのだ。

私を形作っている「偏見」に対する無知を意識化することは私自身の「智」をより信頼できるものへと引き上げてくれるはずだ。

考えや行いにおいてより多くの価値を創造しようとするなら、認知能力の限界を知り向き合い是正する必要がある。

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