(書/
紫舟)
・・旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、「決めつけ」は決してしてはならないことでした。
この地域にはセルビア系、クロアチア系、ボスニア系の三つの民族が、互いに結婚するなどして暮らしていました。しかし、ナショナリストの指導者が現れ、不信と憎悪が支配する地域になってしまった。
メディアは、一方の当事者であるセルビア人勢力を悪者と決めつけました。米国も同様の姿勢を取った。しかし、もう一方の当事者であるボスニア政府が「白」であったかといえば決してそんなことはありません。わざと学校や病院の近くからセルビア人勢力を攻撃し、そこに反撃させ「無慈悲な行為に及んだ」と宣伝に使うことがありました。いずれも加害者であり、被害者でもあったのです。
どんな物事もその存在は相対的です。異なる立場から見れば、その姿はまるで違ったものに見える。白黒や善悪を峻別するのは容易なことではありません。
・・紛争では対立する両者から責められました。片側は「空爆された」と憤る。もう片側は「なにもしてくれない」と訴える。ニュース番組において米国の国連大使から名指しで非難もされました。
批判されるのは愉快なことではありません。しかし、それも相対的かつ一時的なものだと考えています。なので、毀誉褒貶は顧みずに働いてきました。
情勢も相対的なもので、明るいときもあれば暗いときもあります。-切抜抜粋/国連元事務次長明石康「有君無訓」日経ビジネスNo.1872より-