南無煩悩大菩薩

今日是好日也

ヤドカリとイソギンチャク。

2020-07-28 | 意匠芸術美術音楽

(picture/source)

ヤドカリの気分の違いによって、イソギンチャクはヤドカリにとって意味が変わる。

ヤドカリの家である貝殻の上についたイソギンチャクを取り外した場合(ヤドカリの家に付いたイソギンチャクは天敵のイカの攻撃を防ぐのに役立つ)、ヤドカリは自分の家にイソギンチャクをくっつけようと行動する。

貝殻を取り去り裸にされたヤドカリはイソギンチャクを見つけると、ヤドカリはたとえ無駄でもそのイソギンチャクをくっつけようと行動する。

すでに貝殻とイソギンチャクを背負ったヤドカリを長時間絶食させると、ヤドカリはイソギンチャクを食べようとし始める。

ー参照/ユクスキュル/クリサート「生物から見た世界」より

つまり、ヤドカリにとって、イソギンチャクは「保護」でもあれば、「住居」でもあれば、「摂食」の対象にも成り得るということ。

 

たとえば「慕」という言葉がある、ただ、「慕る」というのと「募集」は違う。

たとえば恋心。慕ることはあっても募集することは出来ない。

 

ある人は「仕事」というものについてこう言った。

道を歩いているときにたまたま出会った穴に気付きそれを埋めようとすること。

 

Leonard Cohen - Dance Me to the End of Love (Official Video)

 

・・・・いろいろあったが死んでみりゃあ、なんてこった、はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、皆の衆。

ー山田風太郎

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むさし野の・・

2020-07-24 | 意匠芸術美術音楽

(Musashi Plain (Musashino), from the series Tales of Ise/Kajita Hanko (Japanese, 1870–1917)/source)

むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、ぬすびとなりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかに置きて、逃げにけり。道来る人、「この野はぬすびとあなり」とて、火つけむとす。女わびて、
   武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。

 

昔、男がいた。人の娘を盗んで、武蔵野へ伴って行くと、盗人であるということで、国守に捕縛されてしまった。その折、男は、女を草むらの中に置いて、逃げたのである。跡を追ってきた連中が、「この野は盗人がいるそうだ」と言って、火をつけようとする。女は悲しんで、
   武蔵野は今日は焼いてくださるな。私の夫も隠れているし、また私も隠れています。
と歌を詠んだのを聞いて、追っ手の人たちは、女をとりもどして、捕えた男といっしょに連れていった。

 

昔、男がいた。人の娘を盗んで、武蔵野へ伴って行くと、盗人であるということで、国守に捕縛されてしまった。
 ・・・・・
男は狼狽していた。
まさか追っ手が来るはずも無いと、思い込んでいたからである。拐かしなど日常茶飯事。いなくなった女については運が悪かったと、女の家の者達は思うはず。少なくとも男は、そう思い込んでいた。
だから足弱な女を連れて逃げる手段など、用意していようはずも無かった。男が追っ手を近くまで引き寄せてしまった時点で、女と共に捕まることが確定していたのである。
ざわざわとした人の声が、やがてはっきりとしてくる。男の特徴を声々にわめきながら近づいてくる。それは追跡者の手が、ほんのすぐそこにまで迫ってきたことを示していた。
「ねえ、大丈夫・・・?」
「・・・・・・。」
緊張のあまり息が荒くなる男の姿を見かねたのか、女が呼びかける。だが男は答えられない。答えようにも考えがまとまらない。
冷静さなど保てるはずもなかった。誘拐は犯罪である。露顕すれば男の官位は剥奪される。それに何より、男の正体が知られれば、血統が呪いのようにして噂されるに違いない。自身に流れる血の高貴さを拠り所にしてきた男にとって、それは何より恐ろしいことだった。

風の音に、鳥のばたつきに、男はひるむ。草むらは男の姿を隠すが、男自身の視界も妨げる。思考のまとまらない男には、あらゆる生命の気配が自身を見張っているかのように思えた。
背後で、コキリ、と枝か何かの折れる音がした。

限界だった。張り詰めた神経が、根を失った。
どこに、誰といるのかも忘れ、視界に何も映さないまま。
男は、逃げた。
追い詰められて我を失い、女を草むらの中に置いたまま、慌てふためいて逃げたのである。

-引用/「焼かれるイケメン 伊勢物語12」より

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所謂、ニューノーマル について。

2020-07-20 | 古今北東西南の切抜

(photo/source)

世界の歴史の大きな転換点には、しばしば宿命的な人物が現れて、世界の方向を変えてしまう。

その後に生まれるのは、アルベルト・シュペングラーが1914年に予言した「西洋の没落」、エマニュエル・カントが1795年に予言した「永遠平和」、そしてリチャード・バックミンスター・フラーが1981年に「クリティカルパス」で予言した世界などの要素を持つ、新しい時代である。

そして、新型コロナがもたらす「どの国家でも、人種でも、民族でも、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に罹る」という明白な事実は、「人類は一つの種である」ことを否応なく立証することになる。

そうなると、2030年頃には、「新たな共存共栄の方向を見出して、全体としての生存を図るしかない」というホモサピエンスとしての社会的な本能が具現化していくだろう。

今回も、世界大恐慌の震源地は米国になるだろう。だからこそ、米国の中から世界の歴史を転換する宿命を背負った指導者が出てこない限り、この大恐慌が収束することはないだろう。

ここから先は全く空想の産物である。米国と世界の歴史を転換する宿命を背負ったリーダーはミシェル・オバマさんになるのではないか。

彼女は聡明さ、慎み深さ、清潔さ、高い知性を備え、プリンストンとハーバード出身の弁護士として培ったプロフェッショナルな能力がある。

さらに、ファーストレディーとしてバラク・オバマ大統領を支え、8年間にわたってホワイトハウスを相当な部分で切り盛りをしてきた経験もある。

それにもかかわらず、どちらかというと控えめで、かつ、輝くような女性であり、絶大な人気がある。

新型コロナによる大恐慌が始まる2020年以降、次の米大統領選挙がある2024年まで、多くの苦しみの時代を経て、人々は争うことよりも協調することの重要さを身に沁みて理解するだろう。

バラク・オバマ大統領のファーストレディーとしての8年間と言う輝かしい経験のほかにミシェル・オバマさんが持つのは、西洋人によって米国に強制的に連れてこられたアフリカ人奴隷の子孫であるという宿命である。

新型コロナ以降の米国は、このまま根強い人種差別を持ち続ける国になるのか、それとも、「我々は同じ人類である」という認識に達するのか。

世界でも同じ問いかけがなされるだろう。

日本も例外ではない。日露戦争以降は、米国に移住した日本人は「黄禍論」や人種差別に苦しんだ。

第1次大戦後のベルサイユ条約では日本が提案した「人種平等原則」は否決された。

そして、日本人自身も朝鮮半島出身者やアイヌ民族への差別をしてきた。差別のない国は地球上にほとんど存在しないだろう。

差別がある限り、人類を欠乏の恐怖から解放する「多次元ネットワーク」を全世界に広げるのに大きな障害となる。

どうすれば差別を克服できるのだろうか。問題を解決するための宿命を帯びた指導者が米国に必要になると予測する。

人類誕生の地である辺境から連れて来られた者の子孫であり、ホワイトハウス入りする前はシカゴのサウスサイドという貧困地域に住み、最も優れた能力をもつ人間である、という宿命を帯びたミシェル・オバマさんが米国の大統領になる時に、米国も世界も大きな転換点を迎えるのではないだろうか。

そのような夢想が湧いてくるのだ。

(切抜/山崎養世「コロナ禍の大混乱が去り、新たに生まれる世界秩序」JBpressより)

Cher - GIMME! GIMME! GIMME! (A Man After Midnight) [Official HD Audio]

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人格(人柄)形成は一生かけて追及するものである。

2020-07-18 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(picture/source)
 
刺激への反応は瞬時に起きるのではない。その合間に私たちはどう対応するかを選択でき、対応の仕方には自身の成長と自由が投影される。
 
-ヴィクトール・フランクル
 
Agnes Obel - Under Giant Trees (Official Audio)
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真念覚悟と寂滅為楽

2020-07-15 | 有屋無屋の遍路。

(gif/source:https://www.newpaltz.k12.ny.us/domain/1134)

ここでちょっとお話したいのですが、人を斬る呼吸ですな。これはとても一朝一夕にお話は出来ませんし、先祖伝来の秘伝もありますが、もとより万物の霊長の首を斬るのですから、気合呼吸、こいつに真念覚悟ということが何より大事なのです。

それゆえ刑場へ参りますと多くは罪人のほうを見ません。罪人を見るとどうもいけませんから、まず自分の役廻りとならない間は、刀を手挟んで空を仰いだり草木を眺めたりしています。

さてそうしているうちに用意万端が整って、よろしいとなると、いきなり罪人の側へ出まして、ハッタと睨み付け「汝は国賊なるぞッ」といって一歩進める。途端に柄に右手をかけます。

これは今まで誰にも口外しませんでしたが、この時涅槃経の四句を心の内で誦むのです。

第一柄に手をかけ、右手の人差し指を下ろすとき「諸行無常」中指を下ろすとき「是生滅法」薬指を下ろすとき「生滅滅巳」小指を下ろすが早いか「寂滅為楽」という途端に首が落ちるのです。

-明治百話「首斬朝右衛門」より

いずれ逝くであろう私の墓床の近くには、人斬り以蔵の墓がある。

防人の詩 ナターシャ・グジー / Sakimori no Uta by Nataliya Gudziy

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我々の宿しているもの。

2020-07-12 | 世界の写窓から
(photo/source)

セルクナム族はとても複雑で興味深い部族です。

彼らの絵は宇宙全体を表している。宇宙を絵と言う形に変容させて体に描いたのです。セルクナム族にとって星は祖先の魂だ。

人間が心の奥底で探しているものは、自分たちの祖先です。宇宙をもっと身近な存在にしたいのです。

どちらも同じだ。祖先や戦士の魂として星を見ることで、彼らはすぐ近くに宇宙の存在を感じられました。死者はそこにいるとね。

では、人間の願いとは?

望遠鏡や宇宙探査機を使って探している夢は、宇宙を近い存在にすることです。

宇宙への深いノスタルジアから技術の進歩は生まれた。すでに知っているものを再び取り戻すためだ。人間が本質的に知っていて懐かしく思うものをね。

―ラウル・スリタ

1883年に入植者たちが到来した。

金鉱目当ての山師、軍人、警官、牧畜業者、カトリックの宣教師、何世紀も水と星と共に生きてきた原住民たちは、その世界が崩壊する悲劇に直面した。

そして信仰と言語とカヌーを奪われた。彼らが着せられた古着には文明が持ち込んだ病原菌が付着していた。それが原因で50年以内にほとんどが病気で死んだ。

生き残った者たちは「先住民狩り」の標的になった。「睾丸一つに一ポンド」「乳房一つに一ポンド」「子どもの耳一つに10シリング」だった。

私は自分にこう問いかける。「ほかの惑星でも同じことが起きたのか?最も力を持つ者は、どこの星でも他者を支配したのか?」

たった20人になった末裔は言う。「神」という言葉は私たちにはありませんでした、神を持たないから。「警察」という言葉もありませんでした、私たちには必要ないから。

ー引用/真珠のボタンより

Taisen Deshimaru - Maka Hannya Haramita Shingyo  

我々はどこからきて、どこにいこうとしているのか。

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彼らの掟

2020-07-11 | 古今北東西南の切抜
(picture/source)

彼らは、人間が地球に登場するはるか昔から生態系の中で生物多様性の一員として進化を繰り返しており、それぞれ決まった生物とともに共生関係を築いてきた。

そしてある種の生物集団が増えすぎて(密になり)生態系のバランスを崩すようなことが起これば、その集団に寄生して感染症をおこし、集団密度を低下させて数の調整を図るとともに、より病気に強い集団へと進化させる。すなわち内なる天敵としての機能を果たしてきた。足の遅いシマウマから食べて、シマウマ集団の数を調整するとともに、より足の速い強靭なシマウマへと進化させているライオンと同じ役割を担っている。

生態系と言うシステムでは、太陽エネルギーによって植物が二酸化炭素と無機塩(窒素やリン)を材料として光合成をおこない、酸素と有機物をつくりだし、それを一次消費者である草食動物が利用して繁殖し、それをその上の肉食動物が利用する、と言う具合に生物の階層性が構築されている。すべての動物は死ねば屍と化して、細菌や菌類によって無機物へと分解され、再び植物の光合成の原材料として活用される。

このシステムには、物理的制約による重要な構造が存在する。まず、各階層で消費できる物質の量は、生態系の上位に行くほど少なくなる。なぜなら、生物は、食べたものから得たエネルギーを活動に使うので、その生物に蓄えられる栄養量は、食べた量より減るからである。だから、生態系の上に立つものほど、必然的に個体数が小さくなるという、生態系ピラミッド構造がつくられる。

人間が、自力で火をおこし、道具をつくっている時代は、バランスが取れていた。生態系の掟から大きく離脱し始めたのは、産業革命以降、化石燃料の利用を開始した時からであった。飛躍的な破壊能力、移動能力を手に入れたことで、すべての生物の上に君臨する、生物史上最強の消費者と化した。人間はあらゆる生物から資源を搾取し、寄生生物からの攻撃を抗生物質で封じ込め、高い生存率と長い寿命を獲得し、ひたすら増え続けた。この人口を支えるために、乱獲や農業面積の拡大を加速させている。

エネルギーと資源の大量消費は、結果的に生物の生息環境を悪化させ彼を呼び寄せ、生物多様性の減少を招くと同時に、地球の環境負荷を急激に変更かつ進行させている。

生態系のバランスを崩すほどまでに増えた生物は、一方で、餌としてみたら、極めて有効な資源となる。すなわち、天敵が登場すれば、増えすぎた生物種は格好の標的となり、捕食され続けて、数を減らすことになる。その天敵として、より強い捕食性動物が登場することもあれば、寄生性微生物の出番となることもある。

ここまで増加し密集している人間はまさに、彼らにとって絶好の獲物といえよう。生態系の奥深くからスピルオーバーした彼らは、みずからの増殖のための工場として、大量に存在する人間の体内に入り込んで、そのエネルギーを最大限利用しようとするのは、彼らの掟に他ならない。

(切抜参照/五箇公一「人類の進歩が招いた人類の危機」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー 2020 年8月号より)

『風のメルヘン』
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かたつむり

2020-07-10 | 有屋無屋の遍路。
picture/original unknown)

かたつむりは、精妙な構造の殻を幾重もの渦巻に広げると、そのあとは習熟した殻つくりの活動をぱたりとやめる。

渦巻を一重増やすだけで、殻の大きさは16倍にもふえてしまう。そうなると、この生き物には目方の負担がかかりすぎて、かたつむりという安定した暮らしに貢献するどころか、生産を少しでも増やすと、目的に従って定められた限界以上に殻を大きくするすることからくる困難に対処する仕事のために、文字通り重みがかかりすぎるという結果になるのである。

この点で、過剰成長からくる問題は幾何級数的に増大し始めるのに対し、かたつむりとしての生物の能力はせいぜい算術級数的にしか大きくならない。

-イヴァン・イリイチ「ジェンダー 女と男の世界」より

Alpha Blondy - I Wish You Were Here


それはそうと、ヤドカリと呼ばれる生き物がいる、彼らは成長に合わせて捨てつつ改めつつ生きる。
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カエルツボカビ菌の教え。

2020-07-08 | つれづれの風景。
(/観月蛙之図 伝蹄斎北馬筆)

2006年12月、1980年代から世界中で流行していたカエルツボカビ症という、両生類を死に至らしめる感染症が、日本でも発見されたというニュースが流れた。

この病気は、カエルツボカビ菌という真菌の一種が病原体とされ、世界では、この感染症によって絶滅した種や個体群が報告されており、両生類の多様性の大きな脅威とされていた。

この菌が、日本でペットとして飼育されていた南米原産のカエルから見つかったことで、ついに日本にも本菌が上陸したとして、日本の両生類も絶滅の危機に立たされるのではないかと懸念された。

そこで立ち上がった研究グループは、その菌の国内分布状況を調べるため、日本各地の一万以上の両生類個体からサンプルを採取して調査し、さらに遺伝的変異を分析した。

その結果は、なんと、このカエルツボカビ菌は、日本が起源である可能性が高いことがわかったという。

菌の日本侵入の最初の報道以降、結局日本国内で、この菌による野生両生類の被害事例は皆無に近く、研究グループによる感染実験の結果からも、日本のカエルは発症しないことが示された。

日本の両生類は、カエルツボカビ菌と古くから共進化しており、免疫を持っているため、感染しても影響を受けないと考えられるという。日本の固有の菌がペットとして海外に持ち運ばれた日本の両生類や、食用として流通した外来種ウシガエルとともに世界に広がり、免疫を持たない外国の両生類を危機に陥れていたようなのだ。

「ごめんなさい」と素直に言えない偏見を自らただすにはインテリジェンスとオープンマインドは欠かせない。
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疑問には限界がある

2020-07-06 | 有屋無屋の遍路。
(Crouching Figure/source)

そもそも疑問の神髄は、オープンマインドかつ気付き気遣い思いの汎用拡大による神妙の境地においてふつふつと沸きふたるもののように思います。

君はどうして、どうして君をしなくてはいけなかったか、このような疑問であります。

わたしはどうして、わたしをちゃんと知ることが出来なかったか、このような疑問であります。

しかし、君について、わたしについて、知る前提が狭ければその疑問にさえも限界を感じます。

自分の身上以上の、疑問がなぜ発想できないのか、そこに疑問の余地があるとは思えません。
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ダーク・マター

2020-07-02 | 意匠芸術美術音楽
(picture/source)

マルチバース

たとえば君は全部のドアを開けられる鍵は、これは重宝な鍵だとおもうかね、それともけしからん鍵だとおもうかね。

Khruangbin - Cómo Te Quiero (Official Video)
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