南無煩悩大菩薩

今日是好日也

人は線引きをする

2016-11-28 | 古今北東西南の切抜
(photo/source)

水際と陸端は一つの同じものではないだろうか?

海岸線は陸地の一部なのか、それとも海の一部なのか、あるいは海岸線はそれ自体で一つの存在といえるのか?

海なしには海岸線などありえないということはすぐにわかる。

海岸なしには海などありえないということに気付くのは少々難しい。

海岸線なしには陸も海もありえないことに気付くのはほとんどの人にとってまったく難しい。

人はまずどこかに海岸線を引くに違いない。

そこに海があれば、ある人は水に向かって言うに違いない。「水さん、あなたはここまでだよ」と。

また陸に向かって彼はこう言うに違いない。「陸さん、これがあなたの限界だ」と。

そして、

彼の頭の中での線引きの行いこそがあるものとあるものとの関係なのである。

-切抜/カール・E・ワイク「センスメーキング イン オーガニゼーションズ」より- 
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Dream

2016-11-24 | 意匠芸術美術音楽
(photo/Clown original unknown))
Cage - Dream (1948)
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スイカ君、種を拾う。

2016-11-24 | 世界の写窓から
(GIF/source)

‘僕は自分の落とした種は自分の手で一つずつちゃんと拾うんだ、約束するよ、だから時間を下さい。’

言ったことはちゃんと守る言行一致、スイカ君は真面目にコツコツ取り組みましたがしかし拾っても拾っても種は拾いきれません。

一粒拾うとどうしても一粒手から落ちてしまい同じことを繰り返してしまう、どうしてなのでしょうか?

やがてスイカ君はこう言えばよかったと気付きました。

‘僕は自分の落とした種は自分の手で一つずつちゃんと拾うんだ、約束するよ、だから袋を下さい。’

・・・・。

言行一致の罠、つまり言ったことが行いを限定的にする、または行うことで新たな言葉を発見する場合もあります。

努力を実らせるにしても約束を果たすにしても、日頃から多くの言葉の種を拾っておくということは、とても大事なことなのです。
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自覚する人

2016-11-22 | 意匠芸術美術音楽
(Installation/Nam June Paik ,The Thinker, 1976/1978)

自分というものを意識することで自覚は生じる。

意識のないところに自覚はない。

ただ、‘思いもしなかった’ような反応を受けたり‘ビックリした’何かが起こったりすると、自分の言動や行為を疑い思い出し考え直して見ようとする動機が生まれる。

そしてそれは往々にして、もしかしてあの‘無意識の’言動や行為がこの状況を引き起こしたのではと至り、‘私はそう見られていたのか!’と勘付いたりするのである。

無意識にしてしまっていることを意識してみることで、自覚の誤りに考えが及ぶかもしれない。
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Journey-Dont Stop Believing

2016-11-21 | 意匠芸術美術音楽
Journey - Don't Stop Believin' (Audio)


人生は旅だ。

だから

その旅の同僚を

信じていこう。

同僚とは、同時期に同じ環境で相対しそこそこに許し互いに嫌悪なくまあまあ得心の行く間柄である。

それがどうあれ、信じてみることである。
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Fragile

2016-11-20 | 意匠芸術美術音楽
(picture/rain forest by Igor Morski)

Sting - Fragile
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わかりきったことなどない世界

2016-11-19 | 意匠芸術美術音楽
(picture source/quote:Robert Alton Wilson)

往々にして今「賛同する人がいない事実」こそが未来であり、それは世間との関係では逆風になる。

いつの時代も未来の感性は今の感性からみれば奇妙に映ってきた。

例えば、

“人の想像の枠におさまっているアイデアは、「まぁいいんじゃない」と言われたりする。

 反対に、人の想像の枠を飛び越えたアイデアは、大反対を受けたり、切り捨てられたり、失笑されたりする。” -引用/「ひらめきスイッチ」より-

かって黒澤明監督が言ったように

“くだらないやつがくだらんと言ったということはくだらんものではない証で、つまらんやつがつまらんと言うことは面白いということだ。”

そう、つまり気にせずに自分の感性を磨いていこう。

未来は自明ではないのだ。
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迷わずゆけよ、ゆけばわかる。

2016-11-18 | 世界の写窓から
(photo/original unknown)

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一歩が道となる、迷わずゆけよ、ゆけばわかる。 - 一休禅師 -

私たちは後知恵で物事を推し量りやすい。しかしそれは古い「自分」を誤って信奉してしまうかもしれない。

私たちは自らが遭遇する状況に反応するたびに知識を作り上げているようだ。

だから、新しい「自分」を見出すにはどうしてもまた一歩を踏み出して後知恵を更新し続ける必要がある。
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はて、さて。

2016-11-15 | 酔唄抄。
GIF/source)

酒は

情動を煽りながら

性能を

奪う

Pantaloons by TAPE FIVE (official)
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ものはためしに

2016-11-14 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(quote/Charles Bukowski)

一死(ひとしに)死ぬとねがいごと利く

-「誹諧 武玉川」より-
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“Hineni,Hineni”

2016-11-13 | 意匠芸術美術音楽
(photo/Leonard Cohen 21 September 1934 – 7 November 2016)

Leonard Cohen - You Want It Darker(released on 21 October 2016)


“God bless you, Leonard”
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しかし問題、されど問題。

2016-11-11 | 古今北東西南の切抜
(quote/Shunryu Suzuki)

物事の実際の有り様とそうあって欲しいと人が望む有り様との間に存在するある種のギャップ、差異あるいは食い違いを感じると人はそれを「問題」として考えるようになるといわれる。

「それは課題だ、処理しろ。それは板挟みだ、枠を変えてみよ。それは逆説だ、受け入れよ。それは争いだ、和解せよ。それは好機だ、掴み取れ」

というように問題によって対処もさまざまなのが「問題」だ。

脅威と好機のどちらのラベルを問題に貼り付けるかによって、その後の問題処理に向けられる認知や動機づけが変わってくる。

問題に対処するときに問題になるのはその問題にどのようなラべリングをするかにかかわってくる。

自閉的ロジックに逃げ込んではいけない。
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気持ちはわかるが無理がある。

2016-11-09 | 世界の写窓から
(GIF/source)

一度にいくつものことはできません。

効率的かつ効果的に物事を進めようと思えば、あれもこれもと欲張らないことです。

例えば、

「あいうえお・・」「12345・・」と取り組むほうが、「あ1い2う3え・・」と手を付けるよりもずっと、速度も精度もあがるのです。
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解放と創造のプロセス

2016-11-08 | 意匠芸術美術音楽
(picture/Natalia Goncharova. Picking apples. 1911)

・・私たちは今いる環境の主人でも奴隷でもない。

言葉のもっとも正確な意味において、私たちが命令し、環境がそれに応えるとは言えないし、私たち自らが環境に適応させられていると言うこともできない。

なぜなら、いずれもより大きな真実のほんの一部を言っているに過ぎないからだ。

農民達と環境の関係がそれを物語る。

・・私たちはある木を刈り込み、接ぎ木し、肥料をやる。

そういった行動が徐々に林檎の実る木にふさわしいものになるにつれて、その木は次第に林檎の実る木になっていく。

その木は私の中のエネルギーを開放し、私はその木の中のエネルギーを開放する。

・・つまり、その木は私に考えたり、計画を立てたり、働いたりするようにさせるが、逆に私もその木に実をつけさせるようにしているのである。

それはどちらの側にとっても解放のプロセスである。そしてこれこそ創造プロセスなのである。

-フォレット,M.P.(Mary Parker Follett)1924,-

私たちは直面する環境を形成し、同時にそれに反応している。

-引用/カール・E・ワイク著「センスメーキングインオーガニゼーションズ」より-
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教わる意味

2016-11-07 | 古今北東西南の切抜
(quote/Benjamin Franklin)

水は 渇きによって 教えられる 

陸は 渡ってきた 大洋によって 

恍惚は 苦悶によって 

平和は 語られる戦闘によって 

愛は 形見の肖像によって 

鳥は 雪によって  –/エミリー・ディキンソン(Emily Dickinson)-

私たちは何かに巻き込まれたり入り込むことによって初めて学び「なにが起こっているのか」を‘知る’。

水は蛇口によって、陸は土砂によって‘知る’のではない。

「意味を知る」とはそういうことなんだろうと思う。
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