南無煩悩大菩薩

今日是好日也

とっつきは易くない。

2012-04-27 | 世界の写窓から
(photo/Igor Siwanowicz)

能力より少し上、あきらめと決心との微妙なところこそ、

果敢にトライしなければならない。

やってもだめなら、初夏の新緑のように清々しくやめればよい。

しかしがんばって手が届いたときは、満足と自信でほくそ笑むことができる。


(Anthony Perkins in The Trial)
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囲っているものはなにか。

2012-04-26 | 世界の写窓から
(photo/Leonard Freed)

動物園で囲われている動物は、乞わなければ食べることは出来ません。

言い方はおかしいが、他に方法が無い、正真正銘の乞食というものはたぶんほんの一握りのはずです。

閉塞感や働く意欲などと言うのは人の心に巣くうもの。実際に世の中が囲われているわけでもありません。

圧政や内戦、飢饉などでない以上、自分で自分を囲われ者にしたい人間は、人間としての矜持からして本能から外れています。

子供たちは面白い生き物が居るとくったく無く興味を示します。

動物園の動物のように珍しいことなのです。
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誰かを助ける働き。

2012-04-25 | 意匠芸術美術音楽
(design/ Ulf Thomas Solbach)

一目でそれとわかること、ちゃんとした働きを備えていること、エレガントであること、よいデザインだ。

形態と色と機能が環境に溶け込むとき、それは効果的な存在になる。

私たちの心の中には、文字や絵や言葉になる前の段階のシンボルの塊があります。それは誰もが持っているものです。-カール・グスタフ・ユング-
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いつのひか。

2012-04-24 | 意匠芸術美術音楽
(Some Days - 19, Wang Ningde, 2002)

100年ほど前、レーニンは革命後の新しい権力について語るとき、必ず、すべての官吏は例外なく選挙によって選ばれ、また何時でもリコールされるべきで、その棒給は、熟練労働者の平均賃金を越えてはならない、という句説をいわばくどいほど繰り返し述べている。

と、文献にはある。

ポリティカルなことに組する気はもともと毛頭もないが、
レーニンより50年ほど前、リンカーンによって、人民の人民による人民ための・・という言葉は生まれていた。

そして50年ほど前、「あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。」とケネディは演説した。
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下手上手。

2012-04-23 | 世界の写窓から
(source/Jan Kriwol)

プロ野球の打者は、調子がいいと球が止まって見えると言います。

下手の目には小さな穴も、上手の目にはこれぐらいの大きさに見えているのかもしれません。

かといって、下手にあわせてもそれでは上手になれずに下手を打つ。

なんでも上手下手というものはあって、上手にあわせることが下手しない為の一番ホール。
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そう、フレンドシップ。

2012-04-21 | 世界の写窓から
(source)

要素に分解して共鳴するところを結合させる。

すると何が起こるのかというと、

うまくやれる、もしくは誰とでも友情で結ばれることは可能だ。

こういう写真を見ると、それはうそじゃないような気がしてくる。

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馬跳び。

2012-04-20 | 世界の写窓から
(photo source)

馬とびは教練になる。



馬とびは団欒になる。



馬とびは息抜きになる。



馬とびは仲間を呼ぶ。



馬とびは共同作業だ。



誰でも何処ででも何も無くても出来る。

ただし、独りでは出来ないしぜんぜん面白くも無い。
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独創的な輝き。

2012-04-19 | 世界の写窓から
(original unknown)

「宝島」の作者スティーブンソンは、「生まれつき独創的でなければ、独創的な人間にはなれない。」と言った。

生まれつきのちがいはあるにせよ、うまれついたものがあるのならそれに逆らわず、それを輝かせることが、てっとりばやい独創性の発揮だろう。

そして、中世哲学には「すべての実在は善=美なり」という句もある。


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なぜに拒むや。

2012-04-18 | 意匠芸術美術音楽
(twist chairs by Suzy Lelièvre)

座ることをなだらかに拒絶する、椅子。

18世紀以降、聖書や神学などの権威ではなく、人間の理性によって世界を理解しようとする運動が起こります。「啓蒙思想」と呼ばれるものです。

権威を盲信すれば権利の過剰な行使にもつながる。

椅子のくせに、と思ってはいけない。自らを啓蒙することで、その椅子は拒絶をやめるかもしれない。
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目を利かす。

2012-04-17 | 意匠芸術美術音楽
(photo&collage/El Lissitzky)

「見たいものをみる」から「見るべきものをみる」への、わずかだが本質的な変化。

それが起こり始めると、人間が練れて来ると思うのです。
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霞なの花

2012-04-16 | つれづれの風景。

菜の花のたちそよぎたる山里に

住みに行かめど道の知らなく
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礼拝堂にて。

2012-04-13 | 世界の写窓から
(Evening Prayer, 1900s by Jan Bułhak)

しかし大きな疑問が残っています。
それは、どのような種類の幸福を私たちは望むべきか、ということです。

例えば、幸福な瞬間の平均値をできるだけ高めたいのか、それとも幸福な瞬間の合計値をできるだけ高めたいのか。これら二つは別物です。
痛みや苦痛なしに暮らしたいのか、それとも、そのような経験に価値があるのか。

科学はまもなく、私たちが望みどおりの人生を送る方法を教えられるようになるでしょう。しかし、どのような種類の人生を送ることを望むべきかについては、決して教えてくれません。
それを決めるのは私たちです。-ダニエル・ギルバート/「幸福の心理学」より-
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提示されたものには

2012-04-12 | 世界の写窓から
(source)

心理学者のジェームズ・ギブソン博士が確立した「アフォーダンス」という概念は、
いかに物体や環境がその目的を伝え、行動の可能性を提示(アフォード)するかを説明するものだそうです。

例えば、ハンドルは掴む事を、ドアは出入りする事を、道は移動する事を提示し、私たちはそれらにいざなわれて行為します。

提示されたものと私たちの認識に乖離が起こると、あるときは面白い発見があったり、あるいは使い方を間違えてしまったりということになります。

そうであるはずが無い、と簡単に切り捨てないで、一度はいざなわれてみるのもよろしかろうと思われます。
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舞台表現。

2012-04-11 | 意匠芸術美術音楽
(original unknown)

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、何もいらぬ浮世とは思えども一日も喰わねば為飢(ひだる)し。人は盗人、火は焼亡(じょうもう)と、舞の又太夫が言葉のすゑ。-井原西鶴「本朝二十不孝」より-

しかしあれだ。因果なものだ。

なんにもしていなくても、腹は減る。

ままにいきようとしてままならず、

また食うと無くなるのが食欲で、腹いっぱいの時には食欲すら自分で出すことは出来ない。

屁をひることは出来ても、音やにおいには我関せずしまいの又太夫である。
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手出し無用のこと。

2012-04-10 | 意匠芸術美術音楽

垂拱(すいきょう)という言葉がある。垂衣拱手(すいいきょうしゅ)の意で、手をこまねいて何もしないでいることを指す。

「書経」の畢命には、「予小子(われしょうし)、垂拱して成ることを仰ぐ。」とある。
つまり、私はなにもしないで、成果を仰ぐだけだ。と。

打ち捨てられたシャベルが、経年・腐食を経て、神の手なるものかと思えるほどの造形美を現している。
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