身体は食い物を食って生きるが、脳は情報を食って生きる。
ある実験によると、山小屋の中で、新聞ラジオ書物等の媒体、他人との交流、外出での自然との交流までも一切断った中で、長期間食物摂取だけで過ごさせた被験者は、明らかな脳の収縮・空洞化が確認されたという。
もちろん。こんな非人道的な実験を行えるということは、随分古い文献ではあるが。
虚になるのである。
物質的であれば、虚は包容と収納の機能は持つ。
脳という機能は、物質レベルでは捉えきれない。
情報と刺激と使い倒すという栄養がなければ、存在が虚ろになるのだ。
実験の真偽は別にして、そのように思える。
立ち枯れ近い木の虚をみて、親近感を持ってしまった私の脳は、大丈夫だろうか。
同類相憐れむ。というではないか。
しかしだ。
同時に、それなりの、役割を経たであろううろに、えもいわれぬ静寂と大きな広がりも感じる。
ミズカラで虚ろにしてはなるまいが。ミズカラのうろとなるなら。
それもよかろう。
と。おもえなくもない気もする今日この頃である。