南無煩悩大菩薩

今日是好日也

スワンの夢。

2009-08-31 | つれづれの風景。

すっかり水を抜かれた人工池に、足漕ぎスワン号が雁首を並べる。

正確にはスワン首というのだろうか。


わたしはかってこれに乗って、鳴門海峡を渡る夢を見た。

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さらば夏よ。

2009-08-30 | つれづれの風景。

忘れかけたうどんの味がした。

かけた風鈴のおとが今もよみがえる。

そういえば、たしかにそうだったことがある。


さらば夏よ。
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さらば夏よ。

2009-08-30 | つれづれの風景。

もう二度とはここに戻れない。

おもひで胸に。

さらば夏よ。
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さらば夏よ。

2009-08-30 | つれづれの風景。

たなびく西風。

僕を残し、遠くかなたに過ぎ行く。

さらば夏よ。

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羨望。

2009-08-29 | 有屋無屋の遍路。

あんたなにしてはりますの?

かっこつけてます。

だめだこりゃ。


二人ともてっぺんは禿げている。


ほらみてみい。わてのほうがこんなに髪の毛ありますえ。

あほ。わしかてあるけどな。カットしてるだけや。



しかしなんでこのおっさん、伸ばして喜んでるのやろ。

まてよ、もしかして、髪の毛伸ばしてたら、もてるんちゃうやろか。

わしも、ロン毛にしようかな。




やめなさい。よこしまな考えで何かしても、ろくなことにはなりません。

そんなことを教えてくれているのではないか。とふとおもう。


遍路は遠い。

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その理由。

2009-08-28 | 有屋無屋の遍路。

する理由があれば、しなくてもよい理由も考えてみなければあきまへん。

される理由があれば、されんでもええ理由もあるはずでっしゃろ。


絶対にあいつが悪い。

なんでわし謝ってるかわかりません。


こういう人は、修行が足りんのとちゃいますか。


間違いなく、人は自分が正しいと直感的には反応してしまう生き物でおま。

よろしいか。その理由、天秤にかけてみなはれ。

一呼吸置くことで、なるほどなぁ、と笑えることもぎょうさんあります。


言わんでもええこと言うてみたり
許してええこと許さんかったり。
せんでええことしてみたり。

みたりかったりの、にたりよったり。


まぁ。どっちゃにしても、人には事情っちゅうもんがあります。

ま。そういう理由でしょうなぁ。



えらいすんまへん。かんにんしてや。

せやな。これぐらいで許しといたろか。


こないな仲んなるには、それなりの理由を解してこそですわ。
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戦略的に。

2009-08-27 | 有屋無屋の遍路。

人が状況から学習する能力を持ち、その能力を支える環境があるところなら、どんな場所にでも戦略は根を張る。

これら草の根の戦略が集合し、組織全体のふるまいを導くほどに繁殖すると、それは組織化された戦略へと姿を変える。

-ヘンリー・ミンツバーグ-



私はこの言葉が好きだ。

私は戦略とは、すこぶる有機交換的なものだと思う。

体液の交換が、すこぶる創造的なのと同じように。

理性だけで人は感動しないように、感情だけで志が纏まるものでもない。

外部から与えられる経験や情報が、自分の中に根を張り、内省と葛藤を踏み越えられる環境に住まうと、人も戦略的と呼べる自らの目標及び存在に向かおうとするものだと思っている。

考えや行動と、雰囲気や発する言語に一貫性が出てきたならば、それは自分と言う組織全体のふるまいを導くほどに繁殖した、一つの戦略性の具象である。



どのような状況と今後出会うのか、ということについての不確実性に対する備えが、戦略的な「ふるまい」と呼ばれる。

組織化された戦略的な思考と行動は、目を見張るようなふるまいと効果を生み出すだろう。

ただ、むやみにそれを推進すれば、できそこないの化け物が出来る可能性だってある。

幽霊との出会いに備えるような愚は避けなければいけないのである。



苔むした岩に自生するある種の、尺取虫は、苔むした岩になる。

しかしもうこの苔むした尺取虫は、通常の森の木々の中では目立ちすぎるのである。

素晴らしいか愚かかの分岐は、どのような組織体が、どのような環境と出会い、戦略的にどのように反応するかという、これまたすこぶる有機的かつ創造的な相関でもある。



人は誰でも、独自の戦略性を持ち、独自の戦略的感覚に添って行動するものであろう。

組織体としてまとまった効果性を欲するならば、おのずとふるまいを導くほどの繁殖を待たねばならないのではないか。

虫のようにある種のたまたまに任せることでも戦略は根を張るということだろう。

たまたま出来上がったものが、たまたまの状況でたまたまうまくいく。

しかしそのたまたまは、状況から学習する努力なくして出来上がるだろうか。



何かが私の中で育ち、そして根を張らない内に、よそから知識やお金を借り入れて、あれこれ悩んでもあかんのである。


ご利用は、戦略的に。

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断煩悩尊者。

2009-08-26 | 有屋無屋の遍路。

五百羅漢さんの中でも、この羅漢さんは断煩悩尊者と名がついている。

これはあやからねばならない。

さまざまな苦渋を胸に収め、泣きそうながらも気骨でこらえているようだ。

やっぱりあやからねば。

お前はどんなじいさんになりたいのだ。と問われているようだ。

自分のめがねをかけてみる。

似合うんじゃないか。とも思えた。


遍路は続く。
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奥歯に物が挟まる。

2009-08-24 | 有屋無屋の遍路。

魚の小骨や、乾きもんのイカの類や、ほうれん草の筋などがちょくちょく挟まる。

このなんともいえない感じは、居心地が悪い。

ほんの0.数ミリ単位ながら、全体の活動を停滞させることすらある。

チョっとしたひっかき傷の方が、折れた骨よりも痛かったりもする。

小さなことにクヨクヨスルナ、といわれてもどうしようもない時もある。

そういう時はだ。

人前だろうが、なんだろうが、遠慮せず、恥ずかしがらず、まずすべきは、大口開けてなりふり構わず、そいつをやっつけることだ。
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酒を飲めば花が咲く。

2009-08-22 | 酔唄抄。

君はだりや?

と問われて答えないわけにはいくまい。

私は元来寡黙に飲む方だが、いつもの酒が四つ麦酒とあわせて五つ入ると無駄に饒舌になる。

いわゆる、前頭葉がやられて、理性という機能が薄れるようだ。

脳下垂体の部分が、衰退どころか活発になるのである。

いかんと思いながらも、いかんせん自動操縦とあいなる。

いわゆる花が咲く。

無謀にも、天下の一流といわれる人種の方々にでも話しをぶったりするのである。

いやはやなさけない。恥ずかしい限りと翌朝、少ない記憶の中から大いに反省しきり。



黙っていると馬鹿ではないかと疑われるが、話すと馬鹿であることが明らかになる。


なんともなやましい。そんな私なのである。
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途中にて。

2009-08-21 | 有屋無屋の遍路。

たとえば手を水に浸したとしよう。

それまで手が寒い状態におかれていたら「暖かい」と感じ、暖かいところからであれば、「冷たい」と感じる。

人はしばしば絶対的なものではなく、相対的なものに強く反応する。



道は、登りと下りを繰り返す。

山があり谷底があり平地がある。

それは絶対的なものだ。


遍路。


登ることはその向うにある下りを予期することであり、下ることもまた来たる登りを受けとめることである。

登りがきつく下りが楽だというその時々の感情は相対的なものである。

相対的なものに反応しすぎると、長い道をいくことはきついものとなる。

繰り返す山と谷、その経験の積み重ねが、道行を上手にしていく。


人はしばしば、相対的なものに感情を移入しすぎて、身勝手に振舞うときがある。

長い道をひたすら行かねばならぬなら、とどまらず経験を重ねるしかない。

絶対的には楽ではないかもしれないが、相対的な楽ちんは、そうやって手に入れるしかないように思う。


その向うの青空は、やっぱり美しいと思える。

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おたのみなす。

2009-08-20 | つれづれの風景。

このなす。
ご神体とは気付かずベンチ代わりに座ってしまったわたしは、おたんこなす。

なすのよいちがやきなすでもてなす、なすかしい味わい。

これはいかなすと、なすりなすりして、ぼけなす封じを願う。

なせばなす、なさねばなすはなさぬの、おたのみなす。

頼みっぱなしではなす、頼んで為すのがおたのみなす。
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尊者達。

2009-08-19 | 有屋無屋の遍路。

後ろ向きになってはいけない。

だれにでもありうることなだけのはなし。

自らのうちにそれを甲斐性として乗り越えなされ。

なんとかなる。


種々に抱える種々の問題に修行を重ねた尊者達。

釈迦の直属の多様性。

わたしは、このひとりひとりの禿頭達の足跡とその光明がありがたい。

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尊者達。

2009-08-19 | 有屋無屋の遍路。

一人一人に名もあり、悟りあり、教えあり。

軽奢もあれば孤厳もあり、酒飲みあれば下戸もあり、大きくもあれば小さくもあり、病もあれば治もあり、慟哭もあれば黙忍もあり。楽あれば苦もあり。

ひとりひとりそれぞれときどきの甘受克服の傾向と対策の具現の提示。

人とはそういうことだと、教えてくれているようだ。

数多の個性の尊者達。

今の私を探しつつ、遍る路。

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諸君。

2009-08-18 | 有屋無屋の遍路。

男子の本懐とはなんぞや。

女史の本懐でもかまわん。

諸子における懐(いだ)きし本分のところを述べよ。



「唯一正道を歩まん」、「仮令玉砕すとも男子の本懐ならずや」

ライオン宰相と呼ばれ、その断固たる政治姿勢により凶弾に倒れた、第27代内閣総理大臣濱口雄幸の言葉といわれる。

今日は、衆院選の公示日。雄幸候が生きていれば、当世どのような確固たる信念をもって臨むのであろうかと。


一国のリーダーならずとも、由々しき事態を乗り越えるとき、本懐ならずやの気概なくして、由々しきは、由々しきままであろうと思えるのであります。

諸君。我々も我が本懐とはなんぞや。と自らに問いかけてみようではありませんか。


ついでながら、小生が雄幸候のエピソードで大好きなところをひとつ。

雄幸と言う名前は、本当は両親が幸雄とつけるはずであったのですが、酒飲みの父親がよっぱらって、酩酊状態で間違えて逆さまに登録したからだといいます。

いたしかたなし。それもまた本望かつ本懐ならずや。

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