息災でおすごしでしょうか。
私は最近、先生との想い出に感謝する事が度々であります。
今こうして、何とか生きていけているのも、私にしては過分な方達とお付き合いできるのも、先生との出会いがあればこその感を禁じえないのであります。
瓜坊の如き土まみれの裸族のような私に、読み書きの楽しさを教えてくれました。
先生は、100点を取ると、おりこあめ。をくれました。おいしゅうございました。
50点でも、がんばったならば、それでもくれました。楽しゅうございました。
飴に釣られなければ、勉強しない私をちゃんと釣って下さいました。
やればできる。先生の口癖でしたね。
自信の大事さと努力の健やかさを、気長に朗らかにやさしく諭していただいたと、今更ながら、感謝している次第です。
あけっぴろげの校舎の窓の、外に菜の花咲く頃、うららかなひざしを浴びて、風とも光ともつかない黄色が先生の机をすり抜けるさま。私は今でも忘れていません。
老眼鏡を上目に見ながら、執務を取る先生のお顔は、ありがたさとやわらかさと威厳と慈愛に満ち、いつまでも教わっていたいと子供心に思ったものでした。
先生は、卒業のとき、一片の言霊を私にくれました。
「 踏まれても 根強くしのべ 道芝の やがて花咲く 春や来たらん 」
私のそのあとの歩みをまるで予知してたかのような文面でございました。
至らぬところも情けなさも狭斜の心も。先生はご存知だったのですね。
ありがとうございます。本当にありがとうございます。
今まで、この言霊が何度私を窮地から救ってくれたか数えもきれません。
たかが12歳の私に対して、人格を尊重していただいたこと、やがて来る意味を知るそのときの為にとの先生のお気持ち、今にして噛締めております。
人は如何にして活きるか。恩師たるべく人との出会いがあったこと。その幸運を神に感謝するのであります。
山並み続く山界の、高野の里に育まれ。自由に生きた先人の、はるかに望む意気に燃ゆ。学びや我等が高野小。
今ではもう謳う子供達もいない校歌。
忘れずに口ずさむことで、わたしは私でいられるのです。
ありがとうございました。本当に有難うございました。
藤原先生には、甘えっぱなしでございました。
今も尚、こうして勝手にお手紙を書くことで、甘えてしまうこと、どうかお許し下さい。
人影なく、人声なく、人煙なく、原とした中にいて、薄紫のちさき花をながむるとき。藤原先生を想い出すのであります。
とある場所のとある境遇にて。
草々。