南無煩悩大菩薩

今日是好日也

へいせいには装えない。

2012-08-31 | 世界の写窓から
(photo/Henri Cartier - Bresson 1966 japan)

至らなくなった若毛をなでながら、若気の至りを思い出す。

一次欲求を満たすことが健康で文化的な生活の第一歩である。と胸を張って言えなかったころの青臭さで、
心は九州の入り口であった。

そう、モジモジしていた頃のこと。

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他人のそらに。

2012-08-29 | 世界の写窓から
(photo/Issei Suda 1972)

川向こうの古い空き家に 引っ越してきた千代美ちゃんは4人兄弟の末っ子だった。

一番上のお姉ちゃんとはずいぶん歳が離れていて、間にお兄ちゃんが二人いた。

僕はそのお兄ちゃんと歳が近かったのでよく遊びに行った。一家の暮らしも決して樂そうではなかったが、両親は優しくみんな活発で明るくとても居心地がよかった。

女の子だが男言葉を使い、体力的ハンディをものともせず、僕たちの遊びに必死でついてくる、そんな女の子だった。

ある日、突然お母さんが亡くなった。

僕は小さな頑張り屋さんになにも声をかけてあげられなかった。

すぐにその後、僕は中学生になり、家を離れて寮生活を始めたので、その家にいくこともないまま、一家はいつの間にか引っ越してしまっていた。

この写真をみて、そんなはずはないのに僕は千代美ちゃんだと思った。

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寝るが一番の薬。

2012-08-28 | 世界の写窓から
(photo/Yasuhiro Ishimoto 1962)

応援しょうおもうたんですけどな。

やっぱり夜勤明けの眠気のほうが勝ってしもた。

ほんで目覚めたら、わしなんでここにおるんやろう、てなもんですわ。

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野暮で役職は務まらない。

2012-08-27 | つれづれの風景。
(写真/京都南座)

ある著名な役者さんの話で、なるほどと思ったことを想い出した。

確かこんな内容だった。
場面上草鞋の紐が解けた状態で舞台に上がろうとしていたところに、その事情を知らない新人か誰かが、「紐がほどけておりますよ」と指摘したときのこと、
普通なら「ばかやろう、役回りの為にわざと解いているんじゃねえか。」と言いたくなるが、その役者は、「ありがとうよ!」と言って結びなおし、舞台のそでで再度解いて登場したという。
そして、その人は後でそのことを聞かれこう答えたそうだ。
「てめぇで気付けるところならいいが、気付かない処まで注意されなくなったらこまるじゃねぇか」

これなどもある種の「粋」な計らいだろうと思ったことがある。
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言葉を超えるメッセージ。

2012-08-25 | 意匠芸術美術音楽
(source/ai weiwei 1994)

この写真の作者、艾未未 (がい みみ。中国語の発音:アイ・ウェイウェイ)氏は中華人民共和国の現代美術家・キュレーター・建築家・文化評論家・社会評論家。-参照/Wikipedia-

世相に対し戦闘的な表現芸術ともいうべきものである。

意図的に隠されているものに対しては、それを暴き真実を知りたいという欲求は高まる。同じ真実であっても、開放された途端に興味は潮を引く。

そんな人民への開放を旨としながら、人民解放軍によって拘束されるとは、痛烈な皮肉でもある。それを身をもって表現しているのが、アイ・ウェイウエイ氏かも知れない。

ヒーロー気取りのアジテーターや、目立ちたがりのポピュリスト達とは違い、あくまでも芸術的表現による活動での、シニカルさが又、私たちの理知性に強く訴えかける。

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業を滅する礼。

2012-08-24 | 世界の写窓から
(photo/Henri Cartier Bresson 1948)

「幸福とは、何かにともなって生じる状態であり、副産物なのだ。直接求めるものではなく、善い行いに対して間接的に与えられる報酬なのである。」-アブラハム・マズロー-

私はある時分から喧嘩をしなくなった。
勝ったとしても、そのあと弱い人間をいじめてしまったような後ろめたさが残る。負ければ腹だたしいし悔しい。つまりどちらにしても痛い思いは同じで善いことはないと気付いたからです。
そのおかげで私はお酒を幸せに頂けているのだと思っている。
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自由の出場所。

2012-08-23 | つれづれの風景。
歴史で知る封建的な社会と違って現代はずいぶんと自由になっている。

北摂から土佐まで走ってきたが、関所なんかどこにも無かったし、官憲に呼び止められることも無かった。

自分がその気になりさえすれば、転居も、職業も、学問も、宗旨も、恋人も、遣るも止めるも、自由に選択できる。

なのに、安易にお上に保護を求めようとするような言行をちょくちょく見掛ける。これには、憲兵を増やしてくれと云っているのと同じような響きがある。

自由民権運動の板垣退助翁は、その末期「板垣死しても、自由は死せず」といったというが、余計な介入を拒むことで守られるのが自由だと見抜いていたようでもある。

土佐には、「なんちゃない」という方言がある。

なんでもない、たいしたことはない、自分で何とかする、というような意味合いも持っている。

自由民権運動が土佐で盛んになったのは、そういう土壌があったことにも由来しているのではないかと思った。

保護はされたい自由は欲しい。それは駄々っ子というものであろう。
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まいどながらさりながら。

2012-08-22 | 有屋無屋の遍路。

通常のルートを外れて、曲がりくねる山越えの旧街道に入ると、勢いを増した夏草のむせる生があった。



灼熱のアスファルトには、強い日差しの中、生前のままの姿で、ギンヤンマがこと切れている。



丘には祀られた母子観音像。



心地よい浜風に誘われ神社に寝そべる猫がいた。



南無大師遍照金剛、物言わぬご同行に挨拶をして、



鎮魂と再生の般若に賽銭を置く。



独り来時去時を思う束の間



またもや忘れかけていた、注意すべきは、他でもなく、我にあり。
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炎天のち雷雨。

2012-08-20 | つれづれの風景。

夕立 いかんちや おらんくの池にゃ 潮吹くさかなが 泳ぎよる


故郷に帰りました。

ちょいと季節はずれの桔梗がその雨上がり、生家の庭に咲いておりました。

あめでよし はれてもよしの ききょうかな
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夏草、青雲、風蜻蛉。

2012-08-07 | 有屋無屋の遍路。
(source/Lang Ching-shan 1955)

「片雲の風にさそわれて、漂泊のおもいやまず」

漂浪の旅を生命とした芭蕉は、「神無月の初空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して」、「旅人と我名よばれん初時雨」の句を残して旅に出たといいます。

私も、すこしだけ。
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徒然に

2012-08-06 | つれづれの風景。

しらない街を 歩いてみたい

どこか遠くへ 行きたい


・・・ ニャー


もとい。
「喪に居るものは悲しみをあるじとし、酒を飲むものは楽しみをあるじとし、愁に住するものは愁をあるじとし、徒然に住するものはつれづれを主とす。-嵯峨日記より-」
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痛い想い出。

2012-08-04 | 閑話休題

いまなおる

なおったでしょう、ネ、ネ、

と書いてある。

ご同輩ならご存知だろうが、あれにはシビレタ。

ネ、ネ、 というのは曲者である。
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おつな、きれいどころ。

2012-08-03 | 酔唄抄。
(photo/Issei Suda 1977)

変幻 極まりなき 生の流動 とでも謂うべきや

衰退凋落のように思えるものが、かえってその発展であり、増進でもあるというようなこともあるのではないか。

一見岩石かと見紛うような古木老木にも、その岩石だからこそのからびた冷たさや硬さ、所謂侘び錆びがうまれ、それを覆い隠すように、みずみずしい青苔は繁すの温床となる、というようなこと。
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知力は愛によって。

2012-08-02 | 意匠芸術美術音楽
(photo/Henri Cartier Bresson)

普通の知とは非人格的対象の知識である。たとえ対象が人格的であっても、之を非人格的として見た時の知識である。
之に反し、愛とは人格的対象の知識である。たとえ対象が非人格的であっても之を人格的として見た時の知識である。
而して古来幾多の学者哲人のいったように、宇宙実在の本体は人格的のものであるとすると、愛は実在の本体を捕捉する力である。
物の最も深き知識である。
分析推論の知識はものの表面的知識であって実在そのものを捕捉することはできぬ。
我々は唯愛に由りてのみ之に達することが出来る。
愛は知の極点である。-西田幾太郎「善の研究」より-
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風と共に去りぬ。

2012-08-01 | 世界の写窓から
(source)

昨夜から朝にかけて大風が吹いた。

ちょっとの不注意で、風と共に去ったものもたくさんあったのではないだろうか。

このアドはシャンプーメーカーのものだが、薄毛対策は日頃からの怠らない手入れが必要なのだともいう。

注意一秒ハゲ一生。
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