徘徊しては、写真を撮って、こうして載っけて、文章をつけている。
文章から先に入ることもある。
こういうことが出来るのは、記憶 という機能を僕が持っているからだ。
神は我々に 記憶 という素晴らしい能力を与えた。
そしてその整理方法は、個人に委ねる方策を採った。
記憶を圧縮し、その断片をそれと認め今に投影するのが、追憶 だ。
よい認識、よい思索、よい希望、追憶によって導き出されるのは、このようなものでないといけない。
たぶんそれを、神は我々に託したのではないだろうか。
こでまり、が咲いている。
僕は、小出真理さんという人のいることも知っている。