新年の御寿目出度く申し納め候(そうろう)
御家皆様御揃いにてのどかに御歳越遊ばされ候段御慶びの至りに存じ上げ候
次に私宅一同も恙なく馬齢を加え候間憚りながらご放念下されたく候
旧年は一方ならぬ御厚情に浴し御礼の申し上げようも候わず本年もまた相変わらず御眷顧の程希望に堪えず候
先ずは年始のご祝詞まで斯くの如くに御座候
謹言
(picture/Seiichi Hayashi)
冬に春風ふく(福)は うち(内)にて 御庭(鬼は)外へと 出るころな
桜の花に梅の香のせてしだれ柳に咲かせてみたい
Winter Always Turns to Spring
Wake Me Up (箏/Koto cover) - Avicii - TRiECHOES
(gif/source)
何とか登れそうだった。そこで蟻は、ただ上を目指して登り始めた。なにか目的があったわけではなく、その単純な神経回路にランダムな乱れが生じただけの事であった。
そうした乱れは、この世界のあらゆるところにある。地上の草の一本一本に、草の葉についた露の一粒一粒に、空の雲の一つ一つと、その彼方にある星々のひとつひとつに。
乱れにはなんの目的もないが、莫大な量の無目的な乱れが集まると、そこに目的が生じる。
蟻は、それほど長く登らないうちに、上のほうにいくつも溝があることに気付いた。たくさんの構造が組み合わさって迷宮のような複雑な構造になっていたる。蟻はかたちを把握する能力が高く、このかたちもかならず明らかにしてみせる自信があった。
しかし、その小さな神経回路の記憶容量には限りがあるので、そのためにはこれまで歩いて来たかたちをぜんぶ忘れてしまわなければならなかった。たえず忘れていくことは蟻の一生の一部になっていたから、それでも蟻は少しも残念には思わなかった。
死ぬまでずっと覚えていなければならないものは少なく、それらは遺伝子に組み込まれて、本能と呼ばれる情報エリアに保存されている。
・・巣を払いのけられた蜘蛛が、ふたたび巣を張りはじめていた。今までに蜘蛛の巣は一万回こわされ、一万回張りなおされたが、蜘蛛は、一億年前からそうだったように、それに倦むことも絶望することもなく、喜びを覚えることもなかった。
「生きているっていうのは驚くべきことだ。それがわからない人間に、もっと深いものなんて探せるわけがない」
ー引用参照/劉慈欣「三体Ⅱ」より
Ludovico Einaudi - I Giorni
今日は時の記念日である。
幼少の砌、自分の影がいつものように長く寄り添ってくれなかったことに、不安らしきものを覚えたことがある。
真昼間に乗ったブランコの影は自分にくっついていた。時によって太陽の高さが違うことに、時には影が寄り添うと言う関係を僕は知らなかった。
遠い昔の事はそのらしきものももはや正体は茫洋と夢の如く。
光格子時計というものがある。100億年に一秒ずれるかどうかの正確な時を刻むという。
これを使って東大の科学者が高さ450メートルと地上の時間の進み具合に違いがあるかを測ってみたという。
すると一日当たり10億分の4秒、高所では時が早く流れていたらしい。
実証されたのは重力の大小で時間が変わると唱えたアインシュタイン博士の相対性理論である。
なにごとも一定の速さで進むとは限らない。いつもと違うのならいつもと違う風景と時間がある。
Idir - A vava Inouva - paroles kabyle et français
渋滞を緩和しようと道路の本数を増やすと、実際には渋滞が悪化するかもしれない。というのも、道路が増えれば、より多くの人が道路を使おうと思うからだ。
これはシステム理論の研究者が「創発的特性」と呼ぶ現象だ。
ひとついいたいことがある。
今日はここに有るが、明日にはもう無い。
ということについて。
Ólafur Arnalds - Árbakkinn ft. Einar Georg
Flying With Whales - Abel Korzeniowski
麦酒がある、酒は純米大吟醸精米比率は40%、ジョニ黒に碧にグレンリベットの18年に響の12年がある、ただ惜しむらくはラガブーリンが底をついている。
然しながら、ちゅうちゅう呑めばことごとく金である。
同じ哺乳類やないかゆうて、鯨と一緒に空を飛ぶ夢を見る金の鼠、そんな初夢をみました、といつかは言いたい、ね。からはじまる十二支哉。
あけまして、おめでとうございます。
来年こそは・・と、毎年思うのだがいつまでたってもものにならない。
老子が言ったように具体的な見返りを求めている内はとうてい無理かもしれない。
がしかし、ある賢人はこんなことを言っていた。
「ものになるというのは不思議なもので、誰も気づかない時にものになる。昨日までものになっていない人が、今日ものになるということがあり得ることを、私は何人かで見て来ました。だから今日ものにならない人が、明日ものになるかも知れない。明日ものにならない人が、明後日ものになるかも知れない。ものになるとはきめられないが、ものにならないともきめられない。絶えず勉強するもの、絶えず進歩するものは、いつかものになると言っていいと思いますが、いつなるかは、誰にもわからない。思わぬ時にものになる」
と、ここまで書いてきている内にもう一人の賢人のこんな言葉を思い出した。
「期待なしに人生を生きること、具体的な結果を必要とせずに生きること、これが自由と言うものかもしれません」
なるべく努めることを重ねていこうと思いを新たにする今日大晦日である。
今日はクリスマスイブです。知っていましたか?
Charlie Parker - White Christmas (Live jazz, 1948), XR remastered
一説によると、Mamboという言葉はハイチの土着宗教ブードゥー教の女司祭の名前で「神との対話」の意味を持つということです。
今日は、冬至です。南より北へ回帰線からの反転をお祝いしつつ。
Rosemary Clooney - Mambo Italiano - 1954 originals
奇妙な夢であった。
そのお告げはこうだった。
「歴史の転換点は必ずしも合理的に訪れるものではない。また善いとか悪いとかいうものでもない。ただ、あるがままに変わっていくのだ」。
(*絵/カンブリア爆発によって生まれた奇妙な生き物たち。バージェス頁岩で発見された化石から復元された。左側の大きいのがアノマロカリス、左上隅が世界最古の脊索動物ピカイア、その間がマルレラ(全部で5体いる)、砂上に2体いるのがハルキゲニア、右下がオットイア。)
・・・
9歳で大学を卒業する。そんな人がいるという。どんな速度で既存知を覚え理解するというのか。想像外である。もしやミュータントではないか?
地球の歴史の中で、最も最近に起きた地磁気反転の痕跡をとどめる国際標準として「チバニアン」が有力だという。地磁気反転て、なに?
とかとか、そんなつれづれのことと私の夢に関わりはない。ということはないのではないかと悩んでいる今日この頃である。
花見る宴、平成見納櫻と相成候。
‘嬉しい’は花ならつぼみ、今日もさけさけあすもさけ。
Fanfare Ciocarlia - Moliendo Cafe
花は同じくしてもとの花にはあらず。
散る桜残る桜も散る桜
年年歳歳、歳歳年々、感慨亦新。
Capricho No. 16 Paganini con arreglo de cuerdas - Grupo Recoveco
唐代の臨済禅師の言葉に「無事是れ貴人」と、「平常無事」がある。
禅語にいう「日々是れ好日」は天候の好い日とか、気分が良い日とかいうのではない。
好兇、良悪に拘らず、くる日も、くる日もすべてが好日であり、「平常無事」ということである。
この平常無事に生きる人こそが、最も立派な人であろう。
-吉田紹欽「仙厓」より
土佐弁では、「かまんよ」「なんちゃないきね」という。