南無煩悩大菩薩

今日是好日也

ゆずりは。

2008-06-30 | つれづれの風景。

この植物は、名のとおりゆずりあいの生育生態を持っている。

跡継ぎの葉が出始めると、先代はきれいさっぱりと身を引くように落ちるのである。

であるから、病葉(わくらば)はない。


汝、病葉(わくらば)になる莫(なか)れ。

を地でいく植物である。


なんと、うらやましきかなの、生態よのう。


才覚、算用、始末が、商売の根本である。とかの井原西鶴はんももうしておる。

なかでも肝要は、後始末といわれる。


綺麗な後始末には綺麗で健康な葉がまた芽生える。

取りあうことよりも譲りあうことの美しさをこの植物は教えてくれている。

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梅雨の森で。

2008-06-28 | つれづれの風景。

見つけた雨装束。

蓑虫蓑傘蓑装束。

みのたけにぴったりの。

なんで垂れ下がっているのかといえば、たぶんあまだれにうたれたのであろう。

このあま。と怒ってもいたしかたもなし。うたれよわいのが弱点。

なんせ枯れ枝で出来ている。

なんで枯れ枝かといえば生枝は身にまとえないからである。

なんで身にまとえないかといえば、身にまとえないからである。

みづくろいをする蓑虫の虫を早送りで見ると判るのである。

しかし一番の理由は、生枝だと打たれ弱さがでたときに、重すぎて地上に落ちると死活問題になるからである。

この状態に踏みとどまれるのである。

軽いので風さえあれば、不規則なウィービングで、敵をかわせることも出来るのである。

たかが蓑虫とあなどってはいけない。

うたれ弱さを防御に変える進化の賜物である。

弱みを持って強みと為す。淘汰の末の偉大なる自然界の贈り物なのである。

おお。蓑虫大明神。

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梅雨のくも。

2008-06-25 | つれづれの風景。

梅雨空といえば、くも多し。

足元ぬかる、くも多し。

雲天垂るるも、くも多し。

梅雨を詠った、くも多し。

そこここかしこに、くもかしこ。

銀糸わたすは、黄泉の蜘蛛。

晴れさそう、人の上にもかけてみよ。銀糸たがわぬ、虹の橋。



うーん。なんとも表現がしっくりこない。

スッパイダー。


・・・。

なんだか糸を引く思いも、梅雨のくも。

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梅雨の栄え。

2008-06-24 | つれづれの風景。

梅雨花に立派に映えている。栄えある蝿である。

生えば這え。這えば栄えよ。のハエである。

湿気を含んだ空気を切り裂くその五月蝿ほどの存在感である。

気持ち悪いなどと思ってはいけない。

はえさまなのである。

善い悪いは、見たて至大なのである。

悪者にするのはいつも見たての終着である。

始発をかえてみれば蝿も立派な福の神ともなる。


このいきもの。春先から冬口までまんべんなく繁栄を続ける。

うじうじさんから立派になるのも非常に速ぇーのである。

無常迅速。梅雨の栄え。

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梅雨のまにまに。

2008-06-23 | つれづれの風景。

あめのまにまに。

日筋が落ちる。

風のまにまに。

花咲き鳥飛ぶ。

時のまにまに。

万象至る。

梅雨のまにまに。

眠りを誘う。

むにゃむにゃ。まにまに。

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梅雨の顔。

2008-06-21 | つれづれの風景。

梅雨時の花の顔役といえば、あじさいでっしゃろ。

わし。顔役ですわ。

なんや虫食いの葉っぱやないか、ゆわんといてください。

くわれてまんねやで、かなしゅうおもうてくれなわし、たつせありませんわ。

みてみなはれ、ちょいおこってますやろ。

はっぱもんでもおこります。

せやかてこれもあれも仕方ないことやとはおもいます。

むしかて生きていかななりません。

こんなに飛び飛びにくわんでもええとはおもいますけどな。

スーパーサイヤ人ちゃいまっせ。

サイヤはサイヤでも。

わし、あじさいや。

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梅雨の真ん中で。

2008-06-20 | つれづれの風景。

赤青黄色の衣装を着けたのだけが、てんとうむしではないらしい。

このしぶさは、私好みなわけさ。

梅雨を軽やかに過ごそう。なぞという無駄なことはしませんぞ。という決意を感じる。

じめじめと、くるくると、もわっとしゅうしゅうと過ぎ行く季節がつゆどき。

寝小便も多少なら気付かれないような季節なのである。

一切を浸してからりとくるそのときを望む。

伊達や酔狂で、ど真ん中は過ごせないのだ。


などと思うのはいつも、宿酔のあくる日。

梅雨の真ん中は、そんなこんな日によく似合うではないか。


あくるひに つゆぞしらずは あくるひか。

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梅雨の居ぬまに。

2008-06-14 | つれづれの風景。

なくてななふし。

昆虫界のなまけもののようです。

緩慢に枝は動く。

陽がさしてきたやないか。と、おっとりがたなのななふし。

お花はんにちょいと挨拶しとこ。

梅雨の居ぬまの、抜き足差し足。

晴れが続き、雨がおらんことになった。


おるのかおらんのか、ようわからんところがななふし。


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梅雨の隙間に。

2008-06-13 | つれづれの風景。

かえるがいる。

みずすましがいる。

振りかえる 梅雨の隙間は 水澄まし。

ちさき世界、一時の静寂。


雨も小休止。

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梅雨の合間に。

2008-06-12 | つれづれの風景。

むらさきのあやめに、あめいろのむしが横顔を覗かせている。

あめにうたれたあとの、うるわしきのひとときのはいだしのそのとき。

せいかんな姿のそのむしの、梅雨の合間のごせいかん。

お。雨は上がった。
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梅雨の晴れ間に。

2008-06-11 | つれづれの風景。

あじさいのぞく。

下から覗いても助兵衛とはいわれない。

あれまぁ。晴れ間に。葉裂間から。

てんとうむしやかたつむりやかえるの気持ちがなんとなく。

わかるようなきもする。

雨上がり。

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さきいれ感。

2008-06-10 | つれづれの風景。

ブドウ球菌のような実が、1点、2点、3点、4点、5点、6点、なんてん?

はい。これは、ひいらぎなんてんであります。

別に意味はございませんが、これを言いたいがためだけであります。


しらなかった。てっきりなんてんは、南天だけの固有名詞だという先入観に凝り固まっておったのです。

グリーンのなんてんもあったのである。

グリーンだよ。いいんだよ。ではないのであります。

そもそもひいらぎの一種がこのような実をつけることも知らず。

世の中知らないことばかり。

なんてんあるもしらないありさま。

先入観と主観だけで、渡る世間は鬼ばかり。



まてよ。このなんてんも、のど飴にしたりできるのだろうか。

なんてんも食えたのだから、ひいらぎなんてんも食えるはずやないか。

消炎作用が確認できたら、わし大金持ちや。

食ったろか。


あかんあかん。いろはにほへと、あさはかな。

先入観だけで動くと、えらいめにあいますわ。

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釣れますか。

2008-06-07 | つれづれの風景。

釣れるわけないやろ。

そうですわな。やっぱし釣れしまへんな。



海老で鯛を釣る。なんていう諺もありますが、小生、鯛より海老が好きなので、餌を自分で食ってしまいます。

鯵でメバチを釣るなんていうときも、鯵の方が美味いので食ってしまいます。

雑魚で鯵を釣るにしても、雑魚茗荷が大の好物なので、じゃこ食います。

雑魚冥加に尽きる。




釣れますか?

釣らんでよろしいやないか。



手ぬぐいで釣れるほど、世の中甘いもんじゃないということですわ。

あらぬ竿のあらぬ餌にてあらぬ魚を追う。

あかんあかん。なんでも食いつくのは私の方であった。


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影は従う。

2008-06-06 | つれづれの風景。

従うは影。

いま私はこうして地球に存在しているが、自分が何であるかは分からない。

しかし、私が特別な種ではないことは確かである。

私は「もの」を表す「名詞」ではない。

私は、この世界で何かの「こと」を表す「動詞」のようだ。

この地球のある社会のある任意の活動のある小さなことではあっても。

私はある種のそのことのそれそのもののことの成り行きに関与していると思われる。


私が、特別な種でないことは確かである。

したがって、私は私だけではない。

誰でもが私だと言える。

取り違えて、私が誰でもだとも言える。

情緒関係にせよ利害関係にせよ。

今私はこれを書いているが、自分が今なんであるかは分らない。



影は従うしかない。

禿の影を映しだすその小径に。

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君は知っているか。

2008-06-05 | つれづれの風景。

その後姿を。

君は知っているか。

その高尚な生き方を。

君は知っているか。

その杖の必要無きを。

君は知っているか。

どれだけの人が助けられたかを。


ああ。偉大なるフォルメルよ。


君は見落としていないか。

その真実の姿を。

君は逆らっていないか。

なるべくしてなることに。

君は覚えているか。

かって自分にも芽生えた英雄の心を。


君は知っているか。

人生楽ありゃ。苦もあるさ。


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