赤い秒針がときを刻む。
ひとまわりで、黒い長い分針がひとつまた刻む。
長い黒い分針のひとまわりは、黒く短いより大きな単位の針を進める。
このように目に見えないときを、可視化する装置は時計と呼ばれる。
じけい、とは呼ばず、とけい、と呼ぶ。
旧来においては、十二支を冠し、刻まれるものが、ときであった。
鼠の刻(こく)に始まり、猪の刻をもってひとまわりする。
牛の背中に鼠は乗ってやってきて一番になったという。
きざまれるものから、はかられるものになって、ときそのものは現代人にどのような変化をもたらせたのだろう。
私達は時を計ることに気をとられているが、刻まれるという生き方をもっと意識する必要があるようにも思える。
じけい列的に考えてみるのも一興かもしれない。
来年は、鼠にちゃっかり先をこされた牛の年のときである。
だいたいにおいてその昔から、世にも不思議なことが起こるのは、うしみつどき、と相場は決まっている。
あんみつはあまいが、うしみつは、あまくはなさそうだ。