南無煩悩大菩薩

今日是好日也

宗教と科学と芸術と,なんとなく、

2014-09-30 | 意匠芸術美術音楽
((Public art/Tiffany Education (center))

Albert アインシュタイン博士は、

「宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である」と言っています。

つまり単独では成り立たないということでしょう。ここに芸術を加えてみるとどうでしょう。

宗教のない芸術、芸術のない宗教、芸術のない科学、科学のない芸術、それらも成り立ちにくそうです。

宗教と科学と芸術にはなんらかの補完関係がありそうだと感じます。

「たとえ非のうちどころがなくても、美しくないならそれは失敗だ」といった人がいたことをなんとなく、思い出しました。
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その大胆さはどこから?

2014-09-29 | 世界の写窓から
(photo/source)

大事だとおもえることは、

なるべく具体的具象的に確認する必要があるのではないでしょうか。

なぜなら、わたしたちには抽象的なものに対してはかなり大胆になりますが、具象的なものに対してはそうでもないようですから。
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ピントの併せ方。

2014-09-26 | 世界の写窓から
(photo/Stanley Kubrick)

他者に協力を仰ぎ、喜んで協力を得るためのヒントがここにある。

能動的であること、強制的でないこと、自然体であること、指図的でないこと、そして対等であること、

もし真の目的が協力者にバレたとしても、利用されたと思われることのない理由があること、

などである。
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間に合う。

2014-09-25 | 世界の写窓から
(Gif/source)

ノアの方舟から解き放たれた鳩はオリーブを嘴に舞い戻る。

洪水がおさまり再生に漂流が間に合ったことを知った乗船者たちは平和を取り戻し再び地上に降り立つ。

ノアの方舟は洪水が起こるよりずっと前から建造されはじめていた。

神を信じた者たちはそうして間に合い救われる。

ただ、・・・それは選ばれし一握りの話だ。しかし同様に神を信じていたより多くの者は洪水と共に犠牲になった。

その明暗・格差はどこで生まれたのだろう。
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もしくは舞踏

2014-09-24 | 意匠芸術美術音楽
(photo/source)

花 無心にして蝶を招く 蝶 無心にして花を尋ねる

とはいうものの人間は言葉を使い始めたがために「無心」が難しい。

ある研究によると我々が一日に口にする言葉は、平均一万六千語に及ぶという。

しかしその陰には口には登らず頭の中を駆け巡るだけの膨大な言葉があるのであり、どれほどなのかは見当もつかない。

夢の中でも言葉の想起を脳が止めることはない。

我々は我々自身で自分に言葉によって暗示をかけている。我々が逃れなくてはいけないのは自らにかけた暗示からである。

良い言葉を選んで思ったり使ったりしなければならない、

もしくは舞踏や座禅や酩酊によって「無心」をたまには取り戻すべきだと私は思うのである。
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対談してほしい二人。

2014-09-22 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(澤木興道/参照


(フェルナンド・ペソア/参照

『よい助言を与えることは、神が人々に与えた誤謬の能力に対する侮辱だ。
それに、他者の行為は、私たちのものとは異なるという利点を持たなければならない。せいぜい可能なのは、助言と逆の行為をし、自分は自分だ、他人とはまるで一致しないということを知ろうとして助言を求めることである』。-フェルナンド・ペソア「不穏の書、断章」より-

『よう「これでようございますか、ようございますか」と見解を呈してセガム奴がある。他人に問う間は本物ではない。他人に証明されて、サトッタつもりになっている奴もおる。他人に問わいでも、自分が、「行きつく所へゆきついたら」いいじゃないか』。-澤木興道禅師「語録」より-

ほぼ同時期にもちろん互いを知ることもなく生きた二人である。
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さあ、往くか。

2014-09-20 | 日日是好日。
(photo/Kiyoshi Atumi,TORA-SAN)

どんなにいい奴だってよ、時として悪さをしでかすときがある。

それでそいつが悪者だって決めつけちゃあいけねえよ。

みんな人間だってことよ。
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アナのあるドロップと雪のような女王

2014-09-19 | 世界の写窓から
(actress/Maud Adams)

それではシャワー中にハッと息を吞むシーンいきます。

それから緊迫した雰囲気を出すためにシャワーは雪のような水でいきますが、「少しも寒くはないわ ありのままの姿みせるのよ ありのままのじぶんになるの」という強い意志で悩まずにお願いします。

感じとしてはですね、まずアナのあるなに味かのドロップを口に含んでいるあなたはしかしその味に確信が持てないでいる、そして神様から「おまえの望みをどんなことでも一つだけ聞いてやろう」と言われ君は「え?もう一回言って」と言ってしまったことに気付く、それと同時にドロップがハッカ味だったと発覚した、そんな表情を下さい。

それではレット・イット・ゴー、アクション!・・・カット!
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憚(はばかり)ながら、

2014-09-18 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(Quote/Audrey Hepburn)

論語に謂う

過(あやま)てば則ち改むるに憚ること勿(なか)れ

こそ大事なれ。

それ不可能を可能とするの源なり。
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とどのつまり

2014-09-17 | 世界の写窓から
(photo/source)

止まれ 左折禁止 右折禁止 直進禁止 後退禁止 横道進入禁止

そんなところに行き当たったように思えるときがある、さしずめ「どうせいちゅうねん」である。

こういうときはまず落ち着いて「そもそも」論で考えるときである。

自分に過失があったのか、こんな標識列があること自体が間違いなのか等、そういったことではなく、

そもそも「わしはなぜここにまで至ってしまったのか」ということである。

人間、夢遊病者でもないかぎり知らぬまま突然ここに至ることはまずない、機関が交通標識を間違ってつけるようなへまをする確率は極めて低い等、つまり否定から入らず肯定の立場で「そもそも」は考えるべきである。

そうすれば、とどのつまり、そもそも「わしは歩いてきたのであった」と気付く。
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そこで何をどう観るかはぬし次第。

2014-09-16 | 意匠芸術美術音楽
(Gif/source)

「ゲーテは、老齢とは現象から次第に引き退くことであると言ったが、

ジムメルによれば、我々が老年となるに従って、世界に通ずる我々の道を塞いでいる種々雑多の経験や感覚や運命は、言わば相互的に益々摩滅されていくのである。

・・・けれども老年芸術を規定するものは、全く一種独特の主観性であって、これと青年の主観主義とは、殆ど名前の外に共通点のないものである。

なぜならば後者は世界に対する一種の激情的反発であるか、然らざれば世界を全く眼中に置かない、無頓着の自己発動に外ならぬからである。

然るに前者は人間が世界を、経験として、運命として自己に摂取した後に、そこから離脱し退却することを意味する。

それ故に青春の主観主義は自我を絶対的内容となし、老年のそれは、自我を絶対的形式とする。

-大西克禮「風雅論」より-
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辻説法

2014-09-13 | 閑話休題
(photo/source)

零細企業の父っつあんが、住職に説法を受けている。

住職「どうですか、この頃」

親父「いよいよあきまへん、会社うまいこといかんのですわ」

住職「弱気はダメ、植毛かかつらでも買って前向きになりなさい」

親父「そんなんで良くなりますやろか」

住職「必ずなります。その頭は、‘もうけがない’」
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アナライザーはエナジャイザー

2014-09-12 | 古今北東西南の切抜
((Analyzer/SPACE BATTLESHIP YAMATO (1974))

『みんなを元気づけるエナジャイザー(Energizer)がいると、周りの人々は能力を最大限に発揮できるようになる。

我々のデータからもそのような人が自分の人脈にいるかどうかで、将来的な成功がある程度はわかることが示されている。

エナジャイザーは必ずしも社交的でカリスマ性があるとは限らない。たとえ困難な状況でも常に機会をうかがい、他の人が意味のある形で貢献できる余地をつくる人々である。

良いエナジャイザーは信頼が置け、私利私欲よりも大きな原理原則に忠実で、他の人々と一緒にいることを楽しむ。

それに対して「デエナジャイザー」(De-energizer)は障害ばかりを指摘し、自分ではアイディアを出さずに人を批評し、思考に柔軟性がなく、チャンスを創り出せず、約束を破り、他人に気を配ることもない。

不幸なことに、エネルギーが磨り減っていくような交流は、元気づけられる交流よりも、受ける影響が最大で7倍にもなるとの研究がある。

我々自身の研究でも、仕事上の心配事の約90%は、自分の人脈中の5%の人々、すなわち他人のエネルギーを奪い取る人々が原因となっていた。』
-ロブ・クロス/Harvard Business Reviewより-

宇宙戦艦ヤマトに出てくるアナライザーはとても頭のいいロボットである、しかしとても茶気のあるロボットである。往々にして頭のよすぎる人は人情味に欠けることがあるが、アナライザーにはそれがない。アナライザーもエナジャイザーなのだと思う。
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自分だけの主題

2014-09-11 | 意匠芸術美術音楽
(photo/source)

『画学生にとってとりわけ困難なのは、自分自身が自然に感じた印象と、その印象について思いめぐらす考察の間で決断を下すことである。多くは「モチーフ」を探そうとして自然の中に出かけるとき、彼らの内面が乏しいため、無意識のうちに、画廊で見かけて気に入ったほかの画家の絵と同じものを作り出してしまう。彼らは多分何百回も自分だけの主題のそばを通り、感じ、楽しんだであろうに、自分の感動をきちんとはかれず、自分自身への信頼に欠けているせいで、それらを無視し、すでに評価を得た他人の趣味を受容れてしまうのである。世間で評価を得たものだから、それを理解できないのは恥ずかしいことであり、本当にそれが自分の求めることなのかどうか確信がもてないまま、そうすべきだと思って努力するのである』-ロバート・ヘンライ「アート・スピリット」より-

画学生でなくとも、自分の感動をきちんとはかれず、自分自身への信頼を欠くことで、自分だけの主題に盲目になってしまうことは多々ありそうだ。

ミケランジェロの言う「I am still learning」も自分だけの主題があってこそのことだろう思える。

誰にでも自分だけの主題は存在する。ちなみにこれは書くまいと思ったが、浮かんでどうしてもうずうずするので私は書く、・・・ミケランジェロにはマケラレンジャロ。
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螺旋にはなにかがある。

2014-09-10 | 世界の写窓から
(photo/source)

写真はDNA螺旋構造の分子モデル(1963年)だ。

螺旋の三次元曲線は生命体のいたるところでみられ、基本的には同じ構造ながら同じ位置には留まらず無限に上昇する構造でもある。

また二重螺旋の階段は、昇るものと降りるものとはすれ違うけれどけっして出会えない階段とも言える。

私の中にもある螺旋はまだまだ何かを隠している。
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