南無煩悩大菩薩

今日是好日也

あなたもわたしもクソ野郎

2019-01-30 | 世界の写窓から
(quote/Bukowski)

自分という人間がつまらんだけなのに、世の中がつまらん、などと言うな。ということだ。

例えば、幸せを求める人に幸せは来ない。幸せだと思う人が幸せなだけである。

あえていうなら、

楽しいことをするのではなく、することを楽しむ。というようなこころもちである。

もっというなら、

あんたあほやろ、わしもあほや。である。
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出会いたい人

2019-01-28 | 世界の写窓から
(quote/alexandra k. trenfor)

あるやんちゃな子が、父に連れられてその老人のもとにやってきた。

そして父は「息子は飽きっぽくて我慢強くない」と不満をもらし、説教してくれるように頼んだ。

「少しの時間、息子さんをここに置いていきなさい」と老人はいった。そして二人きりになると、その人は少年を胸に引き寄せた。

そして何もいわず、ただじっと抱きしめた。

しばらくして戻ってきた父親に、老人はいった。

「十分に叱っておきました。この子は我慢強くなるでしょう」

成人しやがて賢人となったその人は、その瞬(つかのま)の想い出をこう語ったという。

「まさにそのときに、私は人間の変革を学んだのです」
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L'eclisse Twist

2019-01-27 | 意匠芸術美術音楽
(gif/original unknown)

Mina - L'eclisse Twist (1962)
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天真爛漫という力

2019-01-25 | 古今北東西南の切抜
(photo/original unknown)

自己実現者は、神秘的なことや先の見通しの立たないこと、あるいは、曖昧さや構造の欠如を楽しむことができる。

脳に損傷を受けた者や強迫神経症患者の態度とは極めて対照的である。
これらの患者には、統制や予測、将来、法や秩序、予定、分類、下準備(リハーサル)、計画といったことに対する、きわめて強烈で強迫的な欲求が認められる。彼らは未来を怖れており、緊急事態や予想外の事態に遭遇した場合に、即座に適切な行動を取るという自信がもてないらしい。

つまり、自分を信頼できないという気持ちと、自分には、予想外の事態や計画外のできごと、制御や予見が不可能なできごとを正面から受け止める力が備わっていないという不安感が入り混じっているのだ。これらはすべて、安全を求めるメカニズムであり、怖れや不安の生み出すメカニズムである。

いずれも、勇気の欠如、将来的なものに対する自信の欠如、自己に対する信頼の欠如を示すものなのだ。予想外の事態や未知の出来事、構造化されていない状況に遭遇した場合でも、これを正面から受け止め、防御的態度や防衛的態度に出ることなく、自分はこの状況に即興的に対処できるのだという天真爛漫な信念を保持するためには、ある種の勇気が必要とされる。

この勇気はまた、自分自身、ならびに恵まれた環境や未来などに対して、正当な信頼を寄せるということでもある。具体的な例を示した方が、わかりやすいだろう。

たとえば、会話の際には次のようなことがしばしば起こっている。つまり、相手の話を集中して聞いてはおらず、どんな答えを返そうかと頭の中で考えたり、下準備をしたりしていることが多いのだ。これは自分の即応能力に対する自信のなさ、つまり、前もって準備したり計画したりしないと、受け答えをする自信がないという気持ちの表れなのである。

よちよち歩きの幼児が、両親に対する完全な信頼を行動で表している様子を、映像で見てみるのもよいだろう。高いところから父親の腕の中へ飛び降りる子供は、父親を信頼しきっており、まったく恐怖を感じていないのだ。

-MASLOW ON MANAGEMENT
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Gypsy in My Soul

2019-01-24 | 意匠芸術美術音楽
(photo/The Sri Lankan Frogmouth)

Gypsy in My Soul - Connie Evingson
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部分であると同時に全体 全体であると同時に部分

2019-01-22 | 古今北東西南の切抜
(gif/original unknown)

この見解を支えるためには、全体と調和できる自律性を、人間は本質として宿していなければならない。そのためには、個人は全体にどのような影響を及ぼすのか、正確に把握できなければならないだろう。

鳥が上空から世界を一望するように、全体における自分の影響をリアルタイムで把握している必要があるわけだ。さもなければ、自分ではよいと思った行動が、意に反して全体の統一を乱してしまう危険もあるだろう。

例えるなら、オーケストラがまとまって演奏できるのは、団員の一人一人が楽譜を持ち、自分はいつどんなメロディを演奏すればいいのか、ちゃんと把握しているからである。つまり曲の全体情報を、団員一人一人が共有しているのだ。

統一的な共同体を築くには、ひとりひとりが全体情報を共有していなければならない。個の中に、全体が内包されていなければならないのだ。

一個の細胞にはその生物の全体情報が含まれている。DNA上の遺伝子である。そのため一個の細胞さえあれば、その生物の全体を複製することができる。それがクローン技術だ。ひとつの細胞は全体を内包しているのである。

私たちの本質、すなわち「生命」は、部分であると同時に全体、全体であると同時に部分という、二律背反的で矛盾した、不思議な構造をしているわけである。

-切抜/斎藤啓一「ブーバーに学ぶ」より
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亥年の猪亦是自性清浄也

2019-01-20 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/source)

仙厓禅師の画賛と思われるものに「男女」と題して、

「人我我入之本體、二根交成大佛事・・・」と書いているものがあります。

仏教に立川流という流派があり、その言っているところに二根交会といったことを説いていますが、こうしたことを何のわだかまりもなく、サラリと言い得ているところに悟りというものをかいまみる気がします。

人間は生きている限りは迷いの塊のようなものでありますから、迷いをなくしようとしても迷いをなくすことはできません。

迷いが迷いだとわかるのが悟りであって迷いのほかに悟りというものがあるわけのものではないでしょう。

迷いを迷いだと思わないから迷っていることが始末に負えないわけです。

おれは今泣いているな、おれは今怒っているなと言うことをおもえば、怒っていても怒っていることにはならない。泣いていても泣いていることにはならないのであります。

-引用/古田紹欽「仙厓」より

悟りとはいかなるもの云うやらん墨絵に書きし松風の音  

-伝/一休禅師
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片方だけでは成立しない

2019-01-19 | 世界の写窓から
(gif/original unknown)

例えば、

片方の靴を捨てたら、もう片方の靴も靴として成り立たなくなってしまう。

それゆえ私たちは、喜びばかりでなく悲しみも、安楽ばかりでなく苦労も、成功ばかりでなく失意も、人の長所も短所も、美点も汚点も、強い面も弱い面も、

あるがままを受け入れて、認めなければならない。
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無事

2019-01-17 | 日日是好日。
(書/仙厓禅師)

唐代の臨済禅師の言葉に「無事是れ貴人」と、「平常無事」がある。

禅語にいう「日々是れ好日」は天候の好い日とか、気分が良い日とかいうのではない。

好兇、良悪に拘らず、くる日も、くる日もすべてが好日であり、「平常無事」ということである。

この平常無事に生きる人こそが、最も立派な人であろう。

-吉田紹欽「仙厓」より

土佐弁では、「かまんよ」「なんちゃないきね」という。
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You

2019-01-15 | 意匠芸術美術音楽
(gif/source)



Hay,you! Yes,You!

Have an Awesome Tommorow
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春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり

2019-01-14 | 酔唄抄。
(切り絵/成田一徹さん<1949~2012>)

友達?

たくさんいるよ

子供・・・大人  

男・・・女  

はげしいの・・・やさしいの

軽いの・・・重いの

新しいの・・・古いの・・・もっと古いの

結局、みんな大好だね。

-copy/source

Bebo y Chucho Valdes - Lágrimas Negras
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重く受け止め、軽く投げ捨てる。

2019-01-13 | 世界の写窓から
(gif/original unknown)

明日死ぬことでさえ、他の日に死ぬことと別に変わりがあるわけではなかった。

毎日は、生きるためにあるか、またはこの世からおさらばするためにあるかのどちらかだった。

ただ、

明日死ぬかもしれない身の上と知りつつも、十年先の未来に思いを巡らせることができるのも人間だ。
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妙に落ち着かない時もある。

2019-01-12 | 意匠芸術美術音楽
(picture/source)

倦怠・・・・

苦痛なく苦しみ、意志なく欲し、理論なしに思考すること・・・・それは否定の悪魔に取りつかれ、存在しないものに呪縛されること・・・・・

倦怠がいかなるものであるかを経験のない人にもわかるような言葉で定義した者はこれまでひとりもいない。

ある人々が倦怠と呼ぶものは、たんに退屈しているという事実のことでしかない。

あるいは、一種の居心地の悪さだ。あるいは、疲れだ。

しかし、倦怠が、疲れや居心地の悪さや退屈という性質を帯びているとしても、

それは水が、構成要素である水素や酸素の性質を帯びているという程度のことに過ぎない。

倦怠はそれらを含んではいるが、それらとは似ても似つかない。

-フェルナンド・ペソア 

Francesc Heredero - Nina De Cera
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泥棒と小僧に学ぶ

2019-01-09 | 古今北東西南の切抜
画像/四代目市川小團次の鼠小僧)

ラビ・スッシャが弟子に行った。「神に奉仕するための十カ条など、私には教えられないが、小さな小僧と泥棒が教えてくれるだろう」と。

小僧からは3カ条を学ぶことができる。

1.理由もなく陽気でいる。

2.一瞬たりとものらくらしない。

3.必要なものがあれば、精力的に求める。

泥棒からは、7カ条を学ぶことができる。

4.夜中に奉仕する。

5.着手したことが一晩で終わらなければ、次の夜に努力する。

6.一緒に仕事をする相棒とは愛し合う。

7.小さな利益であっても人生を危険にさらす。

8.盗んだものが自分にとって価値がなければ、僅かな小銭で売り飛ばす。

9.不幸や苦難に耐え、そのことをたいしたことだと思わない。

10.自分の仕事に愛着を持ち、他のいかなるものとも交換しない。

-切抜/ハシディズム「賢者の逸話」より

いろいろと使えそうな10か条である。
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水の音と酒の味

2019-01-08 | 酔唄抄。
/仙厓義梵)

古池や芭蕉飛び込む水の音

池あらは飛て芭蕉に聞かせたい

古池や何やらぽんと飛び込んだ

芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句意を仙厓禅師は禅的に捉えてこんな三句をよんでいる。

「水の音」をどのように聞き取るかは、悟りの境地如何にかかわるという。「酒の味」をどのように利きとるかと似ているような気がしないでもない。

「門松は冥土の旅の一里づか、馬かごもなくとまりやもなし」と詠んだ一休禅師を想ったりする、もう正月も緒七日が過ぎたのである。
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