南無煩悩大菩薩

今日是好日也

奇怪なるもの

2019-07-31 | 世界の写窓から
(picture/source)

地球は決まった時間に決まった速さでまわって狂いがない。このことは科学でハッキリ分かった。

しかし、なぜまわる、なんのためにまわる、

誰が動かしておるのか誰も分からない。

けれど地球は、ひとりだまっておるのである。

ここをよく考えてみることだ。

(text/source)

J.-PH. RAMEAU: «Les Indes Galantes» Forêts paisibles, Les Ambassadeurs
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酒を呑んで夢を喰う

2019-07-28 | 酔唄抄。
(illustration/Isao Kojima)

私の父親は、近村近郷きっての呑兵衛であった。四五杯傾けてほんのりすると、父はいつも昔の面白い物語、いや自分の見聞談を私に聞かせるのを例とした。

ある夜、私は父に人間以外に酒を呑む動物があるのかどうか問うてみた。すると父は、即座に、あると答えた。

お前は、海亀を知っているだろう。あれはひどく酒が好きなんだ。海の漁師が亀をとらえるとこれを浜へ連れて酒を与える。海亀は喜んで、五升も一斗も呑んでしまう。頃合いを見て漁師は海亀を海へ放ってやるが、こうしておくと海が荒れたとき海亀は自分ら漁師を狂瀾から護ってくれるという話は、お前も知っているはずだ。

ところで、泥亀(すっぽん)は海亀とは近い親戚だ。親戚の間柄であるから、泥亀も大の呑ん平である。この泥亀が酒を呑んで十石を尽くすというと、河童(かっぱ)に出世する。つまり河童とは泥亀の年功を経たものであるだろう。

幕末のころ、水戸の大浜海岸で河童が漁師の網にかかってきた。よく見るとこれは、頭だけ河童になっていて、甲羅や四肢はまだ泥亀のままの姿であった。多分これは、まだ酒を五石くらいしか呑まぬ奴であったろう。

明治になってから越後国の小千谷(おぢや)町の地先のかわらへ河童が昼寝に上がってきて、里の子供らに捕まったことがある。奇妙にもこの河童は体は河童の姿になっていたが、頭は泥亀の形のままであった。これも、まだ飲酒十石に達せぬ奴であろうが、頭が泥亀で体が河童であるという姿を想像してみた。ずいぶん妖魅にとんだ代物だ。

-抜粋/佐藤垢石「河童酒宴」より

酒呑みは他愛のない話こそものの上手けれ

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金魚

2019-07-25 | 酔唄抄。
(gif/source)

金魚。という酒のメニューがある。

古くは鰻屋などからその酒は常連たちに愛された。

焼酎でも日本酒でも、なみなみと注がれ波打つ透明な宇宙のなかに真っ赤なトンガラシをチャポンと入れる。それはまるでエデンの園で泳ぐ金魚のように酒のみには映っているのである。

金魚というのは英語ではそれそのもの‘GOLDFISH’といわれる。

‘あかしろやにしきにましてくろやこい、金(こん)と呼ばれるこのみおしても’

Hania Rani - Eden
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神と神々

2019-07-24 | 意匠芸術美術音楽
(picture/source)

キラフィスの都で詭弁家が寺院の階段に立ち、多くの神々を説いた。すると人々は心の中で言った。「分かりきったことだ。神々は我々と共に住み我々が行く先々どこにでもついてくるではないか?」

それから間もなく、他の男が市場に立ち、人々にこう語って聞かせた。「神など存在しない」。これを耳にした多くの人々は彼の知らせに喜んだ。なぜなら、彼らは神々を恐れていたのだから。

また別の日に、素晴らしく雄弁な男がやって来た。彼はこう言った。「一人の神しか存在しない」。人々は動揺した。なぜなら彼らは心の中で一人の神の処罰を多くの神の処罰よりも恐れたからだ。

その同じ季節に、また別の男がやって来た。そして彼は人々にこう言った。「三人の神がいる。彼らは風の中に一つのものとして存在し、彼らのつれあいであり同時に妹でもある、包容力があり慈悲深い母を持っている」。

これを聞いて誰もが胸をなでおろした。と言うのも彼らはこっそりこう思ったからだ。「一つとなった三人の神々は間違いなく我々の失敗に関して意見が食い違うだろう。それに、彼らの慈悲深い母が可哀想な弱者である我々を擁護してくださるに違いない」。

こうして今に至るまで、キラフィスの都では、多くの神々や神の不在、ただ一人の神や一つになった三人の神々、そして神々の慈悲深い母についての言い争いや議論が絶えないのだ。

-カリール・ジブラン「GOD AND MANY GOD」

kamigaminouta (kairyuba-jon)
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それぞれのアダージョ

2019-07-23 | 世界の写窓から
(photo/original unknown)

Tomaso Albinoni - Adagio in G Minor


うまくいくはずのなのにうまくいかない。世の中はそんなことで満ち満ちている。

でも、いいじゃないかそれで。
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熱への忠告

2019-07-22 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(picture/source)

“If you want to make God laugh, tell him about your plans.”

― Woody Allen

Heinrich Ignaz Franz von Biber - Partia I in D minor


たとえば、知りもしない死について知っているかのように怖がったりするようなことを、神は笑う。とでもいいたげなのが天使というものかもしれない。
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戦争と小さな国々

2019-07-17 | 意匠芸術美術音楽
(picture/source)

昔、草原で羊と子羊が草を食んでいると、鷲がそのはるか上空で輪を描きながら物欲しそうに子羊を見下ろしていた。

彼が獲物につかみかかろうと、今にも舞い降りようとしたとき、もう一羽の鷲が現れて、これまた物欲しそうに羊の親子の上を舞った。

二羽の敵対者は戦い始め、空いっぱいに彼らの獰猛な叫びが響き渡った。

羊はびっくりして空を見上げ、子羊に向かってこう言った。

「なんて妙なんだろう、わが子よ。あの二羽の気高い鳥が相争うなんて。広い広いこの空も彼らにとっては十分ではないのだろうか?祈りなさい、わが子よ、神が羽を持つお前の兄弟たちを和解させんことを」

そして子羊は心の中で祈った。

-カリール・ジブラン「WAR AND THE SMALL NATIONS」

War - Bob Marley (lyrics)
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ink in water

2019-07-16 | 意匠芸術美術音楽
(gif/source)

たとえば、水槽にインクを落とすと、ふわっと広がるでしょ。

それは固まっている方がエネルギーをより必要とするからです。

どうでしょう、無いエネルギーなんてものはありえない。もっといえばエネルギーのない存在は存在としてあり得るのかい?

必然である、というのは運命というよりも、あるがままへの蓋然性にある、のかもしれない。

開放する、ということにおいて何か大事な深淵、ink in water。

Francesco Tristano - Grey Light (Official Video)
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はんなり猫、蠅をおう。

2019-07-12 | 世界の写窓から
(gif/source)

たとえばです、

スポーツ観戦で、ある人は立ち上がった方がゲームがよく見えるかもしれまへんが、全員が立ち上がれば全員の視界が遮られてしまいますやろ。

みんながやってるからわても、なんていうのはいっちょ前のお人がすること違います。

ありますやろ、どうでもええけどこの蠅はおうとこかいな、というようなことぐらいがちょうどええ塩梅。

なんでも嫌うたらあきまへんえ。ただ無理に好きにならんでよろしい。ということです。
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君に酒を勧むわけ

2019-07-11 | 酔唄抄。

勧君金屈巵 

満酌不須辞

花発多風雨

人生足別離

-于武陵 


この盃を受けてくれ

どうぞなみなみつがしておくれ

花に嵐のたとえもあるぞ

「さよなら」だけが人生だ

-井伏鱒二
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みるべきはモノゴトではなく、それらの性質である。

2019-07-09 | 世界の写窓から
(picture/source)

まず「率直な発言と不快な物言いは異なる」。

ということを私たちは誰に教わることもなくわかるようにできている。

つまり、学者のような博労もいれば、菩薩のようなメドゥーサもいたりすることを知っている。

わたしがみてるつもりでも、あなたからはみきられているかもしれない。

というようにたぶん、そういうふうにわたしたちは物事を学んできたしこれからも学んでいくのだろうが、それが進化の枝葉なのかデットエンドの葉脈なのかは誰が知る?

Edgar Knecht - Lilofee (official music video)
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抽象的だから、できるとおもえること。

2019-07-08 | 意匠芸術美術音楽
(art/Conversation With Jackson Pollock No.37)

もしジャクソン・ポロックの絵がジクソー・パズルになったら、かなり難しい・・。

-それは完成図のないジグソーパズルを組み立てるように起こる-

ピースを組み立てるという事自体は同じなのですが、そのピースには絵が描かれていない、もしくは何か描いてあっても、完成図も全体像についても何もわからないパズル。そういうジグソーパズルを組み立てる羽目になったら我々はどうするでしょうか?

想像してみてください。なにしろ我々は、そのパズルのピースの一個一個を手に取ってみても、それが相対的にどこに位置するべきなのか、それは全体の中でどのような役割を担っているピースなのかといったことを、少なくとも最初は、なにもわかっていません。ですからそのパズルを組み立てようにも、どのようにして組み立てていったらいいのか、皆目見当がつきません。やり方が最初から与えられているわけではないのです。

やはり最初はとりあえず、手当たり次第、機械的にピースとピースを試してみて、ピタリとはまるピースのペアを数多く見つけることから始めるしかありません。これはとても効率の悪い方法ですし、とても長い時間をかけてじっくり取り組まなければなりません。最初は全く進展がないかもしれません。でも、粘り強く続けるうちに、ピッタリはまるピースのペアがいくつか得られるようになるでしょう。

小さな発見を、時間をかけて数多く見つけるわけです。そういう地味な試行錯誤を何度も何度も繰り返していくうちに、次第とピタリとはまるピースの数が増えていきます。そして、それがだんだんと進んでいくと、いくつかのピースがはまりあった「島」が出来上がってきます。

この「島」はいくつか同時に作られながらも、当初はお互いあまり関係ないもののようにみえます。しかし、あるとき、二つの島をつなぐピースが見つかります。つまり一見関係のない分野を橋渡しするピースというのが見つかるわけです。そして、それまで別々だった島が、一つの大きな島になる。

これが時折みられること、つまり複数の分野をつなぐブレイクスルーが見つかるということです。こうして次第に大きく、そしてしだいに統一の度合いを高めていきながら一歩一歩進歩していくというわけです。

-フレンケルの喩え-参照/加藤文元「宇宙と宇宙をつなぐ数学」より、-

John Cage - Dream (1948)
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照鏡見白髪

2019-07-07 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(picture/source)

シュッセシヨウト思ウテイタ二

ドウカスル間二トシバカリヨル

ヒトリカガミニウチヨリミレバ

皺ノヨッタヲアハレムバカリ

-井伏鱒二


あまがける こころ は いづく しらかみ の みだるる すがた われ と あひ みる

-会津八一


宿昔ノ青雲ノ志

蹉跎タリ白髪ノ年

誰カ知ラン明鏡ノ裏

形影自ラ相憐レムコトヲ

-張九齢
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金は天下の周りもの

2019-07-03 | 世界の写窓から
(gif/source)

たとえば経費について、コストと考えず、全ての出費は投資だとみることで、周りまわって帰ってくる、という循環がイメージできる。

ただ、総量規制はもちろん重要である。

また、天下の周りものは私の想像を超えた経路をたどって帰ってくる。短絡的、直線的、平面的に周って帰ってはこないので、いささかやっかいではある。

天下の周り物を享受する。そのためには、得る前に投資するということが肝要である。金も使わずほっといて待っていれば、周ってくるというようなことではないのである。

金に限らず、信愛や、思いやりや、喜び、といったことも同様で、それが天下の周り物ということの本質のように思える。

費やすものが多すぎても、得るものが多すぎてもいけない。それらがちょうどのバランスで周る時、天下は安定し永続する。

永久機関 Perpetuum Mobile
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おおいなる力

2019-07-01 | 世界の写窓から
(photo/source)

もしかして私は人と違うのではないか。そうおもえるときは誰にでもあるだろう。

せっかくだから、どのへんが違うのかを考え取り入れようとする時、僕は迷う。

たまたまの差異を誇り喧伝するか、押し迫った少数の悲哀に沈黙するか。

たぶんどちらも同じくらい良い対処ではないようだ。それは邪推というものであろうことにある日気付いたのである。

「ありゃ、そうなんですな」

多分これが正しい対処法である。

自分と同じで違う、違うのに同じ、多数派なのに少数派、少数派なのに多数派。などという面従腹背とでもいえるようなモノゴトが同時成立するような場合、なにか大いなる力に試されているのではないかと思うようにすることで、僕の迷いは少し和らぐのである。

Bach-Vivaldi/Concerto for 4 Pianos/MultiPiano Ensemble
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