必ズシモ福ヲ求メズ 禍無キヲ以テ福ト為ス
必ズシモ栄ヲ希ハズ 辱無キヲ以テ栄ト為ス
必ズシモ寿ヲ祈ラズ 夭セザルヲ以テ寿ト為ス
必ズシモ富ヲ求メズ 飢エザルヲ以テ富メリト為ス
ー言志四禄より
幸せかどうかはわからんが、不幸ではないことを喜んでいる。
名誉とは無縁だが、恥ずかしくはないとおもっている。
いつまで生きるかわからんが、若死にはしていない今がオメデタイ。
富は羨むけれど、今も呑めているだけで私はジョウトウ。
この世界にいでいる君よ。
吟じ馳せるはまだ見ぬ人よ。
春有百花秋有月 夏有涼風冬有雪
若無閑事掛心頭 便是人間好時節
楽しく幸福に暮らせ。そうして君の能うだけ多くの他人を幸福にしてやれ。そうやって長く生きるのだ。それでよいではないか。
爺はとにもかくにも嬉しくて堪らぬ。
(photo/source)
言うまでもないが、私たちの日々を送るの理想が安心(あんじん)にあるのは間違いない。
この安心(あんじん)とは、私たちの精神が寂然不動の位置に落ち着いて、決して物事のために迷動しない状態を指す。
この心持を妨げるものに「疑(うたがい)」という悪い作用(はたらき)をするものがある。
疑いは疑いを重ねて迷いを生じ、迷いは迷いを重ねてついに心を攪乱して、生々世々立命のなかに安心することができなくなる。
疑心と安心はトレードオフの関係にある。
(netsuke/Skeleton Astride a Skull)
盥から盥に移るちんぷんかん
の一句を残して小林一茶は他界した。その一茶、ある時大名に「俳諧の話を聞かせよ」と所望され、
「花鳥風月、およそ目に映ってくるもの、ひとつとして俳諧でないものはございません。しかし、下情に通じないで、風流をおもちゃにする貴顕の方には、到底、俳諧はわかりますまい」と不愛想に答えた。
話し終わって礼に二両を贈られ、しぶしぶ受けて帰ろうとするとき、思い出したように同道していた名主に対し、「おお、忘れておりました名主殿、せっかくのお心づけに対して、お世辞を言うのをつい忘れて・・・」と一句、
うぐいすや御前にでても同じ声
ー引用/鈴木魅「一話一訓趣味と修養」より
いささかついには貴も賤も富も貧も男も女もシャレコウベ。
産湯のたらいから御棺のたらいまで、如何に落ち着くたらいまわしのちんぷんかんぷん。
Dark Vampire Music - The Vampire Masquerade | Waltz Music
2006年12月、1980年代から世界中で流行していたカエルツボカビ症という、両生類を死に至らしめる感染症が、日本でも発見されたというニュースが流れた。
この病気は、カエルツボカビ菌という真菌の一種が病原体とされ、世界では、この感染症によって絶滅した種や個体群が報告されており、両生類の多様性の大きな脅威とされていた。
この菌が、日本でペットとして飼育されていた南米原産のカエルから見つかったことで、ついに日本にも本菌が上陸したとして、日本の両生類も絶滅の危機に立たされるのではないかと懸念された。
そこで立ち上がった研究グループは、その菌の国内分布状況を調べるため、日本各地の一万以上の両生類個体からサンプルを採取して調査し、さらに遺伝的変異を分析した。
その結果は、なんと、このカエルツボカビ菌は、日本が起源である可能性が高いことがわかったという。
菌の日本侵入の最初の報道以降、結局日本国内で、この菌による野生両生類の被害事例は皆無に近く、研究グループによる感染実験の結果からも、日本のカエルは発症しないことが示された。
日本の両生類は、カエルツボカビ菌と古くから共進化しており、免疫を持っているため、感染しても影響を受けないと考えられるという。日本の固有の菌がペットとして海外に持ち運ばれた日本の両生類や、食用として流通した外来種ウシガエルとともに世界に広がり、免疫を持たない外国の両生類を危機に陥れていたようなのだ。
「ごめんなさい」と素直に言えない偏見を自らただすにはインテリジェンスとオープンマインドは欠かせない。
ある立派な人が、政治の世界で自分の目的を成し遂げるために金を配るという「手段」をしたのと、どうしようもない人が、政治家という地位を手に入れるのを「目的」として金を配ったのと、表面上はわかりません。
でも本人にしかわからないながら、手段が目的となった時点で、本来の面目はもう捨て去っているということに我々は注意する必要があります。
たとえば、明治維新のころ1人一票、多数決の民主主義が行われていたらどうでしょう。鎖国下で生きてきた人民は国の行く末などの目的なく、ただ手段を行使しただけに終わったかもしれません。
行われなかったのは、行われない理由があったとみるべきでしょう。
ただ、目的のない手段として酒を呑むのは、人知はいいすぎにしても我見を超えた目的かも知れないのであります。
Technopolis YMO / Dance Perfume YMO テクノポリス / パフューム
ある婦人は、ふとパンと一緒にピンを呑み込んだと思うと、その喉に耐えがたい痛みを感じて呻き苦しんだ。そこにピンがまだひっかかっているような気がしたのである。
けれども外から見たところ腫れてもいなければ何の別状もないものだから、ある気のきいた男が、これはきっと呑み込む時にパンのかけらか何かが喉にひっかかったのを、ピンを呑んだかのように思いこんでいるに違いないと判断し、まず吐かせておいてから、手早くそこにねじまげたピンを投げ込んだ。
婦人は、「それ出た!」と言われると、たちまちに痛みの消えるのを感じた。
例えば、風は吹いている。がしかし風そのものにおとがあるわけではない。がしかし風のおととして聞く。ー音について
例えば、いくらいろいろな野菜のながまじっていても、全体はサラダというなの中に含まれる。ー名前について。
例えば、ガスにはにおいが無い、がしかしそれでは漏れて察知できず危険なのでにおいを附けている。ー匂いについて。
自ラノ真実ヲ真実トスルコト、金ヲ金トシ悲シムコト、吹ク風ノオノレソヨギ、薔薇ト野菜ノムキムキニ咲キ、鳥ノ飛ビ、魚ノ泳ギ、虫ノ匍フコト、男ヲンナノツツマシク連レ添フコト、ミナアハレナリ、シンジツニ。ミナアハレナリ。 ー北原白秋「真実」
Jan Gunnar Hoff - LIVING
私はこの推移を経験しつつ整理してみる必要があると思っている。それを想ってみる次第である。
落胆や不安、恐怖と言った類ではどうもなさそうで、ありていにいえば、私が今想うには「驚き」に近い感情である。
中原中也は小詩論のなかでこんな表現をした。
「生きることは老の皺を呼ぶことになると同一の理で、想うことは想うこととしての皺を作す。想うことを想うことは出来ないが想ったことで出来た皺については想うことが出来る」。
「しかるにこの皺は決して意識的に招かるべきものではない。よりよく生きようという心掛けだけが我等人間の願いとして容れられる」。
そしてこんな風にも描いている。
「実際、人は驚けばその驚きが何であるかと知りたいのは当然過ぎる程のことで、だからといってその驚きはその時努力して何だと分る筈のものではない。けれども努力しておおよそ何だとくらい分らないものでもない。それで大抵の人がそのおよその何かを探すのだ」。
私は想っても想いだせるはずのないことを想ってみる。たとえば、我々地球上の生物はすべて38億年という歴史を体の中に持っているということなど。
周囲の環境が動的かつ予測不可能かつ前例のない形で進展するときがある。
そんな状況下でこそ、個々人に常に実験を繰り返せしうる安心感と、選択の自由を容認し、進歩を促すべき機会である。
人生の方から欲しいものが何なのか、訪ねてくれるわけではない。人生は選択肢を提示するだけである。
ということを自覚するには憚りながらも良い機会がおとずれているとみるべきだろう。
ええこともわるいこともいつまでも続いたことはかってないようだから。
様々のことおもいだす桜かな –芭蕉
たとえば、誰かが「雨が降りそうだよ」と言ったとき、それは次のようなことを伝えたかったのかもしれません。「だから傘を持って行ったほうがいいよ」。
またそうではなくて、「ずっと雨が降っていなかったから、これで畑の野菜も助かるねぇ」と言いたかったのかもしれません。
えーと、できれば、ですけど、おもってみたら、どうでしょう、成層圏よりもずっと大きい、海のこと。とかですけど。
Keep Calm and Wash Your Hands Often
Mecano - Hijo de la Luna (Videoclip)
声にもれくるひとふしを
知るや君
深くも澄める朝潮の
底にかくるゝ真珠を
知るや君
あやめもしらぬやみの夜に
静かにうごく星くづを
知るや君
まだ弾も見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音を
知るや君
ー島崎藤村「若菜集」より
2020年(令和弐年)成人を迎える君たちへ、おめでとう。
-知るや君「シャキーン」より
わたしがいったそこに、テーブルが二つあった、ひとつは「優」もう一つは「劣」。
どっちにいるべきか、もしくはどっちに誘えられるのか。
ドキドキして待っていると、その人はこういった。
「おすきなところへ」
僕はこう聞いた「優劣というものはあるでしょ」
するとその人はこう言った。
「優と劣を決めるためにはそこの境目に線を引かねければなりません。それが私にはわからないのです、お好きなところにどうぞ、基準を決めない限り、優も劣も存在しないのです」
Abel Korzeniowski - Table for Two
木の葉をいくつか。落ち葉をいくつか。ひとつづつ。みくらべてみる。葉脈、虫掛、乾湿、発色・・。
それぞれ違いながらそれぞれ美しい。
一生というもののなにものかをそこに思ったりする。
秋である。といってももう季節は冬まじかの秋である。
We are all the leaves of one tree. We are all the waves of one sea.We are all the stars of one sky. -Thich Nhat Hanh
Melancholy, Pt. 2