白い鳥の群れが団体で食物を啄ばんでいる。
しらさぎのようだ。
ちっこいのが、おおきいのが、入り混じって、渡りの為に栄養をつけている。
渡りは彼ら彼女らにとってなすべきこと。
ちっこいからやめとく、楽しくないからやめとく、とはいかない。
なすべきことは、みずからの対象に真摯に対峙することしかないようだ。
しらさぎのようだ。
ちっこいのが、おおきいのが、入り混じって、渡りの為に栄養をつけている。
渡りは彼ら彼女らにとってなすべきこと。
ちっこいからやめとく、楽しくないからやめとく、とはいかない。
なすべきことは、みずからの対象に真摯に対峙することしかないようだ。
いもむしですけど。
なにか不都合がございますか。
肉体的には無防備なもので、
今は見せ掛けの防衛線。
そうそう。いわゆる私は変態のいきものです。
気持悪いなんていわれたら泣きます。
わたしはおもうのですが、
君子豹変す。
華麗なる転身を遂げた後で、好きなんてことになっても、後の祭り。
ただ、どんな姿になるかは、一種の賭けでしょうがね。
仕事をしておると、あれやこれやと問題は多い。
問題の一番の問題は、自分の手に負えないような問題が顕在化したとき。
その問題の解決にむけて、ついついあれやこれやと、かきむしる毛もない頭を絞る。
自分の解決能力や決済能力を問われても、答えられないにもかかわらず。
解決できない課題の解決に策を弄するのは徒労である。
イコールにならない方程式を解こうとしては駄目。
然るときは、火の鳥になって、スピノザさんに従おう。
「問題を解決しようとしないで、それを切り抜けなさい。」-バルフ・デ・スピノザ-
はい。
エデンの園でアダムは、その生き物を見てから名前をつけた。
人は知っていることを話すときもあれば、知らないことを話すこともある。
一番多いのは、よくは知らないけれど知っているつもりの話をすることだという。
私もかなりのいい加減野郎だから、これからはその現実をちゃんと見てからつけた名前のものを、「知っている」というふうに心がけたいと思う。
私は、アメンボというものの形態を知っている。生態は、よく知らない。
あの子は小さく頷いた。
きっと帰って来るんだと。
希望とは、何かがよくなるという確信ではない。
実際の結果には関わりなく、何かが意味を持つという確信だ。
-ヴァーツラフ・ハヴェル-
厳密に言えば、私たちは帰ることはできず、往くのみの時空間に乗っている。
望郷の感とは、新生の展望へと到るまでのアイドリング効果ではないかとも思えた。
日没間近のアカネの空に。
ありきたりのプラスチックのイスを美しいと思ったことはなかったが、こうしてみると、モダン感覚のある種の芸術を思わせる美しさが漂っている。
それそのモノをというより、それにまつわる遠景としてのイデア(抽象的ながら本質的なもの)を美しいと思うからであろうか。
肉体(外見)に惹かれる愛よりも精神に惹かれる愛の方が優れており、更に優れているのは、特定の1人を愛すること(囚われた愛)よりも、美のイデアを愛することであるとプラトンさんは説いたという。
そうか。私がプラスチックラブだと思っていたのは、プラトニックラブだったのだ。
半世紀を越えて治験や臨床データを集めてきた、酒のドクターと盃を交わす。
人の移り変わり、数々の人間模様、なくて七癖の酒の効用と副作用のきっちりとしたインフォームドコンセントを実施してくれる。
私が健康なのは、間違いなくこのような名医の方々に囲まれているからだ。
痛飲、もとい、通院が欠かせない。
もっとも、保険は利かないが、欺瞞とまやかしと過剰を廃したそのホスピタリティによる、この薬の処方は、すばらしく効くのである。
周りは薬の飲みすぎだと注意する向きもあるが、快感が実感できているのに止める筋合いはないなどともおもう。私は病弱なのだ。
おかげで私は今まで、健康保険を使ったことは、数えるほどしか無いのである。
後光のさす後輪は、知恵と洞察と慈愛の象徴。
遍路を往くなかで、とことん疲れじっと手を見ることもある。
「せがれ、その手が宝物」
なんでしんどいとわかっていることにでも、人は果敢に身を投じてしまうのか。
遍路を積み重ねることで、少しずつ実感する事がある。
労力をかけなければわからないことがある。
労力を節約する機械や装置や方法や言い訳は掃いて捨てるほどあるが、安易に節約してはいけないものがあるということ。
「思考を節約する」装置はもちろんのこと、「仕事を節約する」「愛を節約する」装置はいまだ誰も発明していないのは、それが一人一人に違う「宝物」だからだ。
知恵や慈愛や洞察の象徴だからだ。
菩薩の顔はまだ拝めないが、いいたいことはわかる。
「せがれその手が、たからもの」
丹、朱、緋、赤。
あか、色の名、色の血の如くにて輝くもの。
じんこう、人工、人のしわざ、人造(天工に対す)。
日本最初の辞典と言われる「言海」にはこう記されている。
天工という言い回しを僕は知らなかった。
自然が奏でる「あか」は、天工のあかである。
人が造り出す「あか」は、人工のあかである。
人工、天工、に関係なく、
理由の在所もあやふやに、何故かそのあかに心惹かれる時がある。
血が騒ぐ、のは、僕の人工なのか、僕への天工なのか調べてみたくなる。
あかの誘惑。
協和による成果と自由のもたらす恵沢とはなんだろう?
不協和での成果は成果とよべるのか、不自由ながらの恵沢というものもあるのだろうか。
自尊心の自由と不協和。自尊心の不自由と協和。
成果と恵沢を健康で文化的に享受したいがためには何をどうすればいいのだろう。
気流の遠いところに。
晴れのち曇り。
健康で文化的な生活とはなんだろう?
不健康な状態とは何をもって指すのだろう。
体には、鉄分やビタミンが必要なように、心にも何かが足りなくなると補充がいりはしないか。
不健康な自尊心。健康な自尊心。
気流の静かな安定。
曇りのち晴れ。