南無煩悩大菩薩

今日是好日也

よくない冗談。

2013-08-31 | 世界の写窓から
(photo source

昔に戻りたい。

そう、子供のころや若いころのあの頃に戻りたい。

そういう人もいる。

だが、

純真で無知で見識を欠いた状態に戻ることなど、なかなかできるものではない。
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嗚呼無情。

2013-08-30 | 世界の写窓から
(動画/original unknown)

わらいごとではありません。

わかってはいるけど、どうしようもない。なされるがまま。

淡々と流れる、時の流れとエスカレーターに情けはないのです。
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風が涼しくなってきた。

2013-08-29 | 有屋無屋の遍路。
(photo source)

青春 朱夏 白秋 玄冬

人の一生を四季に重ね寂滅為楽

あんなことやこんなこと もあったし、そんなことやなんてこと もこれからあるだろう。

私のぜんぶのうつろいが終わるとき、・・・そう、私の総四季となる。
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まなぶくんの修行。

2013-08-28 | 意匠芸術美術音楽
(photo/Alexander Rodchenko 1935 Sportsmen on Red Square)

-「我々」っていったいなんなんだ。

我々なんていう人の実態はありゃせん。総ての人っていうのは誰でもないんだ。-


・・・学君は先生にそう教わった。

通常、人はまわりから、「ものの考え方」についてもっと修行をしろ、つまり自分の意見を持ち行動しろと注意される。

そして子供のころに抱く素朴な意見、例えば「なぜ人は人を殺しちゃいけないの?」という自分の意見は、もののみごとに顧慮なく却下される。

最初に試みたそのような意見の数々は大抵が「我々」のためにさんざんなあしらいをうける。

・・・・そして学君はそのことについて僕だけで自分の「考え方」を推し進める、
「なるほど、自分のためにしまっておかなければならないから、これを自分の意見というのだろう。」
学君はそれを学んだ。


「我々」っていったいなんなんだ。

今のシリアにしてもエジプトにしても然り、各地で「我々」対「我々」の対立が深刻になっている。
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C-Boy

2013-08-27 | 世界の写窓から
(source/National geographic)

タンザニア、セレンゲティ国立公園、

壮大な自然の中では、常に死が隣り合わせである。

シー・ボーイと名付けられたオスのライオンの生態に追った写真。

断っておくが、性体位や、興味本位で取り上げているのではない、

こういうことは危険と隣り合わせの苦心の末、得られるものなのだ。

そう、Cまで行くとはそういうことなのだ。
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過保護。

2013-08-26 | 世界の写窓から
(original unknown)

いいこと、お弁当を忘れずお昼には果物も一緒にちゃんと食べてね、

それから、水分もしっかりとって、

くれぐれも、トラブルに巻き込まれないようにするのよ。


あ。それと、
行儀よくするのよ。
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スワッテナガメル自由。

2013-08-25 | つれづれの風景。
                    

わたしのまちがいだった 

わたしのまちがいだった

こうして草にすわれば

それがわかる

-八木重吉「草にすわる」より-


たとえば、昔の人は、見晴らしのいい丘の上に建てられた小屋の中に雑居して、四方の窓から自由に外を眺めていた。

今では広大な建築が、たくさんの床と壁とで蜂の巣のように仕切られ、人々はめいめいの室のただ一つの窓からわずかな一部を見張っている。

ただでさえ狭い眼度は度の強い望遠鏡でさらにせばめられる。

オチツイテスワッテナガメルコトガデキル。 そんなところに行くとわかることもある。

しかるにせっかくのそんなところに出掛けているにも関わらず、駆け足で通り過ぎたりするのは惜しい事である。

これは人々があまりに忙しすぎるせいかもしれない。

そうだとすればこれらの人々を駆使する雇い主が責任を負わねばなるまい。

しかし中には暇はあっても不精であったり、またわざわざ出掛けるよりも室の片隅で茶を飲んだりテレビでも見てた方がいいという人があるならばそれはその人の勝手である。
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閲覧制限。

2013-08-24 | 意匠芸術美術音楽
(original unknown)

センスがないことを、ナンセンスというが、作品に対する自由なアクセスを制限するといったナンセンスな管理側の人間はいつの世にもおる。

先日来のはだしのゲンちゃんの物語などは、そのおかげで知名度も上がり売り上げもかえって伸びているようで、まぁおおむねそのように世の中できておる。

隠そうとすればするほど、見たくなるのが人情ということをよくわかっていないらしい。

そもそも管理側たる者の多くは、自分達少数の見解を管理下にある多数の人員に押し付けようとする癖がある。

自分達は知っているが、大勢は知らない方が幸せだと勝手に人を決めつけてしまう癖である。

よかれとおもってすることでも、管理方法の管理基準は、その多くを受け手の自由意思に任せた方が自然に落ち着くというものだ。

わしらだって見たいわい!とおもいながらも見せてもらえないことは多々あるので、ここで一言云わせてもらうことにした。

それと、ちょっとだけよとか、一部だけ隠すとか、都合のいいところだけ見せるとか、そんなこともやめてもらいたい。

原作に対して大変失礼で、作品までがナンセンスになるのである。




おまけ

source/HEISEI Pompoco)
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釘を打て。

2013-08-23 | 意匠芸術美術音楽
source)

刺すのではない、釘は打て。

逃すな、捕まえろ、躊躇するな、打ち付けろ。

緩み、弛み、歪み、を振り払え。

ゴツンとひとつ、打ってやれ。

君は大きなハンマーを持っているか?
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人生はゲーム。

2013-08-22 | 閑話休題
(source)

互いに傷をつけあうことなく、過ごせばいいね。
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違うのか違わないのか。

2013-08-21 | 世界の写窓から
(photo/source)

「子供が生まれたの。」

それはおめでとう!ところで男の子?女の子?

「今は赤ちゃんよ。大人になって男か女かを選ぶ権利はこの子にあるの。」

スウェーデンでの話だそうだ。

男女のみならず、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー&インターセックス、個人の多様な性差への寛容度合は深まりつつある。

古くからの命題でもある、差別特別区別の問題、「あなたと私はどう違うのか違わないのか?」
に対する実証的取組が市民権を得てきたようだ。そういう国々はやはり先進国と呼ぶにふさわしいような気もする。

髪や眼や肌の色や性差、それらは違っても、みんな赤い血を流すのである。
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信頼の証は

2013-08-20 | 意匠芸術美術音楽
(art/GOTTFRIED HELNWEIN)

困難な任務や仕事に立ち向かおうとするとき、チームにドナルド・ダックが居たらどうだろう?

友情は湧くかもしれないが信頼を覚えるには少々難がありはしないだろうか。

相互に信頼関係を醸成する為には、一貫した姿勢による「予測可能な」行動を採ることが求められる。

それが期待できなければ、僕らにはもう少し時間が必要だということだ。
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うだつのあがる街。

2013-08-19 | つれづれの風景。

うだつ「卯建」は、二階の壁面から突き出した漆喰塗の袖壁で、火よけ壁とも呼ばれ防火の役割を果たしていたそうです。

いつまでもぐずぐずしていて一向に出世できないことを「うだつがあがらぬ」といいますが、防火できるなら失火した際には他に類焼を及ぼさないという役割もあるわけで、「うだつを上げる」ことを競うのはそれなりの社会インフラの整備でもあったのだろうと思われます。

共助か自助かという二元的なことではなく、自助が共助の礎になるという意味的な寓意が「うだつのあがらない」云々にはありそうです。
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この夏のスナップ。

2013-08-18 | 有屋無屋の遍路。

できたことをよろこぶより、できなかった無念を覚えておきたい。






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往来の山河へ。

2013-08-09 | 有屋無屋の遍路。
(source/don't worry be happy)

かえりみてはじることのない足跡を

たどられてじゃまにならない足跡を

わたしは、跡めているだろうか。

人は、前に往く人の足跡を辿りながら、来る人への足跡というものを繰り出している。

オーライ、といえる往来にわたしは耐えられるだろうか。


・・・というような煩悩を荷物に、夏の山河に分け入ることにします。


おまもり

(棟方志功作/光明開韻妃図)
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