南無煩悩大菩薩

今日是好日也

君ならどうするかね?

2011-10-29 | 世界の写窓から
(photographer/Elliott Erwitt)

その昔、青砥左衛門と言う人は、滑川に十銭を落とし、五十銭で松明を買って探したという。

一つには、そんな不経済なと言う見方と、もう一つには、探さなければ世の中からその十銭は永久に失われるが、探せば、自分のものではなくなったとはいえ五十銭も十銭も世の中から失われる事はないという見方もある。

価値のありようについての、賢明な社会というものを考える立場にいる人たちはどっちをどう治めようとしているのか聞いてみたくなる。
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寛容か不寛容か。

2011-10-28 | つれづれの風景。

よその猫にされたことはないが、飼い猫にはどうにかするとよく噛まれたり引っかき傷をつけられる。

家人たちはそうでもないのに、私だけがよくやられる。

野良の知らない猫からこのような仕打ちは受けない事から、より親しい人だと思われているのではないかと考えるようになった。

其の話しを家人にすると、それは違う、ただ嫌われているだけじゃないかという。

人間には、内に親しい人に強い人と、外で他人には強い人と、いわゆる内弁慶外弁慶と言われる人がいるが、猫も同じようなことがあるとすれば、それによって、私が好かれているのか嫌われているのかも変わってくるのじゃないか。そんなことを又考えた。

その仕打ちの許容やら程度やらも、考え方でだいぶ変わってくる気がするので、私にとっては大事な問題だとおもっている。
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落葉自然。

2011-10-27 | つれづれの風景。

かさぶたが、いつの間にか肌からポロリととれていた。

木枯らし吹いて、木から老葉もはらりと落ちる。

養分の授受を停止するというメカニズムは同じで、互いに綺麗な別れといえる。

後には跡を残さない。

無理やりかきむしったり、合わない軟膏を塗りたくったかさぶたはポロリとは行かず痛痒いことがある。


傷口は、気にせずほっとくほうが自然に治癒しやすいものでもある。
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美徳のでどころ。

2011-10-26 | 世界の写窓から
(original unknown)

努力をすれば、なんとかなることと、努力によってもなんともならないことがある。

必ず女性にもてる方法とか、あなたも億万長者とかの本は、ファンタジーコーナーでしか取り扱えない種類のものだろう。

そもそもその求めるものが、いかんともしがたいものであることをわきまえないかぎり、徒労と帰すことはたくさんあるように思える。


将来、子供のようにかわいくオムツをはきたいと願うことは、止めにしようと思う。
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理解されたからといって受け入れられるとは限らない。

2011-10-25 | 世界の写窓から
(original unknown)

カラスの行水、というメタファーは誰でも知っているしよく使われる、

蜻蛉の交尾、と言うたとえは聞いたことがない。

あってもよさそうなものだが、人の考える事で、定着するものとそうでないものの違いはどこにあるのだろう。
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手をつくしたりこまねいたり。

2011-10-24 | 世界の写窓から
(source)

見たくないものには、眼を閉じればいいが、聞きたくなくてもそういうわけにはいかず、勝手に聴こえてくる。

口を慎む事はできても、呼吸を止めることはできないから否応なく臭いはやってくる。

そういうどうしようもない事実のうえに築かれたものであることさえ、気付かずに過ごしているということがありはしないか。

つくすもこまねくも構造上の絶対的なものの範囲を超えてまでは、出来ないのではないかと思う。
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行きはよいよい帰りはこわい。

2011-10-22 | 意匠芸術美術音楽
(画/河鍋暁斎)

人殺しをした人々の魂が、毎年きまったある月のある日の夜中に墓の中から呼び出される。

そうして、めいめいの昔の犯罪の現場を見舞わせられる。

行きがけには、だれもかれも
「正当だ。おれのしたことは正当だ」
とつぶやきながら出かけて行く。

・・・しかし、帰りには、みんな

「悪かった。悪かった」
とつぶやきながら、めいめいの墓場に帰っていくそうである。

私は、・・・人殺しだけはしないことにきめようと思う。

-寺田寅彦「渋柿」より-
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隠された実力。

2011-10-21 | 世界の写窓から
(source)

道化こそ、あるひとつの極まった世界と其の基本的な構造に精通した、真の意味の智者であるのかもしれない。

誇張した容姿で服を後ろ前に来て、砂で泳ぎ、食事をお尻でしようとする。

男が女の女は男の格好をしたり、馬に乗るときも後ろ前に乗る。
一人の道化が後ろ前に馬に乗ってやってくるのを見るとき、

やってくると同時に去っていくという大切な世界の見方を、私たちは知らず知らずに学習させられている。(北山耕平/「ネイティブマインド」より)


サーカスでの道化役、つまり笑われ役は、その一座でも1,2位を争う実力者でないとできないということを聞いたことがある。
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仕切られていると思っているもの。

2011-10-20 | 世界の写窓から
(source)

おい君、来て見ろよ、素晴らしい景色だぜ。

・・いややめとく、僕はここからで十分だ。
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除かれる前に。

2011-10-19 | つれづれの風景。

魔よけならぬ蚊よけのかぼちゃの蚊取り香炉がそこにあった。

ハロウィンの季節に、目的の蚊は数えるほどしか生き残っていないだろう。

蚊がいなくなれば、蚊取りも役割を終える。

無音の煙漂う香炉をみながら、もしまだ生き残っているなら、喰われてやってもいいぞ、と思った。
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ローバは一日にしてならず。

2011-10-18 | 意匠芸術美術音楽
(写真/平地勲)

現役を長く続ける。
それも一線でいきいきと続けるには、それなりの修身と思想がいるようです。

せっかくのものをもったいない、という心構えを、かの孔子さんの弟子の子貢さんは、三つの費(ついえ)と言っておりました。

若いときに学んだことを、老いて忘れる、これが一の費え。

若いときに知り合い、年老いて仲が絶える、二の費えである。

高位にあって自ら尊ばず、下位にあってうやうやしくしない、これが三の費えである。



高齢化社会です。

えらいこっちゃ、がんばって、死ぬまで生きなあきません。
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ボギー。

2011-10-17 | 古今北東西南の切抜
(映画/カサブランカより)

昨日はどうしていたの?

・・・そんな昔の事は忘れた。

明日はどうするの?

・・・そんな先のことはわからない。


すきな映画のワンシーン。


諸事情たがわず、溜め込んだり、執着したり、のよくとしいのはよろしくない。

いろんなものが、カサバランカ?
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タフなファイター。

2011-10-15 | 古今北東西南の切抜
(source)

どんな歌を歌いメロディを奏でたのだろう。

内戦の続くリビアで去る10月10日、日本では体育の日に撮られた一枚の写真。

銃撃戦にガンではなく、ギターを持って参戦した一人の戦士。

彼は間違いなく、ファイターだ。
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スマイル。

2011-10-14 | 古今北東西南の切抜
(source)

写真は、2011年度の、ソニーワールドフォトグラフィアワード、スマイルカテゴリーでの優勝作品です。

身の上と背景と笑顔。解説は無用のスマイルだと思います。



出づるとも入るとも月を思わねば心にかかる山の端もなし –夢窓国師-
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木挽きの図

2011-10-13 | 意匠芸術美術音楽
(北斎/遠野山中)

のこぎりで木をうまく挽くには、力任せではないリズムとバランスが大事だと親戚の棟梁が言うておりました。

あきないもおなじく、のぼりあきないを志すなら、さす手、引く手、双方に油断なく、はじめることとおさめることの按配が肝要で、これを古くは鋸商(のこぎりあきない)と申します。

割り板をまっすぐに挽けるようになるには、すくのうても10年はかかるようですなぁ。
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