南無煩悩大菩薩

今日是好日也

世界観。

2006-12-09 | 日日是好日。

がんじびぜしんに。

眼耳鼻舌身意。ろっこんしょうじょう。六根清浄。


我々の周りにはある世界が出来ている。

一人ひとりその住みなすところ、それぞれにユニバースが生じている。

どのような世界観を持って生活するのかは、この六根の、選択・認識・受容に基を為す。


受容れざるべきや。付合わざるべきや。容赦し得るべきや。頼まざるべきや。・・・べきや否や・・・。

その六根の受容体の完成度によって、世界観は変わる。


なるほど。面白い。とは、新たな光が差し込み、面(おもて)が白くなることに語源があるようだが、六根清浄により、新たな光明を感じ、世界観が変わり、鬱屈した精神が、ピチピチと生気を取り戻すことはよくあることだ。

要するに。どうも、それは「綺麗なのか汚いことなのか」ということであるようにもおもう。


許す許さない。従う反発する。好む好まない。受容れる排除する・・・。

悩みどころで、物事を決する時には誰でも悩む。

己の眼耳鼻舌身意の、赴くところにその世界観が成り立つ。

そうやって人は、個人的世界観による、ユニバースを形成している。


いやいやながらも仕方なく・・。うんぬんというのは、多分自分に対するいい訳だろう。

本質はもっといやなことがあるから、今を受容した世界を形作り住み為している。

それが世界観であり、個人の単一世界、ユニバースなのだ。


論語を読み、聖書に膝まづき、神仏に語りかけ、詩経に学ぶのは、宇宙の論理を知り、六根を清浄せしめる行為だといえる。

古人を尊び、君子に習い、聖人を慕う。

それは、他でもない。自分自身の世界観とそれに根ざした統御性を得たいが為である。


自らの命を過ごすにおいて、観えているのは自分自身の世界観だけなのだ。社会観、仕事観、人間観、生活観、死生観、と言い換えてもいい。


どのような世界観を持って命を燃やすのか。



六根清浄。六根清浄。六根清浄。

願わくば、面が白くなる如き、わが身でありますよう。


天地神明に誓わなくてもかまわない。己自身に誓おう。

オネスティー。
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