我が歳も 四十でちょうど 暮れにけり。
名残りや 月雪花の しぼり糟。
-自堕落先生(山崎北華)-
生きすぎて 七十五年 喰いつぶし。
限りつくせぬ 天地の恩。
-蜀山人(大田南畝)-
自堕落先生、四十の。蜀山人翁七十五のときの。詠み。
科白を台詞に、見栄を切る。
よろしいなぁ。
狂言や能や歌舞伎の、ある意味清々しい人のあや。
紙屋治兵衛さんを描いていたら、今世の坂田藤十郎さんに近くなった。
やはり、見たことのある人に近づく。
聞いたり見たり、あこがれたものには、近づくのだろうか。
よいものを聞き、よいものを見、よいものにこがれたいものでおます。
そういやぁ。古い南画での説話だったか、こういのもありましたなぁ。
悪企みを持ちかけられた和尚が、怒り断った後、耳が汚れたといって、滝で耳を洗うシーン。
わしの、耳を汚すようなことをけしかけおって、けしからん。
などとせりふを吐きながら洗ったのでございましょうや。
どんなせりふでも。
生き様がなければそのせりふは出ないものでありましょう。
生は絶えても、せりふは、残るものでございます。
先日、URL貼り忘れました。
(ごめんなさい。)
無屋。さんは、おぼうさんなの?
アーティストなの?
どっちもなのですか?
失礼承知で書いてしまいました。
アートは、引越しセンターぐらいしか知りません。
ただ、そのようなものに惹かれるへちまの皮のような者です。
とんでもない。ありがとうございます。