南無煩悩大菩薩

今日是好日也

鈍牛。

2014-05-26 | 有屋無屋の遍路。
(牛図/長澤芦雪)

牛の図といえば私はこれだ。包み込んでいるやんちゃな子犬もいい。

「鈍」というのはいい言葉で、ゆっくりではあるが着実に且つ的を外さずに歩む、そんな度量を匂わす響きがある。

「本来、歴史というものは最終的解決なるものはないのであって、暫定的解決を無限に続けていくのが歴史だと思うのであります」

鈍牛と呼ばれた故大平正芳首相の言葉である。外交関係も色々と取り沙汰される現状にこの言葉は重い。

地平はあってもゴールは逃げ水のように去っていく、及第点はあっても合格はない、仕事も人生もそのようなものだと思える。

鈍牛のように暫定的解決を無限に続けるのが筋なのだろう。
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2 コメント

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煩悩先生へ (sugiura)
2014-05-27 06:32:22
牛が神の使いと崇められた時代はもう過ぎ去ってしまいました。かって牛を前にすると尊敬の念がわいた物です。

今では牛は食べ物としか見られないのでしょうね。悲しい。

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Sugiura様 (煩悩)
2014-05-27 15:12:41
カウやブルやオックスではなく、ビーフとしてしか付き合わなくなったのかも知れませんね。
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