点(ドット)が集まって線(ライン)をつくり、線が組み合わされて面(シェープ)をつくり、面が組み合わされて立体(マス)となる。それらそのものは光(カラー)と空間(スペース)によって質感(テクスチュア)を産み出す。
それらはまた、より大きな点(ドット)として一部へと還元される。
およそ我々が眼にし、受け取る形態への思いとは、このような組成の上に描き出される。
視覚効果を謳ったビジュアルデザインの本質とは、点・線・面・光・空間の相互作用が存在する環境に対してどのようなインセンティブを与えるのかということへのアプローチである。
形態の持つすごさ。とは、それがどのように存在しているのか。それがどのような場所で、どのようなタイミングで、どのような行きがかり上にあるのか等ということを全く持って無視するほどの、実体性を質感によって提示し得るということ。
そこにある形態とはなにか?
視覚に偏りすぎた我々の感覚器官に対し、肌触りを約束する「質感」というものの開発と、若しくはその実体験が与えてくれる印象の開拓こそ、我々をもっともっと遠くの文化的な生き物に変えていくはずである。
つまりは。質。の問題なのである。
・・・・・。
そのデザインは何故にそのようなサインを、観る者に与えるのだろう。
ならざるをえない形態と。なってしまった形態と。企てた形態との差はなんだ?
機能美ともしよべるものがあるなら審美との質感の違いはどこにある?
本物を本物と呼び、紛い物を紛い物と断じる強さはどう違う?
もっと飛躍していうならば。満足と感動はどのあたりが分岐点なのだ?
・・・・・。
訳のわからない話はやめにして。
形態的質感が心情的質感に変換されたのであります。
ふと。眼の覚めるような思いを抱いたのであります。
老齢の。松の。幹の。肌目の。その先の。その奥。
うむ。お主。できるな。
◎形態の持つすごさ。とは・・・
・・・実体性を質感によって提示し得る
ということ。
それは、わたくしたちの顔や表情、会話から出る
言葉、すなわち価値観などにも同じことが言えます
でしょうか。
それとも、たかだか百年も満たない人生と
風雨に耐え、樹齢何百年もの肌とは比べては
いけないものなのでしょうか。
先生のお話と、ずれてしまいましたかしら!?
なにせ、カタカナ文字は判らないことばかりで・・
デザイン用語ですが、意識的に拡張すると面白いなぁ。とおもってる次第であります。
先生の感性は小生の言いたいことを十分取っておられます。
ありがとうございました。