南無煩悩大菩薩

今日是好日也

神々の福音

2025-01-11 | 偈、弁、述、名言・至言

今日1月11日はえべっさんの残り福である。

「商売繁盛笹もってこい」の音声に戎神社の境内は包まれる。

えべっさんは恵比寿神という海の神様である。明日の大漁に掛けて商売繁盛をお願いする神様でもある。そう、明日への。

明日といえば、西洋の神様の教え、マタイ福音書第6章34節にはこんな件がある。

「さすれば、明日のために思い煩うことなかれ、明日は明日自ら、己のために思い煩わん、その日はその日の労苦にて足れり」

つまり、明日のために心配するな。明日は、明日が自分で心配するであろう。1日の苦労は1日で足りる。

今の私にとってはこれぞ「福音」だ。

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おくればせながら

2025-01-08 | 日日是好日。

今年の干支は乙巳(きのとみ)、「努力を重ね、物事を安定させていく」そんな意味があるという。

また巳の蛇は脱皮する、ということで「再生」の意ももつという。

あやかって、良い年となりますように。

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意味の違い

2025-01-07 | つぶやき

「仕事の意味」と言うのは、「意味のある仕事」と言う言葉とは、別物である。

と誰かが宣わっていたが、「仕事」と言う言葉を替えるだけで、この意味違いは何にでも使える。

人生でも、出会いでも恋愛でも結婚でも離婚でも、死までもがそのようだ。

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小林一茶

2025-01-04 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

世の中に混じらぬとはあらねども一人遊びぞ我は勝れる。

と詠んだのは確か良寛さんだと思うが、

人の浮世もままええものじゃが、離れておることが、わしゃ面白い。ということでは一茶も似ている。

小林一茶、幼名、弥太郎、六歳の折の発句である。

我ときて遊べや親のない雀

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山中鹿之助

2025-01-03 | 偈、弁、述、名言・至言

(画/月岡芳年)

語録の中では、

「我に七難八苦与えたまえ」

がつとに有名だが、

「憂きことのなほこの上に積れかし 限りある身の力試めさん」

泣きっ面に蜂、苦境重なりもがく、そんな時この言葉に、励まされる。

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歴史の授業

2025-01-02 | 古今北東西南の切抜

(photo/source)

選挙の候補者が三人いるとする。誰に投票するか答えてみよう。

候補者1、ポリオの後遺症で障害がある、高血圧症と貧血を患い、他にも深刻な病気を抱えている。目的のためなら嘘をつき、政治を占星術師に相談する。愛人がいて愛煙家,マティーニが大好き。

候補者2、彼は肥満だ。すでに落選3回、うつ症状に苦しみ心臓発作を繰り返している。鼻持ちならない男で葉巻を吸いまくる。そして就寝前に酒を浴びるように飲む、シャンパン、コニャック、ウィスキー、それから睡眠薬を2錠。

最後は候補者3、勲章を受けた英雄で、女性に敬意を払う。動物を愛しタバコは吸わず、酒もめったに飲まない。

さあ、誰に投票する?

全員が候補者3に投票するだろう。

君たちが落選させた候補者1はフランクリン・ルーズベルト、候補者2はウィンストン・チャーチル、そして選んだ候補者3はアドルフ・ヒトラー。

聞いてくれ、この話には重要な教訓が含まれている。いつか君たちも分かる時が来る。

そう、「世の中は期待どおりにならない」。

ー「アナザーラウンド」より

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朱鍾馗

2025-01-01 | 偈、弁、述、名言・至言

寒い暑い栄えたり枯れたり、これ天や地の呼吸のようなもの。

苦しい楽しい恵まれたり辱められたり、これ人の生の呼吸のようなもの。

と観じて、達者は、これらの感のどこに至ってもにわかに驚くことはないという。

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身の丈尺足らず

2024-12-30 | つれづれの風景。

 環境とは、誰にとっても自己以外のすべて。

宇宙とは、それとは反対に自己を含むすべて。

宇宙と環境との唯一の境界は、自己。

それは経験する観察者。

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心は火のようなもの

2024-12-24 | 偈、弁、述、名言・至言

(gif/original unknown)

心は火に似ています。

火はそれ自体では燃えませんし、これといった形もないものですが、火が付くというように、それが物に着いて初めてその体を成すようになります。

炭火があり、焚火があり、燈火などいろいろありますが、炭を取り去り、薪を取り去り、燈を取り去ってしまって、火というものを掴むことはできません。それぞれ、炭に着いて、薪に着いて、蝋燭に着いて、初めてその形を表すのです。

心もまた同じように、必ず何かに着いてその形を表すもので、単に心というものだけを掴むことはできないのです。

善いものに着けば善となりますが、不善に着けば不善となるのです。 

心こそ心惑わす心なり、こころ、こころに、こころゆるすな。

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詠み人知らず

2024-12-22 | 偈、弁、述、名言・至言

期待なしに人生を生きること具体的な結果を必要とせずに生きることこれが自由というものかもしれません。

句読点の入れどころがわからない。名言であるかどうかはわからないけれど一つの至言ではありそうだ。

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一休さん

2024-12-21 | 偈、弁、述、名言・至言

行く末に 宿をそことも 定めねば 踏み迷うべき 道も無きかな

今日はあそこの宿まで行って泊まろう、と思って急いでいるといかんせん、途中で道に迷ってしまった。結局そこまで行けず、ああなんてこった。

しかし、既定、予定、思い入れ、などの定めをするから、迷い、焦りが生まれるのであって、それがなければ、そもそも「迷う」ということに意味はない。失敗と言うこともなければ、後悔と言うことも生まれない。

行く当てのない旅は楽しい、と昔誰かが言っていたが、先を急ぐと、粋な発見や綺麗な風景を見落としてしまう。

行く末は死ぬことにあっても、たぶんそう変わりはない。

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往生際

2024-12-19 | 偈、弁、述、名言・至言

腰かけて「みる」か。とは何事です。

腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果においては同じじゃないか。

疑いながら試しに右へ曲がるのも、信じて断固として右へ曲がるのも、その運命は同じです。どっちにしたって引き返すことはできないんだ。

試みたとたんにあなたの運命がちゃんと決められてしまうのだ。人生には試みなんで存在しないんだ。やってみるのは、やったのと同じだ。

実にあなたたちは往生際が悪い。引き返すことが出来るものだと思っている。

-太宰治「御伽草子」より 

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将棋

2024-12-18 | 偈、弁、述、名言・至言

将棋はとにかく愉快である。

盤面の上で、この人生とは違った別な生活と事業がやれるからである。

一手一手が新しい創造である。冒険をやってみようか、堅実にやってみようかと、いろいろ自分の思い通りやってみられる。

しかもその結果が直ちに盤面に現れる。そのうえ遊戯とは思われぬくらいムキになれる。将棋は面白い。

金のない人がその余生の道楽として、充分楽しめるほど面白いものだと思う。                     

将棋を指すときは、怒ってはならない、ひるんではいけない、あせってはいけない。

あんまり勝たんとしてはいけない。

自分の棋力だけのものは、必ず現すという覚悟で、悠々として盤面に向かうべきである。

そして、たとえ悪手があっても狼狽してはいけない。どんなに悪くてもなるべく、敵に手数をかけさすべく奮闘すべきである。

そのうちには、どんな敗局にも勝機がぼつぼつと動いて来ることがあるのである。

-談/菊池寛

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善悪の弁

2024-12-17 | 偈、弁、述、名言・至言

宇宙(自然)のことをおもえば、そこには決して悪と言うものはないのです。ただ過ぎるとと及ばざるとがあるばかりです。この過ぎたるところ、及ばざるところが即ち悪と言う。

また同じように宇宙(自然)のことは、別に善と言うものがあるのではありません。ただ過ぎたると及ばざるとがないところが即ちこれが善であるというのです。

例えば、徳川家康が女中達に対し、世の中で一番うまいものは何かと問うた時、お梶の局が、「それは塩でございます」と答えましたので、「それでは一番まずいものは何か」と問うと、やはり「塩でございます」と答えたということです。

なるほど、塩は調味料でこれが過不足なければ美味、もし過不足あればこれほど不味いものはないのであります。

-出典不詳

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水月の関係

2024-12-16 | 偈、弁、述、名言・至言

水面に月が映っている、月影が水底に宿っている、いま月光は水中に広まっているが、月が隠れると、水そのものにはなにも残らず、月も光も痕跡を残すことも無い。

いささかも執着の跡がない、このような境地を求める、これを水月の道場と言うらしい。人間に心があり、眼、耳、鼻、舌、身、意、の欲がある以上、財宝も、名誉も、美人も、酒も、もとより心の水に映ってくる。

映るのは当然である。しかしながら、それが映ってきても、痕跡を残さないように、それが水と月との関係のようであったなら、そこに執着は微塵も起こらない。

空華は夢という意味で、人生のすべてを一切夢であるとみる、金も名誉も美人も地位も、ことごとくが夢であると観じたならば、それに執着することは野暮でしかない。

ということで、この句の意味は、「執着のないこの水月の関係のように、人生の一切をうたかたの夢とみてゆけ」ということのようだ。

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